53、“また”追放しますか?
聞き覚えのある声……エルミナは顔を上げた。
先ほどとは違い、目には少しだけ光が戻っている。しかし、周囲を見回しても誰もいないことに気がついた彼女の心は、さらに重くなっていく。気のせいだろう、と気分が沈んでいた彼女の背中を、何か温かいものが包む。
後ろを振り向くが、彼女以外誰もいない。また錯覚だろうと小さくため息をつくけれど、背中はじんわりと温かい。
心の弱さが生み出した幻想か、と重い頭で考えていたエルミナ。
しかし、先ほどとは違い、期待している自分も心の中で顔を覗かせる。そんな彼女の元にまたレアの言葉が聞こえた。
「ねえ、ミナ。私と一緒に旅しようって言ったじゃない! ベルドさんとウルもいるよ? 」
興奮したような声のレア。けれどもその途中途中で嗚咽が聞こえる。
そうだ、レアと一緒に聖女の力を使いながら依頼を受けようと約束したじゃないか。
美味しい物を食べて、色々な依頼を受けて……楽しく旅をしようと笑い合ったじゃないか。
……確かに辛いこともあった。けれど、楽しいこと、嬉しいこともあった。
初めて浄化魔法を掛けた時に、「ありがとう」と言ってもらえたこと。
魔物の討伐で「助かったよ」と共に戦った仲間から頼りにされたこと。
追放されたけど、ベルドとウルという気を許せそうな仲間を見つけられたこと。
そして――
「レアに出会えたこと」
ミナは顔を正面に向ける。その瞳にあるのは、闇夜に輝く星のような光。
酸いも甘いも知り……辛い過去も、幸せな今も、全て受け入れた彼女の瞳にもう迷いはなかった。
彼女は闇の中へと手を伸ばす。するとそこには先ほどまで無かった小さな光が灯っている。ミナはその光を掴もうとして――
「ミナ、おはよう」
重い瞼を開いて最初に見えたのは、目に涙を溜めたレアだった。
どうやらミナは庭に横たわっているようだ。真上には夜空が見え、いくつかの星が輝いている。レアは私が目を開けたからだろうか、涙を流しながら笑うと言う器用な行動をしてのける。ミナはそんなレアの様子に目をまたたいた後、彼女に向けて微笑んだ。
「レア、ありがとう」
「いいの。ミナが目を覚ましてよかった……」
レアはミナの右手を両手でぎゅっと握りしめる。その温もりは、暗闇の中で背中に感じたものと同じだった。ミナとレアはその後喋ることは無かったが……二人の間には、安堵の空気が漂っていた。
しばらくして……二人の空間を引き裂く者が現れた。
それは王太子と大司教である。
大司教は治療を施された後、目覚めた王太子に現状を説明した。そして二人はミナが起きるのを待っていたのだ。
「お前……! 私に危害を与えるとは許さん! だが、契約を結べば今回のことは水に流してやる!」
「殿下の慈悲に泣いて喜ぶように」
目の前でキャンキャンと吠えながら、新たに書類を突き出してくる二人に、後ろに控えている護衛ですら顔が引きつっている。周囲の凍りつくような視線に気が付かない二人は、延々とミナに今回のことを許してほしければ、聖女へと戻るように脅し始める。
ミナは最初レアにお礼を告げていたが、しばらくして二人へと顔を向けた。レアに向ける瞳は優しく、愛情を感じるものだったが……二人に向ける瞳には全く感情が篭っていない。強いて言うなら道端に落ちているような石のように、興味がないと言わんばかりの表情だった。
「王太子殿下。そんなに言うのであれば、ひとつ聞きたいのですが。もし契約を結ばなかったら、私はどうなるのでしょう?」
ミナの言葉に王太子はウッと口籠る。
痛いところを突かれたと言わんばかりに、彼女から視線をゆっくりと逸らし始めた。それを見た大司教は、勢いよくミナへと顔を向けてから睨みつける。
「お前は! 王太子殿下の優しさを無碍に――」
「“また”追放しますか?」
ミナは大司教の言葉を遮り、目を細めて二人に告げた。
無関心だった表情は変化し、今やまるで虫ケラを見るような……そんな圧を二人は感じていた。二人は「無礼だ!」と叫ぼうとするが……できたのはあごを小刻みに震わせるだけだ。
王太子がミナの前に出している書類に、再度彼女は目を通した。
あの時は操られていたこともあり、上の段しか読めていなかったが……全ての項目に目を通す。その姿を見て、大司教と王太子の顔には笑みが漏れた。
「や、やっと契約する気になったんだな!」
「静かにしてください」
ミナに一蹴され、王太子は反論できずに口をつぐむ。大司教もミナを叱ろうと口を開こうとしたが……それを察した彼女に細目で見つめられたために、顔がこわばる。
そんなミナの後ろから、顔を覗かせたのはベルドとレアだ。彼らもミナに引き続き、書類の内容を確認し始めた。
「へぇ、王国は聖女を馬車馬のように働かせるのが主流なのかな。この仕事量は一人でできるものではないよね?」
「できませんねぇ。むしろこれ、教会の仕事を全部ミナに押し付けようとしてますね。このことを総本山が知ったら……」
「総本山――」
レアの言葉に大司教の顔から血の気が引いていく。まるで今その存在を思い出したかのように。
「この国は総本山から遠いですからね。何もできやしない、と高を括っていたのかもしれません」
肩をすくめるレア。彼女の指摘に図星を突かれたのか、大司教の表情は暗い。
長い間王国の教会を牛耳っていたから、とうの昔に頭の中から抜け落ちていたのだ。彼は王国の教会を任されただけの存在であることを。
「そもそも大聖女の出処進退は総本山の者の許可が必要だったよね?」
「そうです。ですから、王族やいち大司教がいちゃもんつけて追放すること自体がおかしいんです。聖女は国の管理下ですけどね。普通の大司教であれば、そういうことは理解していると思うんですけど」
ため息をつきながら話すレア。
そして彼女の言葉に目を丸くしている王太子。どうやら彼はそのことを知らなかったらしい。以前、ミナの追放の件については、国王の許可も得ていると彼女は言っていた。つまりランディアの王族自体が、教会の仕組みについて理解していないことになる。
そう考えるとグランデは、まだ戒律に沿っているからましなのだろう。聖女の管理については、国の教会に委託されているとの話なので。
レアとベルドが話している間に、ミナは全ての書類に目を通し終えていた。そして王太子の手から書類を引き抜く。呆然としていた王太子も、紙がなくなった感覚で我に返る。
王太子の口角が卑しく釣り上がった。書類を受け取った、つまり戻ることを了承したと判断したからだ。
これで全てが元通りになる……!
そう思った彼は、高笑いを抑えようと口元が歪む。
彼の予想通り、ミナは書類を持って立ち上がった。
――私の盤石な時代がやってくる。
薔薇色の未来が確定したと思った王太子。彼の顔に卑俗な喜色が浮かんだその時。
「契約、お断りしますね」
それと同時にミナは、まるでゴミを捨てるかのように……受け取った書類を手放した。




