不器用な恋01
前のデザイン事務所に就職して間もなく、恋をして、懸命に追いかけて、5年もの間、夢中になっていたのに、もう、一生、恋は出来ないだろうと言うほど傷つけられ裏切られて失恋をした。泣いた。泣いて泣いて、ボロボロになって、何日も会社を休んだけど、死にたいと思わなかった。
「だったら、生きていくしかないじゃない!」
と、鏡に映る泣きはらした自分に、にらみつけるように言った。
事務所をやめた。そう、恋をした相手は事務所の所長塚原だったから。
「良いきっかけだったのよね...」
今の事務所からオファーをもらっていたのだが、塚原のことを思うとぐずぐずとしていたのだ。オーナーの加山は、ゲイを公言している面白い人で、女子の社員と、男の品定めに花を咲かすような人だから、気が楽だった。そして、当然、私の能力を評価してくれていたことが大きい。思いっきり仕事のできる環境が楽しくって、がむしゃらにやってきて、気づいたら三十路を迎えていた。
三島さやか 31歳。KCMデザイン事務所主任デザイナー
「よろしくお願いします。」
名刺を差し出した。
以前からやってみたいと思う会社からオファーがあって、内装デザインを任された。今日は、初顔合わせ。担当の中沢と上司の井出が打ち合わせの為、家具のショールームと事務所を兼ねた青山にあるビルへ来てくれた。本当なら、仕事の話をしなければならないのに、中沢がずっと傷の治らないまま引きずっていた塚原に似すぎていて、声が出ないでいる。隣で、オーナーの加山がわき腹を肘でつついてきた。
「あっ!」
「失礼しました。では、デザインする内容をご説明します...」
「ありがとうございました。」
中沢と井出との打ち合わせを終えて、玄関まで見送った。
「ちょっと、どうしたのよ。」
「すみません。」
「まあ、二人とも、君の計画案に満足されていたようだから、良かったけど。」
「中沢君に惚れた?」
意味深に尋ねてくる加山の顔に、苦笑いしながら言った。
「塚原さんに、そっくりだったから、驚いちゃって。」
「塚原さんって、さやかが前に勤めていた事務所の所長?」
「そうよ。ダメね。もう、5年も前のことなのに。」
加山からオファーがあって、いろんな仕事を任されて、のめりこむように仕事をこなしてきた。この事務所は良い。これは加山のオーナーとしての実力だろう。みな、それぞれ、生き生きと仕事をしている。ママになっても、自宅で仕事を継続できる環境を作ってくれるので、本気で仕事を続けていきたいと思う女性にはありがたい会社だから、入社するための競争率は激しくデザイナーには人気だ。当然良い人材も集まるし、その時の自分の状態を受け入れてくれるから、ギスギスせずに、みんながフォローしてくれる。次は自分だと、考えているから。まあ、私には、ママになる予定は来なそうなので、逆に思いっきり大きな仕事をさせてもらっている。ほんと、ありがたい。仕事が楽しくて、塚原のことをあまり思い出さなくなっていた。
なのに、今日は、驚いた。取引先の中沢があまりにも、塚原に似ていたのだ。やな予感がする。私はあの手の顔に弱い。恋下手なくせに、あの手の顔にはどっぷりのめりこんでしまう。首を強く振って、自分の席に戻った。
- 二度と恋はしない。あの手の顔と恋はしない! -
そう誓ったのに…
実際の仕事が始まって、打ち合わせのたびに、中沢にやさしい笑顔で話しかけられるとあわてて席を立ち、洗面所の鏡の前で頬をつねり、
「だめよ。だめ!」
そう言い聞かせていた。いくら仕事に夢中だったとは言え、実際は恋に不器用で、次に乗り換えられなかったのだ。
やっと、任されていたマンションが竣工して、その竣工パーティーに招待された。加山と共に出席して、企画販売をする会社の関係者との挨拶をこなしているうちに、気づくと私は相当飲んでいたようだ。先に失礼しようと出口に向かうとそこにいた中沢が、声をかけてきた。
「三島さん、今回は本当にありがとうございました。次に企画しているマンションのインテリアもよろしくお願いします。」
言葉に詰まった。その頃には、中沢にどっぷり惚れていて、「この仕事が終わったら会わなくて済む」を呪文のように唱えてきたのだ。
今日だって、本当は来たくなかった。加山が、
「それはできないよ。君のデザインが評価されているのに、君がいないのはまずいよ。」
と、くぎを刺されて、しぶしぶ着いてきた。僕がずっとそばに居て、中沢君と1対1にしないようにするからって言っていた加山は、はるか向こうで、イケメンの社員と楽しそうに話をしている。
「嘘つき!」
「えっ、嘘つきって何ですか?」
「いえいえ、中沢さんのことではないんです。ごめんなさい。」
「すみません。私、少し飲みすぎたようで、先に失礼します。」
「じゃあ、タクシーを拾いましょう。下までご一緒します。」
- あー、そんなに優しくしないで! -
どうせ、社交辞令だと分かっていても、つらいのよ。
「なんか、苦しそうですね。やっぱり、自宅までご一緒します。」
人の気も知らないで、貴方にとっては営業スマイルでも、ダメなのよ。この手の顔に弱い私なんだから。
だ・か・ら、断り切れずに送ってもらうことになった。
隣で、興奮気味に今回の仕事の話をしている。私をほめてくれているので悪い気はしないけど、まともに中沢の顔は見ないようにしていた。もうすぐ、家に着くとほっと気が緩んだ頃、中沢が言った。
「三島さんが、以前勤めていた事務所の所長、実は僕の母方の叔父なんです。」
絶句だ。そうなんだ。そうだよね。すごく似ていたもの。やな予感がしたのも、ただ似てるだけじゃなかったんだ。おしまいだ。当然、もう、一緒に仕事できない。
次の日、睡眠不足のまま、会社へ行くと、異常にご機嫌な加山が待っていた。
「どうしたの、目の下にクマを作って!やりすぎ?」
「なんですか?今日は、加山さんの漫才に付き合えませんから。」
「ちょっと、まあ、仕事の話だから。」
加山が新しい依頼があったと話し出した。昨日のパーティーでの扱いもそうだけど、中沢の興奮気味の話から、次の仕事のオファーがあることは覚悟していた。だけど、受けたくない。受けたくないけど、断れないこともわかっている。加山に条件を出した。
「次回も頑張ります。けど、アシスタントに朱ちゃんをつけてください。そろそろ朱ちゃんを1本立ちさせたいと思っていましたから、今回が良い機会になると思うんですよね。」
「ハハーン、さては、中沢君に本気でラブしちゃった?」
「あれ、違うか。本気だったら、朱ちゃんなんかアシにしないよね。」
「どうしたの?」
「中沢君、塚原さんの甥だそうです。」
「どう見たって無理ですよ。いえいえ!もとい! 中沢君は年下で、もともと相手にはなれませんが、それだけでもちょっとなあと思っていたのに、塚原さんの甥だなんて、私には、重すぎです。」
加山は、前の事務所を辞めた経緯を知っていて、塚原に会いそうな仕事は他の人に回してくれていた。それが中沢が甥だと知って
「わかった。了解。でも、朱ちゃんか?」
言葉を濁すような言い方をしていたが、承諾してくれた。