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邂逅編 12

 コンコン。

 コンコン。

 繰り返し、窓が妙な音を立てておりました。

 人払い済みの執務室にて溜まった書類に打ち込んでいた赤獅子王も、不審な音が二度三度と続けば奇妙に思いもいたします。

 昨日は失恋のショックで半休取ってしまった上、午後からも頭の働きがよろしくありませんでした。なので仕事は現在山積み状態だといいますのに。

 これがもし妙な殺気でも含んでいれば確固とした対応の仕方もあったのですが、命の危機を感じさせるような類でないのは明白でした。

 もっとずっと、か弱い。

 不用心な子鹿が木立の向こうから様子を覗き見てくるような、神羅の水と空気で磨かれた黒曜石の眼が輝くような、そんなくすぐったい感覚です。

(いや、まさかな。)

 ここは王宮の禁裏。狩りに出た先の森ではありません。

 この城でも最近似たような視線を向けられた日があったことに覚えがないわけではなかったのですが、再びそれが彼へ向けられることはないでしょう。

 夢を見すぎていたに過ぎないのだと、今でははっきりわかっています。

 失恋にはだいぶ慣れたつもりでしたが、彼はまだ執着を捨てきれずにおりました。

 遠き花咲きの国からやってきた美しい『姫君』の、か弱くも真直ぐな視線へ抱いた、恋心。

 実際にはそれは王女ではなく王子でありましたが、赤獅子陛下には正直どちらでも良いことでした。

 今やこの国に残された正当な王者の血統は自分一人。世継ぎは必ず残さなくてはなりません。独り身が許される立場ではない。

 求めれば妃に相応しい娘がいくらでも寄越されるでしょう。しかし彼は娘に泣かれるのは嫌なのです。

 鏡を見るのも億劫になるくらいの自分の凶相が、恨めしくて仕方がない日もありました。だって娘に泣かれてしまう原因は常に顔にありましたから。

 とはいえ生まれ持った顔なんてもう変えようがないですし、これはこれで使い道が多いと理解したため、今ではすっかり諦めております。

 幼い頃、色魔であった父に取られるくらいならばと玉砕覚悟でサラへ告白して以降、恋心をきっかけに娘を泣かせてしまった回数は通算二百三十六回。

 そんな残念な恋愛成績を隠し持ってはおりましたが、反面、侵略主義の帝国を下し覇権を握った赤獅子王は、驕り高ぶり新たな侵略者となるのではなく他国や他民族との共和を選んだ明君でもありました。

 国の内でも外でも、独りよがりな真似をすればどうなるかは見本が既にあり、そこから彼はきちんと学んでいたからです。

 順調に仲良く手を取り合えればよかったのかもしれません。残念ながら国と国との繋がりがそう容易に作れるはずもなく、軽んじられないためには多少の圧力は必要でした。

 それには、冷酷無慈悲の血の獅子王としての魔王然とした凶相はびっくりするほどうってつけ。

 大抵の国主は睨まれただけで一発でしたし、その噂が噂を呼んで、この大陸に赤獅子の名を知らぬ者なんていなくなってしまったくらいです。

 その頃国内では既に、赤恐ろしの獅子王に嫁ごうなんて考えを持つ女性は皆無でありました。

 ならば外に良縁を求めて、同時に政略的にも深く繋がれる国を探してはいかがか。他国の安全保障を条件に、ふさわしい身分の女性を集めてみては。

 そんな臣下たちの具申は赤獅子陛下の意にそぐうものではありませんでしたが、世継ぎがいないことへの不満が国の影にあったため、無視できるものでもありませんでした。

 茶番の見合いであれ、それで国にいましばらくの平穏がもたらされるのならばそれもよかろう。

 ――そうしてここにやってきたのが、花咲きの国の若き王子、フローディオだったのです。

 この強面に真っ向から物申してくる王子の姿には、慎重な姿勢で望むつもりだった恋愛無精の赤獅子王も、あっという間に我を忘れてすっかり浮き足立ってしまったのでした。

 この者ならば、あるいは自分を恐れずについてきてくれるのでは、と。

 少なくとも他の娘たちのように話もできぬまま泣かれてしまうことはないだろう、と。

 それならば早く手中に収め、失うことのないよう一番大事な椅子に座らせてしまおう、と。

 それが結局泣かせてしまったのでは、待ち受けていたのはいつもとなんら変わらぬ終焉であります。

 なのに今なお夢を捨てきれずにいるのは、あれだけ怖がってぼろぼろ泣きながらも目をそらそうとはしなかったフローディオの真っ直ぐさが、見目の愛らしさ以上に美しかったからでしょうか。

 あのサラでさえ、泣いて拒否してきた時には顔を覆ったまま座り込んでしばらく口も利けませんでしたから、率直に恐ろしいと告げてきた気丈さには、やはり目を瞠るものがあった気がしてなりません。

 でも泣かせてしまうのが自分なのでは、どうしようもない……

 ――コンコン、コンコンコンコン。

 捨ておこうかとも思ったものの、止まぬ物音に回想は打ち切られてしまいました。

 コンコン、コンコンコンッ。

 どうやら闖入者は不遜にも、陛下に窓を開けさせるまで許すつもりがないようです。

「……まったく。」

 鳥が寝床でも間違えたのかもしれません。流石の赤獅子王も他に予想が付かなかったのです。

 なにしろここは三階なのですし、暗殺者でもない限り窓から御機嫌ようとやってくる客なんてのはそうそういるはずがないのですから。

 だから、シャっとカーテンを開いたがすぐさま、流石の赤獅子陛下も我が目を疑いました。

(んッ……!?)

 見覚えないまでに茂った大樹の影、太い幹に片手を添えたまま若い枝に立つ細い人影。

 夜風に膨らむドレスの裾はばさばさと大きく音を立てます。長い髪をキラキラたなびかせ、珍客は凛とした面持ちのまま、花弁のような小さな唇を開きました。

「陛下、夜分に失礼いたします。」

 窓硝子越しに丁寧に挨拶をしてきたのは、先まで思い返していた通りの顔。

 花咲きの国の王子、フローディオだったのですから。

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