2:天使の女の子②
「源!?どうしたのそれ!?」
源が部屋に入ってくるなり紗依李はギョッと目を見開いた。源の頭に巻いてある真っ白な包帯がひどく目立っている。今まで怪我はしてきたが頭というのは初めてだった。
「ああ、大した事じゃないよ。ただ、野々宮に辞書をぶつけられただけ」
何でもない事のように言った源を紗依李は呆然と眺めた。ぶつけられただけ・・・たとえそうであったとしても、それが“辞書”であるのは問題だ。しかも頭になど、下手したら大怪我しかねない。
「だけって・・・・。痛いでしょ?病院行ったほうが・・・」
「平気だよ。一応手当てしてもらったし」
「・・・手当てして(・・)もらった(・・・・)?」
その言葉はまるで未知の言葉のように紗依李の耳に響いた。あの場所に源が怪我した事を気にして、その上手当てをしようなどという奇特な人間がいるとは思えない。黒い靄に覆われていない人間も確かにいる。だが、学年が違うから源とかかわりなど無いし、教室での事など知りようもない。
「ああ、今日転入生が来たんだよ。そいつにな」
時期外れの転入生に興味を覚えると同時に同情した。何もこんな学校に来なくてもいいのに。知らなかったのだとしてもあまりに不憫だった。そして、その転入生もまた彼らのようにおかしくなってしまうのだろうか。
「転入生・・・。かわいそうだね。何もこんな所に来なくてもいいのに」
「そうだな。でも変わった奴だよ。周り無視で俺に話しかけて来るし。・・・それに、なんとなくお前に似ている気がするんだ。・・・どっちかって言うと昔のお前に」
紗依李の顔から一瞬表情が消えた。じっと源を見つめる。昔は紗依李や源にとっては触れられないもの。それが暗黙の了解となっているはずだった。紗依李にとってもあまりいい思い出とはいえない。
「昔の・・・?」
「ああ。・・・お前、そいつに会ってみない?」
「え?」
「お前とそいつ、相性がいいような気がする」
源が紗依李と誰かを会わせようとしたのは初めてだった。
源は決して冗談を言っている風ではない。この世界で今、唯一信用できる源の言葉を信じてみることにした。その結果がどうであったとしても、源と紗依李の止まった時が動き出してくれるようなそんな気がした。何故、そう思ったのかは解らないが。
「わかった」
「じゃあ、明日の放課後に教室でな」
「明日!?」
あまりに急だった。既に約束を取り付けてあったのだろう。こんな強引な源は初めてだった。
「・・・ところで名前は?」
「愛染澄。会えばすぐにわかる」
紗依李は源のその言葉を不思議そうに聞きながら、頷いた。
「やば・・・遅くなっちゃった・・・」
紗依李はオレンジ色に染まりつつある空を窓ごしに眺めた。もう30分も経たずに空は黒へと色を変えてしまうだろう。もうすぐ、下校時間が来てしまう。それが過ぎてしまえば、学校にとどまる事など出来なくなる。
源は放課後、と入っていたが下校の後にとは言っていない。普通“放課後”といえばSHR終了後であって、下校時間終了後ではない。紗依李は約束どおり教室にいくつもりだった。それが出来なかったのはいつもの行事のおかげだ。今日は・・・いつもより若干人数が多かった気もするが。
立ち上がろうと体に力を入れた紗依李の顔が一瞬凍りついた。激しい痛みに襲われ、歯を食いしばる。倒れるのも涙をこぼすのも、誰かに助けを求めるのもごめんだった。
壁に捕まる事で何とか立ち上がり、足を踏み出す。
痛む体を引きずるようにして教室にやってきた紗依李は軽い深呼吸とともに扉を開き・・・その場に固まった。
中にいたのは1人の少女だった。青葉学園の制服に身を包んでいたが、ひどく目立つ存在だった。それは、決して教室の中に人が彼女しかいないからでも、彼女の髪の毛が淡い銀色に光っていたからでもない。彼女のかもし出す雰囲気が、空気が澄んでいて、この学校の中に感じる強いよどみも、すべて吹き飛ばしてしまいそうなほどの強く綺麗な白だった。
「あなたは・・・誰・・・?天使・・・?」
紗依李の言葉に中にいた少女が軽く目を見開く。まさかそうくるとは思っていなかったらしく彼女はポカンと紗依李を見つめる。その腕の中にいた黒い猫が小さな泣き声を落とし窓の外に消えていく。
ここが3階なのも、その窓の下にベランダが無いという事実も気にならなかった。
いつの間にか生暖かい水が頬を伝った。それを皮切りに紗依李はポロポロと涙をこぼし、しゃくり上げながらその場に座り込んでしまった。




