第58話 神官、服を買う
よく晴れた日、わたしたちはリベラの大通りを歩いていた。
立ち並ぶ店のなかで、リボンの装飾で縁取られた可愛い看板が目に止まる。
『クチュール・ビビアン』――ピカピカに磨かれたショーウィンドウの中には、夏物の涼し気なドレスが並んでいる。
(可愛い……でも、着る機会なんてないよね)
わたしは胸の内で自分にそう言い聞かせた。
あんな可愛いドレスなんか着たことがないし、似合うかもわからない。何より、恥ずかしい……。
「アグネス様?」
「鳥王に行こうよ! 串焼き食べたい」
そう言って歩き出そうとしたのに、イグナシオはその場から動かなかった。
「イグナシオ、早く行こうよ!」
「入ってみましょう」
「えっ……?」
目の前で、少し年上の女の子たちがドレス店へと入っていく。
「でも……わたし、神官見習いだし」
もじもじしながらそう言うと、イグナシオはわたしを真っ直ぐに見てから微笑んだ。
「神官見習い、やめますか?」
「えっ?! いや……やめないよ」
「……神官見習いはドレスを着てはいけない、という決まりはないですよね」
「うん、まぁ、そうだとは思うけど……」と返すと、微笑んだイグナシオはわたしの手を引いた。
「いらっしゃいませ〜」
彼に開かれた扉からは、ふわりと微かに甘い香りが漂った。
お店の中は、ひとことで言うととても可愛い。
敷き詰められた青い絨毯に、淡いブルーの小花柄の壁紙。色とりどりのドレスに、棚には帽子やアクセサリーが並んでいる。
(か、可愛い……!!)
店員さんも可愛い装いだ。レースが涼し気なふわりとしたサマードレスを着ている。
「アグネス様、どれにしますか」
「どれって……どれも可愛くて綺麗で、選べないよね」
店内をキョロキョロと見回すわたしに、イグナシオはにっこりと微笑んだ。
「全て買いま――」
「あっ! あれ可愛い!!」
イグナシオのお決まりの台詞が出る前に、目に止まったパステルカラーのドレスを指差した。それは、淡い水色のサマードレスだった。
「あれは新作なんです。宜しければご試着なさいますか」
笑顔で近付いてきた店員さんに案内されるがまま、わたしは試着室へと入った。
(うう……恥ずかしい)
肩に控えめなフリルが付いたワンピースは腕がむき出しになるデザインだった。ふわりと広がるレースの裾がとても可愛らしい。
「とてもよくお似合いですよ!」
「そ、そうですかね〜」
社交辞令と分かっていても、照れてしまう。お礼を言うと、「お連れ様にも見ていただきましょう」と店員さんが試着室のカーテンを大きく開いた。
見開かれる空色の瞳と目が合う。
その白い頬が、少しだけ色付いたように見えた。
「あの……イグナシオ?」
おそるおそる声を掛けると、彼は我に返ったようにわたしを見つめた。
「アグネス様……よく、似合っています」
「……ありがと」
どこを見て良いかわからず、わたしは青い絨毯を見つめた。
やけに、胸がドキドキしている。走った後みたいだ。
「こちらはいかがなさいますか。このままお召しになりますか」
「いえ! 持って帰ります」
さすがに着て帰るのは恥ずかしい。
「他にも、お客様によくお似合いになりそうなドレスがたくさんございますが」
「全部ください」
「イグナシオ! あの……少しだけ試着しても良いですか?」
それからのわたしは、まるで着せ替え人形のようだった。
ラベンダー色のレースのサマードレスに、淡いピンク色のモスリンのドレス。ドレスに合わせた靴や帽子まで、イグナシオが「買います」と答える度にどんどんと積み上がっていく。
「イグナシオ……ちょっと買い過ぎじゃない?」
「アグネス様、そのドレス最高に似合っています! これも買いで」
「畏まりました!」
そうして、空が薄暗くなり始める頃にやっと試着は終わった。
両手にたくさん紙袋を下げた満足げなイグナシオと共に、疲れ果てたわたしは店を後にしたのだった。
持てなかったたくさんのドレスは、彼の収納に仕舞われている。
店を出た後、イグナシオがショーウィンドウの前で突然立ち止まった。
その視線は、彼の纏う神官服に向けられているように見えた。
「イグナシオ、どうしたの?」
「いえ……何でもありませんよ」
「それなら良いけど」
(ふぅ。……すごく楽しかったけど、ちょっと疲れちゃった……)
金の小鳩亭に帰ってご飯を食べたわたしは、お湯を浴びてすぐにベッドに入った。
買ってもらったばかりの可愛いネグリジェはとても肌触りが良くて、わたしはすぐに眠ってしまったのだった。
◇
「竜殺し殿、お疲れ様です。……はぁ? 服を買いに行きたい?」
冒険者もまばらなギルドの受付。
怪訝そうな顔のクラウスに、一人でやって来たイグナシオはペコリと頭を下げた。
「服くらい自分で――」
「クラウスさんって、お洒落なんですよね? よろしくお願いします」
イグナシオの言葉に、満更でもない表情で眼鏡を押し上げたクラウス。
「まぁ……どうしてもと言うなら、付き合ってあげても良いですよ。丁度退社の時間ですからね」と言ったクラウスは、イグナシオと連れ立って大通りを歩いた。
「水色に合わせたい? ……それなら、これなんかどうですか」
紳士服の店でクラウスが差し出したのは、紺のセットアップだった。
「それでしたら、シャツはこちらなどはいかがでしょうか」
数枚のシャツを手に、店員がやって来た。
「その中でしたら――」
「これにします」
イグナシオは嬉しそうに、一枚のシャツを手に取った。
そうしてその日、イグナシオは初めて、自分のための服を買った。
そのことをアグネスが知るのは、まだ少し後のことだった。




