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ノエル編 3

 小魚を素手掴みするのが絶望的なまでに難しいと悟ったフローディオ。小川を上がってからは休憩を挟み、それから散策がてら森へ足を伸ばしてみることとなりました。

 馬と荷物を放っておくわけにもいくまいとサラが留守番してくれることになったので、ようやく赤獅子王は想い人と二人きりです。

 が。

「……。」

 見たことのない真剣な顔をして息を詰め、フローディオがゆっくりと忍び寄るは、野花に止まって蜜を吸う大きな蝶であります。

「……、……、……っ、ああッ!?」

 あと一歩の距離まで詰め寄ったところで獲物が逃げてしまったとあり、フローディオはいつになくいたいけに叫んでおりました。

 赤獅子王は離れたところで傍観しながら、腕を組みつつ思います。

(デートとは、なんであろうか……。)

 自問自答しようにも、陛下ももっともらしい答えを知りません。おそらくは、フローディオも。

 ……そもそもデートなんて認識もされてないでしょうし。

「そなた、虫は平気なのだな。」

 空にふわふわと羽ばたいていく蝶めがけてフローディオは一回だけジャンプまでしていましたが、声をかけられるとハッとして振り返り、ちょっとバツが悪そうに俯いてしまいました。

「虫は駄目ですか?」

「駄目ではないが。」

「国では虫に触ってはいけないと言われておりました。」

「気にせぬ。」

 ほっ、と胸を撫で下ろしてから、菫青石の瞳が口惜しさ半分見惚れ半分に蝶の舞う空を仰ぎます。

(クッ……眩しい……!!)

 普段より生き生きとした横顔は、頬が薔薇色で愛らしい乙女そのものでありましたが、意外なことにフローディオは外に出してみるとわんぱく小僧の気質も持ち合わせていたようです。

「子供の頃は、蝶だけは触ってもいいと言われておりました。五歳になってからはそれも禁じられてしまいましたが。」

「虫でもなんでも採るがよい……!!」

 いじらしいことを言われてしまうと、魔王の目にも涙。

 窮屈な環境でよくぞここまで素直に育ったなと、しみじみ思わずにはいられません。

 そんなでしたから、二人の歩みはとてもゆっくり。

 陛下が歩き出せばフローディオもてくてく、小走りに少し後ろを追ってきます。そのフローディオは物珍しいものを見つけるとふらふら小道を逸れてしまい、気が済むまで好きにさせる間は陛下が遠目に見守っている。そんな道中です。

「陛下、私は一度兜虫というものを採ってみたいです。」

「それは暑くなってからの虫であるぞ。」

 フローディオは見た目だけなら立派な美姫なのでたまに忘れてしまいがちでしたが、こうしてみると本当に男の子だったのだなぁと陛下は妙な気持ちになります。

 一目惚れだったとはいえ、男に興味があったわけではなかったのですし、まさか宝石でもドレスでもなく虫採りを所望されるとは考えてもおりませんでしたから。

 虫を怖がって飛びつかれる、みたいなラッキースケベの想定はしていても、自分から虫を追いかけるなんて展開は予想外。

 それに陛下としては、もっとそば近くで隣を歩いて欲しいのですが、やはり恐ろしさのせいなのか距離が縮まる気配は一向にありませんでした。

「では夏になったら、次もまた連れてきていただけますか?」

 とはいえ、こういうおねだりは好きです。

「そなたが望むならば……!!」

「……ふふ。」

 はぐれないためなのかなんなのか、手を繋ぐ代わりに控えめにマントを握られるのも、じーんと胸にくるものがあります。

(生きてて良かった……!!)

 今はこれで充分です。

 魔王が勇者の剣に斃れるのではなく、賢者に諭され改心するなら、こんな表情をすることもあるやもしれません。

「そなた、本当に狩りに興味があるのか?」

「はい。大物を仕留めたと兄上から話を聞かされるたび、昔は羨ましく思っていました。」

 そういった羨望や挑戦心は歓迎すべきものでした。とはいえ、理想と現実は何事においても差異があるものです。

「その……血も平気であろうか……。」

「あ。」

 やはりそこまではフローディオには考えついていなかったようで、一瞬の沈黙が流れました。

「……そ、それは……、」

 フローディオが目にしたことのある兄の獲物はどれも死んでいたものの、血も傷も見ていないし、触ったこともありません。

「どうなんでしょう……?」

 真っ当に育った男相手ならば、「軟弱者めッ!!」と陛下は思ったでしょう。

 でも虫を前に喜ぶ愛らしいフローディオを見ていると、男として扱うべきか女として扱うべきか、まったくわからなくなりそうです。

「恐ろしいか。」

 見るからにおどおどし始めたので、無理だけはさせる気のない赤獅子陛下、ここだけははっきりさせておくべく聞いておきます。

「やってみないことには、わからないのですが……。」

 臆病者がせっかくやってみようと思うなら、それはそれで良い心がけにも見えなくはありません。

「それに、陛下がそばにいてくださるのでしょう?」

 何かある時には当然そうなのだろうと、寸分も疑わず問いを返された赤獅子王。

 顔は難しくも心は簡単です。

(頼られておる……!!)

 マントを引かれながら当たり前みたいに言われてしまえば、陛下なんてイチコロでした。

「そなたが望むならば……ッ!!」

「ではいつか、よろしくお願いします。」

 外はいいですね。大声が響かず、後ろにいたフローディオはビクッとならずに済むのですから。

 まだまだお互いがお互いについてわからないことだらけの中、『次』とか『いつか』とかが来る前提の会話は、鳥の囀りを聞きながら和やかに弾みます。

 そうして辿り着いたのは散策の目的地だった静かな泉です。

「庭の池とは匂いが違うのですね。」

 陛下の斜め後ろを飛び出し、水辺へ走り寄ったフローディオ。まずは深呼吸をしての感想でした。

「夜には蛍も見れよう。」

「蛍? 姉上から聞いたことがあります。さぞ綺麗なのでしょうね……!」

 いいなぁ、とは言いつつも、本日のフローディオは昼間の森の泉でも満足できたようです。膝を抱えてしゃがみこんで、キラキラ輝く水面を覗き込んでおりました。

 来てよかった、とは二人とも思っておりますが。

(なんとなく幼子の世話をしてるようでもあるが、今は我慢なのであろうなぁ……。)

 甘酸っぱさをガツガツ喰らいたいいい歳した陛下が、蛍を見る頃には口付けくらい許されたいと切に願っていたその矢先。

「あっ!」

 またこうして、何か見つけるなりまっすぐ駆け出すフローディオ。

 やはり赤獅子王は金の瞳で後ろ姿を眺めるに徹しておりました、虫にしても兎にしても、自分が近付けば逃げてしまうのがわかっているからです。

「陛下ーっ!」

 泉を少し回り込んだあたりで手を振られ、それに応えて手を振り返し、陛下もふと気がつきました。フローディオが見つけた得体の知れないなにかについて。

「人が落ちてますーっ!」

「な、なに……ッ?」

 倒れた人の姿にも疑問を抱きはしましたが、陛下が耳を疑ったのはフローディオの露骨な表現でした。

 それを世間では行き倒れというのですが、そんなことは困り顔の箱入りには知る由なんてなかったのでございました。

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