3 宙弥の受難(?)
3 宙弥の受難(?)
「それはね……主(神様)が――」
そこまで言いかけると、さーちゃんは「コホン」とわざとらしく咳払いをした。そして、主のあの野太い声を(あまり似ていないが)真似て、今日来た理由を告げる。
「“今のヲタトロンの能力では、バシレイアで生き残るのは困難だ。剣の稽古をつけてやれ”」
「主がそこまで考えてくれていたなんて……」
僕が主の慈悲深さに胸を熱くしていると、さーちゃんのモノマネ(似ていない)が続く。
「あとね、“どうせオマエは、アニメを観るために我の与えた使命を半分サボっているから、その時間で義兄を助けてやるがよい”って仰ったんだよ? 心外だよね、そんなにサボってるつもりないんだけどな~」
「うーん。これは、数年の内に”天使の園”の住人がもう一人増えそうだ」
僕が天使だった頃から、さーちゃんは推しのアニメが始まると、仕事(サブカル守護)の手が止まる癖があった。ゲェムほど露骨ではないにせよ、どうやら今もその悪癖は健在らしい。
「もう、義兄さんまで!」
「いや、笑い事じゃないぞ。ゲェムやノミ先輩の前例があるんだから。これ以上、主に目をつけられたら、本当にそうなるぞ? 使命はちゃんとしないとダメだ」
「善処するよ……」
さーちゃんは“うぅっ”と唸りながら、しおしおと肩を落とした。どうやら彼女なりに、反省をしたようだ。
「……わかってるよぉ。主のあの光、怒ると本当に目が潰れそうなくらい眩しいもんね」
さーちゃんは観念したように肩を落とし、アリスブルーの髪を揺らしながら小さく溜息をついた。
「あと、なにか仰っていたか?」
「うん。――と言っても、これはみんなにだけど。コホン。“<我の恵みはお前達に十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ>と、モブトロンとゲェムとあと……えーっと……酔っ払い娘に伝えるのだ”って」
「主が僕達にそのようなお言葉を……」
主の激励の言葉に、僕は熱いものが込み上げるのを感じ―― かけたが、即座に我に返った。
(――って、僕の名前間違えている!! 主よ、名前を間違えています……僕はヲタトロンです……あと、ノミ先輩の名前は―― まあいいや)
確かに、今の僕は黒髪黒目で中肉中背。顔も良くも悪くもない、前世の概念で言えばクラスメイトAのような“モブ”そのものの見た目だ。
だからといって、間違えるのはどうかと思う。というか、最初は間違えてないのに……
「さーちゃん、僕の名前訂正してくれた?」
「うん、しておいたよ。”主よ、義兄さんの名前は、ヲタトロンで、お酒好きなのはガブノミエル先輩です”って。そうしてら”メンゴ、メンゴ。うっかりしてたぞい”って仰ってたよ」
さーちゃんは、いつもの可愛らしい声で、主の謝罪を報告してくれた。
(まあ、天使は僕達だけではないし、間違えられても仕方がないか……)
僕がそのように結論づけていると、さーちゃんは空中に淡く光る魔法陣を展開し、そこから二振りの木刀を実体化させた。
「はい、これ。義兄さんの分!」
放り投げられた一振りを、僕は掌に伝わる感触を確かめるようにして掴み取る。十歳の細い腕には、それは驚くほど確かな、そして過酷な重みを持って伝わってきた。
「じゃあ、早速始めようか」
さーちゃんが木刀を中段に構える。天界でも指折りの剣士である彼女は、一見無造作な立ち姿でありながら、どこにも付け入る隙がない。
(流石はさーちゃん。隙がまったくないな……)
さーちゃんの中段に対し、僕は迷わず木刀を上段に掲げた。
前世の僕が“野太刀”のような長刀を振るう剣士だったからだ。
(腕が……震える。この筋力で上段を維持するのは無理か)
かつての愛刀よりずっと軽いはずの木刀が、今の細い腕には恨めしいほど重く感じられた。
そのため脇構えに切り替える。
お互いに構えたまま、身じろぎもせず相手の出方を窺う。
静寂を破ったのは、さーちゃんの突拍子もない告白だった。
「義兄さん。私、今まで“おねしょた”ってジャンルには興味なかったんだけど……」
「なっ なにを言ってるんだ?」
本当はわかっていた。
だが、あえてとぼけてみせる。
しかし、天使時代、サブカルを守護していた―― いや同じオタクの僕には分かってしまう。彼女の瞳の奥に、剣士の鋭さとは別の“危険な光”が宿ったことを。
そして、その不安は的中してしまう。
「でも、おねしょた……アリだね!!」
「さーちゃん、稽古に集中するんだ!」
僕の忠告はあっさり無視される。
「大丈夫だよ! おねーさんが、優しくしてあげるからね~。ショタトロンちゃん~♡」
「誰がショタトロンだっ!!?」
殺気ではなく、湿り気を帯びた圧を放ちながら、彼女が距離を詰めてくる。
「さーちゃん! 冷静になるんだ! 主のご命令を忘れたのか! 君の任務は僕を鍛えることであって、欲望をぶつけることじゃない! そもそもさーちゃんは欲望に忠実すぎるんだ! 好きな声優さんが出るからと言って、任務を放棄しようとしたり――」
「もう! ショタがお姉さんに、マウントを取っちゃダメ! それは”おねしょた”じゃないの!」
「えーーーー!!?」
こうして、僕は貞操の危機を感じながら、振り下ろされる木刀(と欲望)を必死に捌き、僕の初日の修行は幕を閉じた。
だが、この稽古を十四歳までおこなったおかげで、僕の受け流しなどの防御技術は格段に向上することになる。
しかし、順調なことばかりではなかった。
十二歳の時―― その試練は突然が訪れる……
【ギフト】――
人が十二歳になったとき、主から与えられる特別な力。
その力はさまざまで、多くの者がそれを活かせる道へと進む。
適した力を持つ者と、そうでない者とでは、越えがたい差が生まれてしまう。
ギフトを授かった翌朝。
冷酷な現実に絶望した僕は、薄暗い自室で、唯一の光である魔導携帯の画面を虚ろな目で眺めていた。
「宙弥くん。気持ちはわかりますが~、【ギフト】に頼らずに大成した人は~、たくさんいます~。ですから~、あまり気にしすぎないでくださいね~」
様子を見に来てくれたマリナさんの声も、今の僕には届かない。
僕が授かったギフトは【RKSWF】――
刀を持っている間だけ、自分に弱い回復効果を付与する能力だ。
一見便利そうだが、回復量は低く、自分にしか使えない。
しかも刀を手にしていなければ発動すらしない。
薬で代用できる程度の力――
正直、“当たり”とは言いがたかった。
一方、リーアのギフトは強力な魔法銃による狙撃能力。
同じような妙な名前でも、その差は歴然としていた。
……やはり、罪の重さの違いなのだろう。
もっとも、主から「チートは与えない」と言われていた以上、驚きはない。
覚悟もしていた。……残念ではあるが。
僕が絶望している理由は――
「マリナさん。宙弥くんが落ち込んでいるのはギフトじゃないですよ。昨日、“推しのバーチャルアイドル”に恋人がいるって発覚したらしくて」
そう! その通りだ!!
僕の推し、“シオにゃん”に恋人がいたのだ!!
配信のチャット欄は一瞬で地獄と化し、僕もその中で見事に魂を持っていかれた。
結果、今の抜け殻状態である。
「そういう理由なんで、放っておけば治りますよ」
(くだらないとは何だ! 世界の終わりだぞ!)
「そのうち次の推しが見つかりますし」
「そうなんですか……宙弥くん、元気出してくださいね」
マリナさんの優しい手が、逆に胸に刺さる。
二人が去った後、僕は呟いた。
「“次の推し”なんて……そんな簡単に見つかるものじゃない……」
この世界での二年間。
鍛錬を続けられたのは、推しの存在があったからだ。
その支えを失った今――
心は、音を立てて折れていた。
(……僕は、何を支えに生きればいいんだ)
その瞬間――
スピーカーから、歌声が流れ出した。
まだ少し拙い。
だが優しく、穏やかで、それでいて芯のある声。
祈りのように、願いのように――
直接、心に触れてくる。
僕は気づけば、画面に見入っていた。
その歌は、折れた心に静かに染み込み、
消えかけていた情熱を、もう一度灯してくれる。
画面に映るのは、バーチャルアイドル――
<セシリア・クロス(シィシィ)>。
彼女の、初投稿動画だった。
(……偶然か? いや―― 違う! これは奇跡だ!!)
僕はこの奇跡のような出会いを主に感謝し、彼女を新たな“推し”として迎え入れた。
そして、十八歳になった今も、僕は彼女を推し続けている。
次の事件が起きたのは、十四歳の時だった……




