第10話 二人の勇者
――光はやがて闇に変わる。
「おい。お前はこんなところで何をやっているんだ」
幼い声に体を揺さぶられ、俺は閉じていた瞼を持ち上げた。
ぼうっと、人影が揺れる。
「しっかりしろ。ったく、私の秘密基地に勝手に住み着くなんて、いい度胸をしてるのさ」
過去を思い出す。この声は。
頭を抑えながら俺は尋ねる。
「リッチ、お前なのか……?」
鼻から強く息を吐き出して、彼はこう言った。
「お前とは無礼だな。私をフラウア伯爵の長男、リッチ=フラウアと知っての狼藉か」
子どもとは思えないような気迫。
思わずクラストは彼の肩を掴んだ。
はっきりとしてきた視界。あの頃の面影を残す――いや、あの頃のままの――幼いリッチが目に映った。
生きてる。リッチが生きてる……!
クラストの手を振りほどいた彼は、美しい金髪を艶めかせた。
「調子に乗るのも大概にしろ! 一体どうやってこの家に入ってきたのだ。何者だ。お前のような奴に見覚えは……」
一瞬、表情を止めたリッチ。
クラストはこみ上げてくる嬉しさを喉の奥に押し込んだ。
「……クラストの兄か? だがあいつに兄弟など……他人の空似……いや、それも違う……」
クラストは戸惑う彼を見下ろしながら思った。
これは、彼女の言った通りだ。
「おい、お前。何とか言ったらどうだ」
世界を救う。勇者を導く。
クラストは酩酊から目覚めたように、はっきりと自覚する。
「リッチ……俺はクラストだ。勇者が敗北した六年後の未来。そこから来たんだ」
聡明な少年は顔を引き攣らせる。
「未来から来た? 勇者様が、負ける……? おい、不敬罪だぞ!」
「不敬罪でもなんでもいい、未来を変えられるのは現在しかないんだ。俺はトアルを――大事な人を助けなくちゃならない。リッチ、勇者の居場所を教えてくれ!」
言葉を返さなくなった彼は、やがて顔つきを変える。
「気でも触れたのか……だとしても言動がはっきりしすぎている。この家に入ったことをうやむやにしようとしているんじゃないか……、だがクラストを騙る理由はなんだ……?」
ぼそぼそと呟いた彼は、おもむろに顔を上げる。
「……まさか本当に、クラストなのか?」
俺は勇者について詳しくない。だからリッチの協力が必要だった。
俺はとつとつと語った。
遠くない未来に勇者が敗北し、魔族による統治が始まること。
勇者の行方を捜すため、魔族が人間たちに殺し合いを強要させたこと。
そしてリッチの末路とトアルの魔法について、俺はすべてを明かした。
彼は顎に手を添えたまま、固く耳を立ててその話を聞いていた。
「……だから俺は、勇者の居場所が知りたいんだ。一刻も早く追いついてトアルを救わなきゃ、また同じ結末を繰り返すことになる」
リッチはその結びを聞いた後、ゆっくりと口を開いた。
「荒唐無稽も甚だしい」
「それでも、お前の力が必要だ」
「……仮にそれが本当だとして、お前に勇者様が救えると思っているのか? 魔王との戦いに巻き込まれることになるんだぞ。なんの力も持たない君が、どんな助けになるというのだ」
クラストは僅かに顎を引いた。
それは尤もな意見で、俺自身わかっていることだった。でも、
「力があるとか、役に立つとか、俺には関係ない。守りたいもののために一生懸命になって何が悪い。憧れだったんだよ。どんなときも堂々と胸を張って自分の意見が言えるお前や、みんなのために何年も耐え忍び続けたトアルが。そんな二人を目の前で殺されて、平気でいられるほど俺は腐っちゃいない。何があっても勇者のところへ行く。そうしなきゃ、いつまで経っても俺は誰かを救うことも……誰かに寄り添ってあげることもできないんだ」
クラストは拳を握りしめた。
「……そうか」とリッチは小さく呟く。
静かな山吹色を湛えた彼の瞳は、夕日のような鮮やかさを垣間見せる。
深呼吸した彼はクラストを見つめ返した。
「……やはり君はクラストだな」
口角を上げるリッチに、どういう意味だ、そう言おうとした。
しかし彼はそれを遮って、
「面白いな、未来からやってきた勇者を救う者……これはいい。英雄を越える英雄になれるぞ。クラスト、その旅路には私も同行しよう」
「……は?」
意気込む彼の態度に、間抜けな言葉が宙を舞う。
「何をぐずぐずしている。勇者様は待ってくれないぞ」
扉をあけた彼は、調子良さそうに続けた。
「よもや約束を忘れたのではないだろうな」
「ま、待てよ。約束ってなんのことだ」
「決まっているだろう。大人になって、まだ魔族が蔓延っていたのなら、私たちは冒険者になるんだと」
確かに、こいつはそんなことを言っていたような気がする。
子どもの頃の淡い幻想だと思っていたが、『大人になったら』の定義に『どちらかが』なんて枕詞がつくとは想定外だ。
幻想は霞むどころか実体を伴った。
「待てって! 子どものお前を連れていくことはできない。危険だし、貴族の息子だろ。それに家のことはどうすんだよ。まさかお付きの騎士にでもついてきてもらうつもりか? 伯爵家の軍を動かすことができるのか?」
彼は悪戯っぽく笑った。
「勇者様について知るには私の協力が必須のはずだ。急いでいるならなおのこと私に頼らざるを得ないだろう。それと、軍に働きかけるなんてそんな野暮なことはしないのさ。大丈夫、家のことはこっちで何とかしておくから、大船に乗ったつもりで構えていてくれ」
やはりこいつは変わってる。変わってるというか、気味が悪い。
しかし今はその奔放さが、少しだけ頼もしかった。
「そんなことより……もっと深刻な問題があるのさ」
彼は声のトーンを落とす。
「……クラスト、君も気づいているんだろ?」
やっぱり、鋭いな。
気づかないはずがない。
だってお前はそのせいで、命を落としたんだから。
「君の話したことが正しければ、未来の私は誰かに指示されてトアル――――推察するに『雷鳴の勇者』様を暗殺しようとしていた……」
雷を操る勇者。その正体はトアルだった。
クラストの背筋に冷たいものが過る。
「うん、その通りだ。そしてリッチがトアルを殺すために得たあの力を、魔族は勇者の力だと認めていた。ということは多分……」
「多分ではない、確実にそうだといえる」
リッチは断言する。
「勇者様たちのなかに裏切者がいる。そして恐らく、そいつのせいで彼らは敗北したのさ」
俺がいた時代と同じ。勇者は全部で五人。
『雷鳴の勇者』
『百剣の勇者』
『克死の勇者』
『鋼の勇者』
『神罰の勇者』
彼らは人々の救済のために立ち上がり北へ向かった。
立ちはだかる魔族を退け、ついに魔王と雌雄を決する。
そしてその後、勇者は敗北したのだ。
*
ダルク歴282年
長く続いた魔王国との大戦は、人間の国に多大なる傷跡を残した。
魔族による侵攻は各地で続き、多くの国が滅び潰えた。
絶望の淵に立たされた人々の前に現れた、比類なき力を持つ異能の者たち。
魔王を滅さんと立ち上がった彼らを、
人は『勇者』と呼んだ。




