第一章 減点男 黒咲 厳 の襲来と、胃腸町の危機
『ダイエッター 長谷川アスカ36歳の、町内(腸内)会長、ロズマリンさん!』〜街の平和を守ります〜
【登場人物紹介】
◾️長谷川アスカ(はせがわ・あすか)36歳
独身。仕事に家事に、毎日そこそこ忙しい女性。料理は嫌いではないが、疲れて帰った日に手の込んだものを作る気力はない。
おいしいものを食べるのが大好きで、これまで何度もダイエットに挑戦してきた。
しかし、食事のたびに反省会をする生活には、もううんざり。「健康になりたい。でも、おいしく食べたい!」が本音。
◾️ロズマリンさん(腸内会長)
アスカのお腹の中にある「胃腸町」をまとめる、気品あふれる町内会長。
紫色の扇子を手に、住民の話を聞き、町の調和を守る。ローズマリーを思わせる凛とした雰囲気の持ち主。
口癖は「まずは、皆さんのお話を聞きましょう」。魔法で何もかも解決するのではなく、住民たちが自分の力を発揮できるように采配する。
◾️黒咲 厳/通称ゲン
アスカが通うパーソナルジムのトレーナー。
鍛え上げた筋肉と、寸分の隙もないトレーニングウェアがトレードマーク。
食事管理にも厳しく、何でも点数で評価したがる。
口癖は「その食事、マイナス20点!」。悪意があるわけではない。努力の大切さを信じているあまり、自分の正しさが誰にでも当てはまると思い込んでいる。
◾️サラシア警備員
胃腸町の夜間警備を担当する寡黙な警備員。黒い制服に身を包み、いつも無表情。炭水化物との付き合い方を考える場面で頼りになるが、何でも帳消しにする万能能力は持っていない。
◾️お掃除特戦隊・メカブ&ワカメ&ひじき
食物繊維、海藻三人組。町の通りをせっせと整え、住民たちの働きやすい環境づくりに励む。口は達者だが、掃除の腕も確か。
◾️熱血消防団(ショウガ・クミン・唐辛子・黒こしょう)
香りと勢いが自慢の消防団。
町に騒ぎが起きれば、ホースを担いで飛び出してくる。脂肪を魔法のように燃やすわけではないが、料理をおいしくする力なら誰にも負けない。
◾️第一章 減点男 黒咲 厳 の襲来と、胃腸町の危機
長谷川アスカ、三十六歳。
金曜日の午後八時四十七分。
彼女は自宅のキッチンで、人生について考えていた。
正確に言うなら、冷蔵庫の前で、絹ごし豆腐のパックを片手に考えていた。
「……料理ってさあ、誰かが作ってくれるなら、すごく好きなんだけどねえ」
返事はない。
冷蔵庫のモーターが、ぶうん、と控えめに鳴った。
アスカは豆腐を皿に出し、ゆかりをぱらぱら。
オリーブオイルをたらり。
仕上げに刻み海苔をひとつまみ。
1分で完成。
「よし。天才」
誰も褒めてくれないので、自分で褒めた。
冷蔵庫から糖質オフのビールを取り出す。
プシュッ。
この音だけで、今日一日の疲れが三割ほど消えた気がした。
「いただきます!」
豆腐をひと口。
うん。うまい。
さっぱりしているのに、オリーブオイルの香りがふわりと広がる。ゆかりの酸味もいい。
アスカは満足げにうなずいた。
そのとき、スマートフォンが鳴った。
画面には、ジムの担当トレーナーからのメッセージ。
――本日の食事内容を報告してください。
アスカは、箸を止めた。
「あ……そうだった」
彼女はここ数か月、パーソナルジムに通っている。
健康になりたい。体力もつけたい。できれば、少しは体重も落としたい。
そう思って始めたのだ。
担当トレーナーの黒咲厳は、熱心だった。
熱心すぎるほどに。
食事の写真を送れば、すぐに返信が来る。
――タンパク質が不足しています。
――野菜が少ないですね。
――その間食は不要です。
そして、最も恐ろしい言葉。
――マイナス20点!
アスカは、今日の食事を入力した。
《夕食:絹ごし豆腐、ゆかり、オリーブオイル、刻み海苔、糖質オフビール》
送信。
三秒後。
ピコン。
『黒咲 厳:その食事、マイナス20点! 栄養バランスが不十分です。もっと計画的に食べてください』
アスカは画面を見つめた。
「……豆腐にまで、点数つけるの?」
豆腐は悪くない。
ゆかりも悪くない。
ビールについては、量や頻度を考える必要があるかもしれない。それはわかっている。
でも。
「私、今日、ちゃんと仕事したんだけどなあ」
残業もした。
苦手な相手にも笑顔で対応した。
帰りにスーパーに寄り、豆腐を買った。
それでも、夕食の採点はマイナス二十点。
アスカは箸を置いた。
「なんか……ご飯が、おいしくなくなるなあ」
その瞬間だった。
お腹の奥で、ぽん、と小さな音がした。
ぽん。
続いて、ぽぽぽん。
「えっ?」
アスカは自分のお腹を押さえた。
痛くはない。
ただ、なんだか妙ににぎやかだ。
そして、次の瞬間。
彼女の視界が、ふわりと紫色に染まった。
「ちょ、ちょっと待って。私、ビール一本で酔った?」
世界が回る。
いや、回っているのは世界ではない。
アスカの意識が、ぐんぐん小さくなっていく。
机が巨大な広場になり、豆腐の皿が白い月のように遠ざかる。
気がつくと、アスカは見知らぬ町の入り口に立っていた。
「……どこ、ここ?」
目の前には、立派な門があった。
門には、達筆な文字でこう書かれている。
胃腸町。住民の皆さまのご協力で運営されています。
「胃腸町?」
門の向こうには、色とりどりの建物が並んでいた。
小さな川が流れ、住民たちが行き交っている。
豆腐色の服を着た人々。
海藻のような髪をした人々。
唐辛子の帽子をかぶった消防士たち。
その誰もが、なぜかアスカを見ていた。
そして、町の中央広場から、ひとりの女性が歩いてきた。
紫色の扇子。
上品な着物。
凛とした背筋。
年齢はわからないが、ただ者ではない雰囲気がある。
女性はアスカの前で立ち止まり、優雅に一礼した。
「ようこそ、長谷川アスカさん」
「えっ。私の名前……」
「わたくしは、ロズマリン。この胃腸町の町内会長を務めております」
「町内会長……?」
「ええ。皆さまからは、ロズマリンさんと呼ばれております」
ロズマリンさんは、扇子をぱちりと開いた。
「あなたのお腹の中にある町、と申し上げれば、少しはおわかりになるかしら」
アスカは口を開けた。
閉じた。
もう一度、開けた。
「……私のお腹の中に、町?」
「はい」
「町内会まで?」
「ございます」
「会長も?」
「わたくしです」
アスカは、しばらく黙った。
そして、ぽつりと言った。
「……私のお腹、思ってたより自治体だった」
ロズマリンさんは、ほほほ、と笑った。
「なかなか面白いことをおっしゃる方ですね」
ところが。
広場の向こうから、怒鳴り声が響いた。
「全員、整列!」
町の住民たちが、びくりと震えた。
「規律がなっとらん! 食事管理が甘い! その生活習慣、マイナス20点!」
アスカは振り返った。
黒い制服。
鍛え上げられた腕。
胸を張り、手には巨大な採点表。
そこに立っていたのは、見覚えのある男だった。
「く、黒咲さん!?」
ジムのトレーナー、黒咲厳。
通称、ゲン。
なぜか胃腸町にまで来ていた。
しかも、ずいぶん偉そうに。
「長谷川さん! あなたの食生活には問題が多すぎる!」
「いや、なんでここにいるんですか!?」
「食生活を管理するためだ!」
「ここ、私のお腹の中ですよ!?」
「だからこそだ!」
ゲンは採点表を高々と掲げた。
「この町を、徹底的に改善する!」
住民たちが悲鳴を上げた。
「また採点だあ!」
「昨日の夕食までさかのぼって減点されるぞ!」
「豆腐の食べ方まで指導されるんだ!」
アスカは目を丸くした。
「豆腐の食べ方まで!?」
ロズマリンさんは、静かに扇子を閉じた。
その表情から、笑みが消えていた。
「黒咲さん。あなたのおっしゃる改善とは、いったい何でしょう」
「決まっている! すべての食事を正しい形にすることだ!」
「正しい形、ですか」
「必要な栄養。適切な量。計画された時間。例外は認めん!」
ロズマリンさんは、町を見渡した。
忙しい日もある。
食欲がない日もある。
料理をする余裕がない日もある。
それでも住民たちは、それぞれの持ち場で一生懸命に働いていた。
「なるほど」
ロズマリンさんは、静かに言った。
「では、黒咲さん。ひとつお尋ねします」
「なんだ!」
「あなたの採点表には、食べる方の暮らしを聞く欄はございますか?」
ゲンは一瞬、黙った。
「……必要ない!」
「そうですか」
ロズマリンさんは、ふっと息をついた。
「それでは、困りましたね」
「何がだ!」
「この町は、点数だけでは動いておりませんので」
その瞬間。
町の地面が、ごごごごご、と揺れ始めた。
遠くの山の向こうから、巨大な影が現れる。
ひとつ。 ふたつ。 みっつ。
五つの影が、町へ向かって進んでくる。
住民たちの顔が青ざめた。
「まさか……!」
「ヘビー級モンスター軍団だ!」
ゲンは、不敵に笑った。
「さあ、長谷川さん。あなたの食生活に潜む問題を、今こそ直視するんだ!」
ロズマリンさんは、紫色の扇子をゆっくりと構えた。
「皆さま、落ち着いて」
そして、アスカに目を向ける。
「アスカさん。どうやら、町内会議だけでは済まなくなったようです」
アスカは、巨大な影を見上げた。
「……ねえ、会長」
「はい?」
「これ、私、夕食に豆腐食べただけなんですけど?」
ロズマリンさんは、にっこり笑った。
「ええ。ですから、まずは落ち着いて、お話を聞きましょう」
地響きが、町を揺らした。
五大ヘビー級モンスター軍団、襲来。
胃腸町の平和を守る戦いが、今、始まろうとしていた。
第一章・了




