もつ鍋
ガタンゴトン、ガタンゴトン。
心地よい電車の揺れに身を任せる。
休日の夕方に、田舎から都会へと向かう私鉄の電車。
窓の外の風景は、どんどんとビルが増え都会になっていく。
駅に停まるたびに電車は大量の人間たちを飲み込んでいく。
こんなに大量の人間たちは、一体何の用事があって都会へと移動しているんだろうか。
ああそうか。
きっとこの大量の人たちも、何か美味しいものを食べに行くんだろう。
焼き肉だろうか、焼き鳥だろうか、それとも洒落たビストロだろうか。
きっとみんなスマホを眺めたり、小説を読んだりしているが、内心ではワクワクしているに違いない。
だが、この車内で一番ワクワクしているのは枝鳥に違いない。
時計を見て、予約の時間にちょうど間に合うことを確認する。
もつ鍋。
ふふふん。
しかも最高にうまいもつ鍋を食べに行く。
電車の中の端っこの席に腰掛けた枝鳥は、なんなら今すぐに隣のもたれてくるオッサンに自慢したいぐらいに浮かれている。
あのもつ鍋のためになら、電車に乗って都会にも出るさ。
ビルの一階に入っているその店は、ちょっとばかりお洒落で、まるでもつ鍋の店とは思えない。
店に入ると店員がささっと出迎えてくれる。
赤と黒を基調とした店内。
もつ鍋屋というよりは、まるでバーの様である。
が。
枝鳥は気にしない。
たとえ他の客たちがカップルだらけだろうとも気にしない。
店員に案内されるがままに、スタスタと歩いて席に着く。
注文は電車の中でしっかり決めてきた。
「もつ鍋を白みそ、揚げ出し豆腐一人前追加で。
それとビールをジョッキで。
つまみにはタン塩ユッケも一つ」
完璧な采配である。
神でもかくも見事な采配は出来るまい。
まずはビールとタン塩ユッケが即座に運ばれる。
先にネタばらしをしておくと、このもつ鍋はとある有名焼き肉店の姉妹店なのである。
枝鳥も数回しか行ったことのない、高級焼き肉店なのである。
黒毛和牛を一頭買いするような店なのである。
つまり、ここのもつは、その黒毛和牛のもつなのである。
そして、つまみに注文をしたタン塩ユッケも何も言わなくても黒毛和牛のタンなのである。
白い器に盛られた美しくサシの入ったタン。
少しずつ摘んで食べる。
「ああ美味い」
タンも鮮度がいいと刺身で食べられるが、ここの塩ユッケは別格に美味い。
ザクリとした食感、すぐさま溶け出す脂の旨味、タンの力強い味が見事に塩ダレでまとめられている。
これはビールが進む進む。
ビールとタンを交互に進めていると、本日の主役が静々と運ばれてくる。
銀色の浅い円柱状の鍋。
平行に三分割する様子をイメージしてほしい。
真ん中のラインには、短く切られたニラが一列に並べられている。
その上にはスライスされた白いニンニクと輪切りの赤い鷹の爪。
パラリと白ゴマも振られている。
そしてニラの両サイドには揚げ出し豆腐。
一口サイズの揚げ出し豆腐たちの上にはチョコンと柚子胡椒がそれぞれに乗せられている。
それらが白いスープに浸ってクツクツと煮られている。
美しい。
ここほど美しいもつ鍋を、枝鳥は他に見たことがない。
「上にあるニラがしんなりとしてきたら食べてくださいね」
店員の忠告に頷いて、枝鳥はその時を待つ。
ふんわりと白みそが香り、見えぬ筈のモツの美味そうな香りが立ってくる。
そして枝鳥はあっさりとフライングする。
揚げ出し豆腐はもう火が入ってるからいいじゃないか。
そんな悪魔の誘惑に、いつも逆らえないのだ。
大体、なんでもつ鍋に揚げ出し豆腐が入っているのかがよくわからない。
普通は木綿豆腐だろう。
ここ以外では見たことがない。
おまけに柚子胡椒まで乗ってるだと。
けしからん。
実に邪道だ。
揚げ出し豆腐の薄い衣は、白みそのスープをすっかり吸っている。
パクリと口に放り込めば、出汁のきいた白みそのスープに豆腐の優しい甘味、そしてピリッと柚子胡椒の辛味が口中に広がる。
けしからんほどに美味い。
おお、もつ鍋には揚げ出し豆腐なのだ。
鍋を見ると、くったりとしたニラが枝鳥にGOサインを出している。
キャベツに牛蒡、揚げ出し豆腐にニラ、そしてプリップリのモツを取り皿によそう。
まずはモツ。
噛みしめるとジュワーッと脂の旨味が溢れ出す。
嫌な臭みなど欠片もない最高のモツだ。
ムギュッムギュッと噛みしめるほどに旨味が湧き出てくる。
しんなりしたキャベツの甘味に牛蒡のシャキシャキ感も気持ち良い。
揚げ出し豆腐はやはり美味い。
だが、何と言ってもモツが美味い。
ああそうか。
こんな美味すぎるモツだから、揚げ出し豆腐でなくてはならないのだね。
ただの豆腐では、このモツにきっと負けてしまうのだろう。
そして、増えた脂っこさに柚子胡椒がいい刺激となる。
鍋もほとんど空になり、余裕の出てきた枝鳥はそんなことを考える。
美味いものを食べ終えると、なぜか悟った気分になるのは枝鳥だけなのであろうか。
「ほう」
と満足の溜め息をついて店を出る。
帰りの電車はさぞや眠くなってしまうだろうな。
寝過ごしたら大変だ。
重くなった腹を抱え、駅へと向かう雑踏の中へと意を決して入っていく。




