第弐拾六話 本当の愛
京都の路上に倒れた紫苑を、わしと幸亜が救命する。
「紫苑……生きて……!」
幸亜は懸命に呼びかけながら紫苑の胸を圧迫する。
紫苑は意識が混濁しているような表情で、薄目を開け
わしは紫苑の傍らで、近くの公園から持ってきたAEDを操作していた。紫苑のはだけた胸に電気パッドが貼られている。AEDは説明書を読めばサルでもわかる作りになっている。
胸骨圧迫が終わったら、幸亜が人工呼吸をし、わしがスイッチを押して紫苑の胸に電流を流す。そして幸亜が胸骨圧迫を再開する。このサイクルを繰り返した。
病院には通報済みだ。居眠りトラックの運転手が、ばつの悪い顔で近くにいる。ひき逃げしなかったのは褒めてやる。
紫苑、生きててくれ。
そう願うのはわしだけではなかった。
幸亜がはらはらと涙を流し、一心不乱に救命活動を行う。
「あなたは私の全部なんだから……!」
幸亜の救命活動は達人の域だった。
「もしあなたが、私と同じように倒れたらと思って……ずっと練習してたんだから……!」
幸亜もこんな感じで紫苑に助けられたのだな、と思わせるものがあった。
救急車のサイレンの音が近づいてくる。ここから先は医者の領域だ。救急車が近くで停止し、中から白衣の者たちが降りてくる。
プロの救命士たちが紫苑を担架で運び、酸素マスクを装着させる。わしらも救急車に乗り、病院まで同行した。
病院に着いたら事情聴取され、その日はわしらは帰された。
これから手術。成功すればよいのだが。
手術後、わしらのいる街の病院に転院になるそうだ。
帰りの電車で、嗚咽を漏らす幸亜の背中をわしはさすってやった。
・
紫苑が目覚めたのは二日後のことだった。ずっと側にいた幸亜が、ピクリと動いた手を握りしめる。
「紫苑……!」
幸亜の涙が頬できらめいた。
「ユ、キ……?」
ぼんやりした紫苑は、傍らの幸亜の顔に焦点を結ぼうと目を細めた。
「私が事故に遭った時、同じように紫苑が助けてくれた。人工呼吸で唇が触れ合った時を忘れられない……あなたの呼吸する息を私は吸っていた。今度は私が助けられて良かった……!」
感激する幸亜を、まだ紫苑は覚束ない様子で眺めていた。
わしは部屋の隅で腕を組み、ベッドの紫苑と手を取り合う幸亜を見つめる。
結ばれるのはこの二人でなければならぬ。『あなたが生きていて本当に良かった』と言ってくれる相手と結ばれることが、人間にとって一番の幸せなのだ。
わしは病室を後にする。
「ミズチさん、行っちゃうの……?」
ドアに手をかけたわしの背中に、紫苑の声が追いすがった。
「わしにできることは終わったよ」
「ミズチさん、それはどういう……」
「おぬしは根っからの人間だよ。おぬしは人間たちの中で暮らせ」
「ミズチさん……?」
「わしとおぬしは別の世界で生きる者。おぬしにはおぬしの居場所がある。隣りにいる、おぬしを好きでいてくれるそやつがおぬしの帰るところだよ」
紫苑は自分でもわかっていないだろうが、マヤと同じ魂がわしを求めていた。だが、マヤは人里で暮らすほうが幸せだった。今の世の中に口減らしなどないだろう、今度こそ人の温もりの中で生きてほしい。
「……わしがおらんでも大丈夫だ。おぬしはおぬしの人生を歩め」
「……さようなら、ミズチさん」
わしは振り返らなかった。涙が溢れてくる前に、早足で病室を去っていった。
さようなら。
それはおそらくわしの親心だった。




