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結婚記念日前日に「また」現金が消えた

僕は、僕自身に起きた出来事をここに記す。

僕達3人の家族の崩壊と再生、そして繰り返す悲劇に基づいた実話だ。


6月11日

明日は結婚記念日。

神棚においていた封筒から現金が消えていた。

息子の大学進学のお祝いに母がくれた5万円の入った「のし袋」

先月5万円だったはずの中身が1万円に減っていた。

その日、いつものようにキッチンのカウンターに食費の6万円をおいたのだが封筒から4万円が抜き取れていたことに気付いた僕は、深夜にキッチンへと降りていく。

まだ妻がカウンターの6万円を財布にしまっていないことを確認し、その食費6万円から4万円を回収した。

「お前がやったことはわかっている」

そう意思表示をしたかった。


数分後、妻が階段を駆け上がって来る。

コンコンとドアのノックと同時に扉が開く。

「ちょっと、どういうこと?」

僕の寝室の扉を開けて妻が入室してきた。

僕は妻を睨みつける。

「どうって。無くなった金を取り戻しただけだよ」

「はぁ?どういうこと?」

「ここにあったんだよ、5万円が。袋の中に5万円入ってた。お袋がユウト(仮名)の進学祝いにくれた金だよ」

「それが何よ?」

「何って・・・。無くなってるんだよ、その中から4万円が。5万円はいってたのに1万円になってんだよ」

「なにそれ?知らないわよ」

妻の言葉に僕は顔をそらして深く溜息をつく。

その表情から僕の感情を読み取った妻が言葉を続ける。

「前にそういうことがあったかも知れないけど、私はしらない。去年もそうやって疑われたからパパの部屋に入る時はユウトと二人で入るようにしてる」

そう。1年前も僕の部屋から現金が消えた。クローゼットの中に保管していたミニ金庫の中から10万円が消えていた。その時僕は出来るだけ感情を抑えて妻にそのことを尋ねた。

その時も答えはなにそれ知らないわよ。だった。

僕が留守の時に妻と息子が無断で部屋に出入りしていることを咎める余裕もなく聞き流してしまう。

「じゃあ、俺の勘違いだっていうのか」

「知らないわよ、とにかく私は知らない。」

僕は顔を背けたまま妻の顔を直視することができない。

眩暈、頭痛、気分が悪くなってくる。

「じゃあ、俺の頭がおかしくなったってんだな?自分で使って自分でわからなくなったってことだな」

「知らないわよ。そうなんじゃないの?」


僕が妻を再三疑うのには理由がある。

今から20年以上前。結婚して数年たった頃。今と同じように僕の現金が消えた。

正確にいうと増減していた。保管しているお金だけではなく、財布の中身も。

僕は自分がアルツハイマーになったのかと数か月にわたり真剣に悩んだ。

妻との関係は良好だった。新婚間もなく、子供もいなかった。妻を疑うなど選択肢になかった。

自分だけで抱えきれなくなり妻にうちあけた。

あっさりと妻は白状した。

たまに借りていた。と。

確かに失ったお金は元に戻っていて、損失は無い。

なんだそうかと当時は笑って許した。

その行動の意味を深く考えずに。


数か月後思いもよらぬ事態が発生する。

妻が勤務中で僕が休暇のある日。

ポストに督促状が届く。

不審に思った僕は中身を確認した。

30万円だったか60万円だったか90万円だったか。

もう記憶は定かでは無い。

僕は慌てて妻に連絡をする。何かトラブルに巻き込まれている、何かの間違い、そう信じていた。

妻が慌てて職場から自宅に飛んで帰って来る。


ついに見られてしまった、そんなことを呟いていたように思う。

妻はあちこちからお金を借り、僕のカードも無断で使い限度額いっぱいまで借金をしていた。

約500万円。

僕は何が起きたかわからない。

僕は給料を全て妻に渡していた。その中から小遣いとして3万円を受け取っていた。

ボーナスについては3分の一を家計にいれるとし、残りを互いの小遣いとして折半して自由に使うルールとしていた。

僕の給料は決して高額ではなかったが、家賃は会社が負担していて水道光熱費と食費を自分達で賄えばよいので決して苦しい家計ではなかったはずだ。さらには妻も働いていて妻の給与については僕は完全にノータッチだった。

お金を完全に預ける代わりに家計簿をつけてもらい時々確認していた。

それなのに。何が起きたのか。僕は全く理解が出来なかった。妻に理由を尋ねてもわからないという。

僕は妻を疑うということは少しも考えなかった。誰かにだまされている、友人の保証人、友人の借金の支援、そんなところだろうとしか考え付かない。

僕は泣き崩れる妻を抱きしめることしかできなかった。

僕は妻を愛していた。何があっても自分だけは味方だった。そうありたかった。


数日たっても事実は判明せず、妻は泣きながら謝るだけだ。

僕は悩んだ末、妻の実家に相談した。

妻の両親が慌てて飛んできた。

当時僕は仕事の配属で県外に出ていた。6時間の距離を妻の両親はすぐにかけつけた。

それでも理由ははっきりしなかった。

妻の父親は「もういい。とにかく泣くな」そういって全ての借金を肩代わりして清算してくれた。

僕は感謝しかなかった。

両親を見送る時、玄関先までむかった両親の背を妻は追うことができずリビングで立ち尽くしていた。

僕は妻を迎えにもどる。

「泣いちゃダメだ、泣いちゃダメだ」

妻は小さな声で繰り返し震えていた。

僕は妻を抱きしめて

「大丈夫。大丈夫だ。ちゃんと返そう。二人で返していこう」

きっとそんなことを言った。言った気がする。

妻はぶわりと堪えていた涙を溢れさせた。

心配して戻ってきた両親に対し涙を拭いて見送りに向かう。

妻の母親が言った。

「バカだねぇ、泣くぐらい悔しいんだったたら・・・」

何かを言いかけてやめた。

「とにかく、もう心配ないんだから、ちゃんとしないさい」

そういって妻の肩を揺らした。


その後、僕達は子供を授かった。

蓄えに余裕は無かったがつつましく生活していれば問題はなかったし

出産費用ぐらいは貯めることが出来た。

それなのに

妻はまた借金を繰り返した。


妊娠中の大事な時期だったから僕は見て見ぬふりをした。

督促金額はわずかな蓄えの中から支払った。

無事に息子が産まれて妻は実家でしばらく暮らした。

その間に僕の転勤が決まる。


山形から仙台への異動となった。


その後も妻は繰り返した。借金を繰り返した。何度も何度も。

僕は耐えた、耐えながらも妻に対する態度はきつく、横柄なモノになっていく。

仙台に引っ越しした後も妻は実家から戻ってこなかった。

1年ほど別居していたように思う。

僕は環境の変化と職場の激務から鬱病を患った。

その頃のことは記憶があいまいだ。

死のうとは思わない。自分には幼い子供がいる。

自分から死のうなんて選択肢は無かった。

だが

死んでもいい。とは思った。

矛盾するようだが、自ら生きることを放棄するのと死を受け入れるのは意味が違うと思う。


とっくに妻は子供を連れて帰れる状況だったのだが一向に戻ろうとしなかった。

だが、自分が療養の為休業することになり仕事をやめるか、休んで復帰するかの段になりようやく妻は仙台に戻ってきた。

半年の休業期間を経て僕は職場に復帰した。

鬱病による長期休暇は僕の会社では前例が無く、第一号となった。


今となってはメンタルケアが各企業で叫ばれているが当時は違った。心無い同僚から根性が無いだの、ずる休みだの、さんざん言われたものだ。


その後、僕達三人の生活がようやくまともに始まる。

僕の痛んだ精神を安らぎに変えたのは幼い息子だった。

息子を抱いて散歩していると不思議と気持ちが安らいだ。まるで淡い初恋のような胸の高鳴りに似た高揚感も抱いた。

「こいつの為なら死ねる」これが親の感覚というものだと自覚した。


だが、妻がまた僕の財布から現金やカードを抜き出し、借金を繰り返す。

幸せに見えた家族は少しづつ距離をあけ、関係性が軋みだす。


数年後、息子が小学生になるタイミングで妻は家を出た。

その日は僕の誕生日。3月末。家に帰り玄関をあけると明らかに雰囲気が違う。


家の中に精気が無いのだ。

無人の空間。心の無い空間。賃貸マンションのドアを開けた瞬間に五感で感じた。

出て行った。そう直感する。

中に入ると案の定荷物を持ち出されている。

テーブルに何やら手紙がある。

残っている物の権利は放棄するから自由にしていいという趣旨のものだ。

嫌な予感がして現金を入れていた金庫を確認する。

やられた。こじあけられている。

なけなしの現金10万円を持ち出されている。


こうして僕たちは別居した。

息子が小学生になるタイミングで別居し、息子が中学二年生になる年、改めて暮らし始めた。

それまで離婚届けは出さず、毎月現金を妻の父親の口座に振り込み、または手渡しして別居生活を送った。7年の別居から再び共に暮らすことになったのにはきっかけがあった。


息子の不整脈が起きたからだ。

息子は1歳の頃川崎病になった。

場合によっては重度の後遺症が残る原因不明の難病だ。

運よく彼は生き延びた。そして目立った後遺症もでなかった。


それが中学生の成長期と共に突然不整脈が現れた。

何秒に一度ほんのわずかな時間心臓が止まる時間があるという。

恐ろしかった。


僕は再び共に暮らすことを決意した。息子に何かあってからでは全てが遅い。

仮に最悪のことが起きるとしても常に側にいたい。いるべきだ。そう感じた。


僕は妻にまた共に暮らさないかと提案し、妻も受け入れてくれた。

そうしてまた家族三人の暮らしが始まった。

失った時間を取り戻すかに見えた。だが、簡単に状況は悪化する。


すぐに家庭内別居状態へと突入した。

その間、金銭的なトラブルは無かった。あくまで金銭的なことに関しては。

息子が小学生になる時に別居し、大学生になった今年。


また僕の部屋から現金が消えた。


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