第43話 神官、歓迎される
魔境の奥の次元の狭間を抜け、怪物くんの案内で辿り着いた魔界は、少し薄暗く見たこともない植物が茂っていた。
薄暗い空を背景に蝙蝠が飛び交っている堅牢な城は、さすが魔城といった風情だ。
「アグネス姫様、お下がりください!」
わたしとイグナシオ以外の皆が武器を構えた。門を守っている魔族の兵が、慌てて駆け寄ってきたのだ。
「あの、人族の方ですよね? どちらからおいでですか?」
「……オルティス王国です」
わたしがそう答えると、門番らしき魔族は慌てて城へと駆けていった。
「さっきのは、魔王の手下だよな?」
「ここ、魔城? だよな……」
そわそわしている討伐隊のメンバー。
護衛騎士たちは「アグネス姫様は我らがお守りします」と剣の柄を握っている。
「お待たせ致しました! 皆様中へどうぞ!!」
「「えっ?!」」
棒立ちの討伐隊を背に、わたしは一歩進み出た。
「あの〜、魔王さまって、会えたりしますか?」
わたしが問い掛けると、少しだけ悲しげな顔をした門番さんは気まずそうに言葉を詰まらせた。
「その……魔王様は、お出かけ中でして……」
「そうですか……いつお戻りに」
「……ちょっと、わからないですね」
なんと! 肝心の魔王が不在だとは……。
討伐隊の面々は、皆何とも言えない表情で立ち尽くしている。
「あの……魔族さんって、オルティスとか、他の国を征服される予定とかありますか?」
イグナシオ以外がぎょっとした顔をしているが、気にしていられない。こういうことは、城に入る前に聞いておくべきだ。たぶん。
ポカンとした表情を浮かべた門番さんは、少し複雑そうな顔で笑った。
「まさか、征服なんてしませんよ。オルティスには美味しいスイーツ店も多いですし」
「じゃあ、スイーツ店がない国は……」
わたしの問いに、「しませんしません!」と門番さんは慌てて手をバタバタと振った。
「……魔王さまも、同じお考えなんですか?」
「魔王さまはスイーツはお好きではありませんが……征服なんかには一切関心の無い方ですよ」
魔王討伐の任は、そもそも不要だったようだ。
第一、魔族や魔王による侵略の歴史など、わたしの知る限り一つもなかった。完全にオルティス王家の早とちりというやつだ。
わたしが「すみません。失礼なことを聞いてしまって」と頭を下げると、「気にされないでください」と門番さんは笑ってくれた。エルフなんかよりもずっと謙虚で友好的な種族だ。
「ささ、皆様どうぞ中へ――」
案内された魔城の内部は、重厚感に溢れていた外観に反して綺麗で明るい雰囲気だった。
白く輝く大広間に通されたわたしたちは、呆然と立ち尽くした。
「オルティス王国の皆様、魔城へようこそ!」
「当城自慢のスイーツビュッフェでございます」
テーブルの一面にずらりと並んでいるのは、目にも鮮やかなケーキや焼き菓子だった。
「こちらは、かの『カナリア』でも人気のレアチーズタルトでございます。ぜひ苺のソースをかけてご賞味ください」
自慢げにスイーツの紹介をする魔族に、わたしたちはあたりを見回す。
「どういうことだ?」
「俺たち、何しに来たんだっけ……」
困惑の表情を浮かべ視線を交わし合う討伐隊の面々。
わたしは、目の前に広がる色とりどりのスイーツに目を奪われていた。
(うわぁ〜……美味しそう!!)
「アグネス姫様、危険です! 我らの後ろに――」
口うるさい騎士たちを素通りし、わたしは可愛い装飾の施された真っ白なトレーを手にする。危険なら、イグナシオが黙っていないはずだ。
「ケーキ、食べて良いんですよね? わたし、ミルクレープとレアチーズタルトとショコラケーキが良いです」
「勿論です! いくらでも召し上がってください!」
「アグネス殿、口にしてはいけませんよ」
「大丈夫ですよ、すべて安全です」
わたしと険しい顔のマキシマスさんを見て、イグナシオは微かに微笑んだ。やはり一通り目を通してくれていたようだ。
わたしはトングに手を伸ばした。
「あれっ?! アグネスさんじゃないですか! お久しぶりです」
大広間の奥の扉から焼き菓子の乗った大きなワゴンを押してきたのは、なんとピートさんだった。雇われ先は魔城だったようだ。
「その節は、本当に本当に申し訳ありませんでした」
深々と頭を下げるピートさんに、わたしは「いえいえ、お元気そうで良かったです」と笑いかける。
「ピートさん、ここで働いてたんですね」
「はい。ここでは、皆が俺のケーキを喜んでくれるんです」と嬉しそうに笑うピートさん。
元々、カナリアのオーナーパティシエである祖父に憧れて王宮勤務を志していたらしいが、祖父と比較され続けることに耐え兼ねて家を飛び出し冒険者になり――ルアの街でわたしたちと出会ったという顛末だったらしい。
「ベッキーさんは?」
「ああ、彼女は休憩時間で――図書室で魔術書を読んでます。魔法使いになりたいらしくて」
「ここでメイドをしながら、熱心に勉強してますよ」とピートさんは微笑んだ。
「それじゃあ、俺はそろそろ失礼しますね」
「新しいケーキを焼かないといけないので」と笑うピートさんに、胸の奥が暖かくなる。
「お仕事、がんばってくださいね!」
「ありがとうございます」
ワゴンを押すピートさんの背中を見送る。
(魔城って、良いところなのかも……)
笑い合う魔族たちは皆柔らかな雰囲気を纏っている。
何気なく大広間を見渡すと、大階段の上に飾られた肖像画が目に止まった。
深紅のベルベットの垂れ幕に飾られた下――少しだけくすんだ金色の額縁の中では、癖のない銀髪に燃えるような赤い瞳の青年がこちらを見つめている。表情はなく、恐ろしいほどの冷たい美貌。銀の縁取りの黒い礼装が威圧感を増している。
(なんだか、すごく見覚えがあるような……)
魔城にデカデカと飾られているのだ。この城の主に決まっている。
それなのに何故か見覚えがあるのは、エイヴェリー祭の神話劇で魔王を見たからだろうか――
「ね、イグナシオ、あれって……」
そのとき、白い影がわたしの前に立ちはだかった。
「アグネス様、ケーキをお取りしますよ」
いつの間にか白いフードを深く被っているイグナシオが、わたしの手からトレーとトングをそっと取り上げた。顔はほとんど見えない。
「イグナシオ、どうしたの? それじゃ、不審者だよ?」
「アグネス様、お許しください。今だけですから」
「マキシマスさんもなんとか言ってくださいよ」
「いや、私が言ってもやめないでしょう」
わたしの言うことを彼が聞いてくれないなんて、今までほとんどなかったはずだ。記憶では、幼い頃に「おそらのうえにつれていって。くものうえでねんねしたいの」とわたしがねだったのを、必死に窘められたくらいだ。
(急に、どうしたんだろう……)
そのとき、どこからか柔らかな風が吹いて、ふわりと甘やかな花の香りが漂った。
「良い匂い……」
焼き菓子の甘い香りの中でも、瑞々しい花の香が確かに感じられる。
静かな衣擦れの音に、わたしは広間の奥にある大階段へと再び視線を向けた。
「えっ……」
風はないはずなのに、優雅に揺らめく白絹の衣。
蜂蜜色の長い髪は、濡れたように艶めいている。
(女神、さま……?)
そこには、女神エイヴェリーが立っていた。
煌めく蜂蜜色の髪を飾るのは、瑞々しい若葉の冠。
空よりも澄み、海よりも深い蒼の瞳。淡い色の唇は、まるで咲初めの薔薇の花びらのようだ。
その顔は、最高傑作といわれる女神の彫像よりもずっと美しかった。
「女神、エイヴェリー様……」
マキシマスさんの、低く掠れた声が落ちた。
彼は両膝を付くと、大階段を降りてくる女神さまを呆然と見上げている。
他の討伐隊の面々も、皆跪いて頭を垂れた。
遅れてわたしも跪くと、傍らのイグナシオも静かに片膝をついた。
あまりに美しい女神さまの姿に、わたしたちは皆言葉を失っていた。
(イグナシオ……?)
傍らのイグナシオが微かに震えているように見える。
わたしは、何故か言いようのない不安に駆られた――




