りた
「これから私たちが目指すのはレムロック霊峰。デルトワーツの中でも最大級の山の1つね。この山にある遺跡を探してみるわ。聞いてる? クロさん」
「………クロさんというのは、俺のことか」
くたびれた服とボロボロのマントを纏う青年は、やや不機嫌そうにセリナに聞いた。シンが同情するように肩を叩く。
「そうよ? 貴方の髪も目の色も真っ黒だし、私たちを助けるときに黒い霧みたいなのを出す魔法を使っていた。だから、貴方はクロさんよ。呼び名が無いと不便だし。良いでしょ?」
「何とでも呼べ……」
呆れたように肩を落とし、クロは周囲へと注意を向ける。ゴツゴツとした岩肌と、あまり背の高くない植物ばかりが見える。一応道らしきモノを通ってはいるが、随分と長く舗装はされていないらしく、かなり歩きにくい。気温も割りと低めだ。恐らく、先程の小屋はかなり昔に建てられたものだろう。この辺りを見る感じ、そもそもこの山に訪れる人間がかなり少ないようだ。
当然だろう。
そこらかしこに見られる糞や生き物の死骸のものと思われる骨を見る限り、この山は相当魔物が多い。余程の物好きでもない限りここに足を踏み入れることはしないだろう。
こんな危険な場所に行ってまで、彼女らはその魔導書を手に入れたいのだろうか。
「なぁ、えっと、ロックだったか。アンタらが探す魔導書というのは、どういう物なんだ。あまり興味は無いが、旅の仲間の目的位は知っておきたい」
「えっ、ええとっ、あのっ!」
ロックはかなり動揺した様子で跳ね上がり、目を凄まじい勢いで泳がせる。目玉が顔の窪みから転げ落ちそうな勢いである。
そして目を合わせないようにかは分からないが、ただでさえ深く被っているとんがり帽子を更に深く被り、ようやくおどおどと話し始めた。
「ぼ、僕たちが探している、の、はっ! 枢機の書、です」
「枢機の書……。何だそれは」
「え、と、枢機の書、は、伝説の魔法使い、え、エルスター・ヴェルディライヒが、創ったとされ、る、魔導書で、す。あの、そこに、は、この世界の、全部の、魔法が記されている、そうで、す……」
クロは眉をひそめ、興味深そうに首を傾げる。
この世界の全ての魔法。
記憶を失った彼はこの世界の魔法が如何なるものなのかを理解してはいないが、全てとなるとその魔導書が規格外であろうことは察せられる。
それに、その魔法の中に記憶を取り戻す術があっても不思議ではない。
「アンタらがこんな所まで来てまで探している理由も分かったよ。不老不死だろうが金銀財宝だろうが何でもアリって訳だ」
「う〜ん、それは間違いね!」
不意に前を歩いていたセリナが後ろを向いた。
彼女の着ている修道着のような服が風に揺れる。翻った布の奥に、鍵を模した黄金のネックレスがチラリと見えた。
「間違い……? 何がだ」
「不老不死と金銀財宝のことよ。この2つは、現在理論が解明されている魔法だけでも理論上実現可能なのよ。私はね、この世界の誰もが知らず、エルスター・ヴェルディライヒだけが知っている魔法を知りたいの。エルスターは既に亡くなっているから、それを知ればその魔法は世界で私だけのものになる。ねぇ、これって素晴らしいことだと思わない?」
彼女の髪色と同じく、天に満ちる群青よりも更に深く、そして美しい青色の瞳が、光に照らされ水面の瞬きのような輝きを湛えている。
ただでさえ幼い顔つきの彼女が、さらに子供のように彼には見えた。
「誰も知らない魔法、か。そんなもの本当にあるのか? エルスターとかいう奴のことはよく知らんが、そこに記されている全ての魔法というのも、そいつが蒐集したものなんじゃないのか」
「ふふん。貴方はね、史上最高の魔法使いたるエルスターを舐め過ぎなのよ。過去に枢機の書を読んだ魔法使いは全部で3人。彼らの証言によると、時代が後になればなるほど、記された魔法の数は増えているの。これは仮説だけれど、枢機の書は多分、思考し自らで魔法を創り続ける魔導書なの」
「魔法を創る魔導書、ね。本当なら凄いな。だが、今まで3人も見つけてるのなら、そいつらに聞いた方が早いんじゃないか」
「そうも行かないの。枢機の書は、発見され、発見者に魔法を1つ授けるとこの世界のどこかに転移してしまうのよ」
「つくづくとんでもない魔導書だな……」
クロ自身、未だ魔法という概念について詳しく理解はしていない。セリナ達を助けるときに使ったという黒い霧の魔法も、ほぼ無意識の内に使ったものであるため、その発動にどのような論理が働いているのか、彼には不明である。
彼女らに教わったところ、魔法というのは大雑把に言えば、マナと呼ばれるデルトワーツを構成する物質に何らかの反応を起こさせる術らしい。
使用するには、起こしたい反応を頭で強く考えながらほれぞれに応じた『コード』という文字列を唱える、或いは描けば良いらしい。
尤も、クロは自らの魔法のコードなど一切知りはしない。
『黒い霧を出す』という、あまりにも曖昧な効果しか知らぬがために、起こしたい反応を頭で考えるというのも不可能なことである。
そんな彼が訳もわからぬまま黒い霧をイメージし、魔法の発動に挑戦し続ける姿を見かねてか、先程セリナが簡単な魔法を3つ教えてくれた。
1つ目は『魔弾』。魔力を球状に圧縮し、指定方向に飛ばす、簡易的な攻撃魔法だ。
2つ目は『火』。魔力を火に変える魔法。魔弾と組み合わせて威力の向上を狙う他、火を起こすことにも使えることから、デルトワーツを旅する上では必須級の魔法である。
3つ目は『防御魔法』で、名前の通り指定の場所に魔法や物理攻撃によるダメージを防ぐマナの壁を出現させる魔法だ。『治癒魔法』とどちらを教えるか迷ったそうだが、こちらの方が習得が簡単で、シンが回復系の魔法に長けているのもあり、こちらを教えることにしたそうだ。
ともかく、これらを覚えれば余程危険な地帯へと足を踏み入れぬ限りは大丈夫だということで、クロは山道を行きながらこれらの魔法を練習している。
「───魔弾」
道の先がどのようになっているか確認してくる、と言って行ってしまったシンを待つ間、クロは練習の成果を残りの2人に見せることになった。
彼がコードを唱えると、同時にかれの手のひらの上の空間が揺らぎ、次の瞬間そこに黒い透明の球が出現した。
そしてその直後にそれは凄まじい速度で上空へと打ち出された。
「「お〜〜」」
魔弾が消えていった赤みがかった空を見上げ、セリナとロックが惚けた声をあげた。
「簡単なヤツとはいえ、すぐ覚えちゃったねぇ。記憶を失う前はスゴい魔法使いだったのかもね、キミ。ね、ロックもそう思わない?」
「う、うん。すごい、勢い、だった。でも、僕、黒、い魔力なんて、初めて見た、よ」
「あ〜確かに。魔力の色は当人の性格だったり血筋に関係があるらしいけど、黒は珍しいね。さすがクロさん」
「何がさすがなんだ」
はぁ、と息をつき、クロはついさっき魔弾を吐き出した手のひらをじっと凝視した。
そこには何の外傷も見られない。吐き出した、というよりは、手のひらの上に魔力を圧縮し、それを発射したのだ。それは当たり前のことだった。
不思議な感覚だった。やったことと言えば、思い浮かべて、唱えただけ。それだけの事で、あんな事象が起こった。
クロには少しだけ、魔法というのが怖いもののように感じられた。
「よし……次は火だ──」
と、彼がイメージを膨らませたその時、道の先からシンがこちらを呼ぶ声が聞こえた。どうやら何かを見つけたらしい。セリナは肩を竦め、クロの魔法の発動を制止した。
「戻ってきたみたいね。ま、魔弾のあの威力だけでも成果としてはジューブンよ。私たちも行きましょうか」
「あぁ、そうだな」
そう言って、3人は歩き始めた。
ふと、セリナがポツリと呟いた。
「というかクロさんを勧誘したのは強そうだったからなのに、今私が魔法教えてるの何だかおかしくないかな」
クロは何とも言えなくなって、すまん、と小さく呟いて俯いた。
「あはは、冗談よ。ジョーダン」
もしかしたらこの女は自分の想像よりずっと怖い女なのかもしれない。
クロはしみじみとそう思った。
魔法の名前に振ってあるルビがコードです。




