第15話『頑張ればなんとかなる』
八月の間、優凛ちゃんを見かけることがなくなった。元々どの車両に乗るかは彼女の気紛れによることが多い。それでも暁美ちゃんや他の生徒もほとんど見かけなかった。
学生かと思うと私服だったり、明らかによそ行きの格好だったりする。ジャージの学生もいたがやはり普段に比べると少なく感じた。
まあ、夏休みだろう。
学生は減少したが変わらず社会人は電車を使い続ける。学生が夏休みだとしても働く人の休みはお盆休みくらいしかないからだ。
「暑っつい」
「いやー暑いねー」
変わらぬ日々が経過し、再びこの目で優凛ちゃんを見たのは九月上旬にだった。空いている座席に腰を下ろし、茶髪の方がふーと大げさにため息をついた。
時間にして午後四時。この時間ということは、入学式などはもう少し前に終えているのだろう。
「今日はいい日だね優凛」
「別に、普通」
「こんなにいい日はもうないよね」
「あるでしょ。受かる日とか」
「私はそれより嬉しい」
「あーはいはい」
今日はいい日だと譲らない暁美ちゃん。俺の見たところ、普通の快晴だし、客の量も普通だし、これと言って特別という感じはしない。
それは俺にとってのことで暁美ちゃんにとってはそうではないらしい。
「だってさ、優凛にテストの点勝ったんだから!」
な、なんだってー!
驚愕のあまり、俺は言葉を失った。まさか、まさかあの暁美ちゃんがクールっぽい優凛ちゃんに勉強で、勝った?
……いや、俺は信じない。二次関数が何かもわからないような人に優凛ちゃんが負けるわけが無い。
「まだ言ってる……国語だけじゃん。それにただの宿題テストじゃん」
「それでも嬉しいんですー」
ああ。一教科だけか。それなら、まだ納得の余地はある。宿題テストという単語はあまり聞かないが、模試とは違うものなのだろうか。
「確かに国語は負けたけど、暁美は他が微妙じゃん」
「国語で百点取るために他は犠牲になったんだ」
「私は全部九十五点前後」
「あーはいはいすごいすごい」
「そんな適当な……」
あんたはいつもすごいじゃん。と呆れたように褒める暁美ちゃん。ただ勉強を頑張っただけで呆れられるのだから優凛ちゃんもたまったものじゃないだろう。
九十五点というのが今回行われたらしいテストにおいてどのぐらいの凄さなんだろう。普通に考えると高得点だ。学年トップテンに入っていてもおかしくない。
それにしても国語で百点をとった暁美ちゃんも中々凄いのでは。
「優凛のより、私頑張ったから褒めて欲しい」
「平均点八十もないけどよく頑張ったね」
「そんな嫌味言わなくてもいいって」
「まあ本音を言うと受験勉強と並行しての点数だし上出来じゃない? 前と比べれば月とスッポン」
「ありがとう! でも月とスッポンってなんすか?」
テンポよく進んでいた会話が突然途切れた。
優凛ちゃんが目を丸くして驚いている。
俺も同感だ。月とスッポンのような簡単な諺は常識の範囲内にある。テレビと言わず漫画や小説の中でもよく使われると思っていたのだが、暁美ちゃんは知らなかったらしい。
「要するにすごい差があるってこと」
「へー。そんなのがあるんだ」
「本当に知らなかったのね」
「え、なんて?」
呆れを通り越して呆然としている。これは教育の必要がありそうだ。学校では勉強を教え、社会の常識を教えるがそういった知識の常識は教えてくれない。
なんなら俺が教えてやりたいくらいだ。まあでも俺のようなただのおっさんには無理だろうが。
「私はともかく、塾の先生は褒めてくれるんじゃない?」
「あ、だよねー。やっぱり優凛もそう思うよね。だって百点だよ! 完璧だよ!」
やはりというか、彼女達は塾に行くようだ。
「それもだけど、暁美って元々信じられない馬鹿だったじゃん。全教科の平均が四十点いかないぐらいの。それからよく平均七十ちょいまで上げたもんだよ」
「うん。ありがとう」
「いや別に褒めては……いや褒めてたわ」
自分の言ったことを振り返り、冷静に分析したところ優凛ちゃんは褒めていたらしい。本人にその気がないままに人を褒めるなんてなかなか難しそうだ。
「塾の先生よりやっぱり優凛に褒められる方が嬉しいんだよ。よく勉強に付き合ってくれたしさ」
「付き合ったっても別々に勉強してどうしてもわからない所を教えたってだけだけどね」
どうしても、と言ったあたり優凛先生はどちらかと言うとイメージ通りスパルタ式のようだ。ちなみにスパルタじゃない場合は「わからないところは全部教える」スタイルを指す。もちろん勉強は一人でやるものなのでスパルタの方がいい。いいに決まっている。
「連れないねー。いい? 質問したらわかるまで教えてくれる存在ってめっちゃありがたいの」
「まあ、教えた身としても嬉しく思わないこともないけど」
無視? と暁美ちゃんは眉を歪めるがすぐにニヤケ面になった。
「また照れて。素直に嬉しいですぅ。って言えばいいのに」
「そんなキモイ事言わない」
「たまには優凛も弾けなさい」
「疲れる」
「どんな人間でもストレス発散しないとやっていけないの。例えば叫ぶとか。というわけで今度カラオケ行こ」
「考えとく」
天王寺駅に着いたことを車内アナウンスで知り、ドアの往来を眺めてみた。一段落ついて彼女達がいた座席に振り返ると二人の姿は既になかった。もう行っちゃったかと駅の階段を見やると制服の後ろ姿を二つ捉えた。
中学三年に上がる頃、暁美ちゃんの成績はいいとは言えなかった(らしい)。
それが今や宿題テストだとしても、平均点が七十もあり一つは百点を取った。この調子なら心配はご無用みたいだ。




