第08話『仲良きことはいいなあ』
リンちゃんとレンちゃんのコンクール(だと思われる)のその日の夕方。朝と同じ鞄を持った二人が天王寺駅の階段を降りてきた。中学生にしては珍しく、親や兄弟を誰一人連れ添わずに二人で帰ろうとしていた。
結果がどうだったのか分からないが、二人の足取りは朝のそれよりも重くなっている、ような気がする。
「明日は、どうする……?」
電車に入ったと同時、リンちゃんが口を開いた。まるで思い出したかのような口ぶりだった。ホームに登る階段でも無言でいたようだ。二人とも下の方を向いていたし、険悪とまでは言わずとも何かしら事情があることは伝わってきた。
「私は家にいる」
「そうなんだ……」
「遊ぶのはまた今度にして」
「うん、ごめん」
日曜日の夕方だったのに、乗客はいつもほど多くはなかった。閑散とした車内はそのまま彼女らの心内を表しているようで寂しくなる。
察するに、リンちゃんの方がレンちゃんよりも成績がよかったということだろう。
「リンが謝ることじゃない」
「そうだよね、ごめん」
「だから……もういい」
なおも申し訳なさそうに謝るリンちゃん。もしかしたら引け目を感じているのかもしれないが、そんなので悩む必要なんてない。悪いのは練習不足で、リンちゃんに負けたレンちゃんだ。
それが現実。二人で全国に行こうという約束を守れなかったのはレンちゃんで、リンちゃんが後悔する必要はどこにもない。
まあそんなのわかってても優しい人間なら誰だって申し訳ないと思ってしまうものだけど。特に、リンちゃんのような引っ込み思案の女の子であれば。
「私、今日は芦原橋で用があるからリンは一人で帰って」
さっきから、今も、レンちゃんはリンちゃんの方を見ようとしない。ちょうど向かいになったレンちゃんの顔が良く見える。目尻から顎に伝っている線はおそらく涙の跡だ。
それが嬉し涙か、悔し涙かは想像するに容易い。
「わかった」
暫くして、絞り出すようにリンちゃんは答えた。リンちゃんはレンちゃんの言葉の意味を理解しているだろうか。どういう気持ちでレンちゃんがああ言ったのかリンちゃんは感じ取れているだろうか。
いや、俺でさえ大体分かるのだからリンちゃんに分からないはずがない。
今宮駅に着くと、リンちゃんは一人で電車から降りた。多くは言わずに「またね」と手を振るとリンちゃんは返事を待たずに行ってしまった。
「余計な気は、使わなくていいのに……バカ」
小さくてよく聞こえなかったが俺にはそう聞こえた。確かではないが俺は自分の耳が正しいと思っている。なぜなら、彼女の頬には彼女の溢れる気持ちが流れていたからだ。
呟くとレンちゃんは袖で目尻を拭い、空いている席にどっかと腰掛けた。
徐ろに鞄から何かの紙を取り出しそれを読みふけっている。時折、筆箱の中から出したシャープペンシルで書き殴っている。
今宮駅から芦原橋駅までは約一分ぐらい移動する。その僅かな時間の中で、レンちゃんは読んで書くことをやり続けた。
律儀なことに彼女は、リンちゃんに言ったように芦原橋で降りた。
俺の乗っている電車が再び動き出したのと同時に、彼女が反対側のホームにたっているのが見えた。その手には先程鞄から取り出した紙があり、レンちゃんはそれを睨み続けていた。
◆ ◆ ◆
一週間後に彼女らは電車に来た。前と違ってコンクールの用の鞄ではなく、外出用の可愛らしい鞄を持っていた。服装は適当なTシャツではなく流行に沿った可愛い服だった。
先週のコンクールの日は喧嘩ではないようだが妙な雰囲気があった。その空気はまるで窓を全開にしていたかのように無くなっていた。階段を登る時も笑いあっていたし、お互いのほっぺたをツンツンしてじゃれていた。青春してるなあ。
きっとなんやかんやあって二人は問題を解決出来たのだろう。
「リン、ちゃんとあれ持って来た?」
俺はそういう風な意味に聞こえた。実際は「リンちゃんとあれ持ってきた?」と言った。問題はどこに読点が付くかで、リンの後に付くのか、ちゃんの後に付くかで大いに意味が変わる。俺の推理ではリンの後に付くと結論付けたわけだ。
というか、レンちゃんはリンちゃんのこと「リン」って呼ぶし。
「持ってきたよー。ほらっ!」
ガサゴソと鞄を弄り取り出したるは十数枚の紙。ぱんぱかぱーんと両手に広げたそれらには様々な模様や文字がプリントされていた。
「これで今日は全部乗れるよ! 多分」
「多分じゃないよ。私のもほら!」
じゃじゃーんと扇形に広げたそれらも様々な模様が印刷されている。
「おおー!」
大量の優先券を前に喜びを隠せないリンちゃん。
二人合わせて三十枚はあるだろう。
それが一体何の優先券か、分かる人には分かるだろう。
ちなみに乗車駅は今宮駅、車両は環状線の西九条・大阪行きである。このこととさっきの大量の何かの優先券とで導き出せることはただ一つ、大阪名物の「ユニバーサル・スタジオ・ジャパン」だ。
噂では聞いたことがある。今日のような休日に人気のアトラクションに乗ろうと思えば、二、三時間待つのは当たり前だという。それでは朝から行ったとしても一日で乗れるのは五種類ぐらいではないか。高いお金払って割に合わない気がするが……俺などには想像できないサービスが待っているに違いない。
「ところでリン。本当によかったの? 六月にはコンクールがあるんじゃないの?」
レンちゃんらしからぬ小さな声で、リンちゃんに尋ねた。
「練習も大事だけど、たまには遊ばないとね」
「そりゃそうだけど……」
リンちゃんが許しても、レンちゃんの歯切れは悪い。本人がいいと言っているのだから気にすることないだろうに。
「大体レンちゃん。私から誘ったんだからいいに決まってるよ」
「そうなんだけどさあ」
へえ。リンちゃんから誘ったのか。意外といえば意外である。そういうイベント事はリンちゃんよりレンちゃんの方が好みそうだ。
まあしかし、それも見た目と今まで見てきた中で得た印象だ。よく知りもしない人をこうだと決めつけるのはよくない。
どこぞのおもちゃ好きの世界の名探偵は決めつけてかかり、違ってたらごめんなさいでいいと言っていたがそれはまた違う問題だ。
「そんなことよりどこに乗るとか、お昼どこで食べるとかの話をしようよ」
「うっ、確かにそれは決めないと……よし、じゃあ最初はジュラシックパーク行くよ!」
いきなりかよ。
「いきなり?」
「当たり前じゃない。楽しいものから行かないでどうするの。微妙なやつばっか乗ってて隕石が落ちてきたらどうするの!」
「うん。そうだね」
ご飯は美味しいものから食べる派のレンちゃんはめちゃくちゃな理論を放つ。いつもの弾けるような声音と踊るような笑顔を見て、リンちゃんは安心したのか柔らかく微笑んでいる。
そんな女子中学生二人を眺めてニヤけるおっさんが一人。どうも俺です。