第11話 兄、ハロニカを陥落せよ! 【終戦】
翌日。ハロニカはいつもの場所で剣の稽古をしていた。いまだ未熟であるため真剣は与えられず、手に持つものは木剣であったが、彼は真面目に、教わった通りの構えで素振りする。
ハロニカの隣には筋骨隆々の恐ろしい顔立ちをした鬼のような男が立っていた。彼は非常に大きく、そして重そうな剣を、ハロニカの隣で同じく振っている。
男の名前はドラクス・ビルタニア。ヴァルウフォード家が有する騎士団のトップに立つ彼は、ハロニカの剣の師匠であった。
いつもは修行中に挟むことはなかったが、今日に限っては違った。素振りが終わるやいなや、ドラクスがハロニカに尋ねる。
「後悔しているのでは、坊ちゃま?」
「何がだよ」
「昨日、スカーレット嬢にあんなふうに振舞った事ですよ」
おどけたような調子だが、その表情は真剣だった。
「…………別に」
「某は、二人は仲良くなれると思いますがね」
「僕はあいつが嫌いだ」
ハロニカの声に怒気が混ざった。吐き捨てるように彼はつぶやく。それを聞いてドラクスは大きな傷の入った、鬼のような顔を恐ろし気に歪ませた。
「某は彼女に好感をもちました」
「どうして」
これが彼なりの笑顔であるとハロニカは長い関係の中で知っていた。しかしそれでもやはり恐ろしい顔だと、彼は思った。
「坊ちゃまに続いて二人目でしたからね」
「何がだよ」
「某を見て怯えなかった子供が、です」
「…………」
沈黙が流れた。ハロニカがこの恐ろしき顔立ちの男に怯えずついていっていたのは、当時もはや縋るべき対象がそれしかいないと感じていたからだ。
別に怯えなかったわけではない。だから感傷にひたられるのは困るばかりであった。
「おや、噂をすれば」
ハロニカが黙っていると、ドラクスはそう言って遠くを眺めた。ハロニカもドラクスのみつめる方向へ視線を動かす。
一人の少女がとてとてと歩いてきていた。その少女とはスカーレット。昨日の今日で、また件の少女が訪れてきた。
「謝るいい機会ですよ、坊ちゃま」
頭上から聞こえるドラニカの声。ハロニカは煩わしく感じて無視をした。こちらに近づいてくる少女の姿を、黙ったまま、むっとした表情で睨みつける。
「こんにちは」
近づいてきた彼女はドラクスとハロニカに向かってぺこりと頭を下げた。
「昨日ぶりですなスカーレット様!」
「……」
快活に叫ぶドラクスと、無言で睨むハルクスの姿は対照的だった。彼女はそんな不躾な
ハロニカの態度を気にした様子もない。彼女は静かにドラクスさんへ上目遣いをする。
「どらくすさん、あの……」
「おっと、そうですな。某はさがっておりますぞ」
おずおずとしたスカーレットの様子。ハロニカと話をしにきたのだろうと、即座に意図を察したドラクスが、一歩後ろに下がってハロニカの後方に立った。
剣の稽古中に遮るようにして訪れたことに申し訳なさを感じながら、そのうえで自分のために時間を割いてくれたことにスカーレットは感謝した。
彼女はハロニカの方へ視線を変え、改めてぺこりと頭を下げる。
「こんにちは」
「……何だよ。僕は謝らないぞ」
ハロニカはふんと鼻を鳴らしてそっぽを向く。
「ん? あやまる?」
首を傾げるスカーレット。謝ってもらおうとは思っていなかったとでも言うような態度である。
「っ! ……じゃあ何しに来たんだよ」
先日あんな事をされたのにスカーレットは気にしていないようにまた現れた。
彼女の考えが読めず、ハロニカの心の内には、いらいらとした感情が湧き上がってくる。
「おはなしをしにきたの」
「別に僕はお前と話したくない」
嫌いなんだし、と口の中で続けた。
スカーレットとは明後日な方向に顔をむけたまま言葉を交わす。ハロニカはスカーレットと顔を合わせることすら拒んでいた。
そんな明確な拒絶にも彼女はめげず話しかける。
「きしになりないって、ほんと?」
「悪いかよ。お前も笑いに来たのか?」
ハロニカはむっとした顔になる。そむけていた顔をスカーレットに向けた。嫌な記憶が想起され、彼女の事を思いきり睨みつける。
「ううん。そんなことないよ」
「ふんっ、どうかな!」
吐き捨てるハロニカ。
スカーレットはしゅんとした様子で黙りこくってしまった。申し訳なさそうに身体を縮こませる。
しばしの沈黙があって、ハロニカは無言に耐え切れず言葉を発した。
「お前、今日は一人なんだな。昨日はいっぱいつれてたくせに」
「だれかときたら、いやがるとおもって」
スカーレットはポツリと呟く。彼女なりの気遣いであることが、少年の心にもわかった。
ハロニカの頭がカーっと熱くなった。こんな年下に自分は気をまわされたのだと思うと、悔しさが心を満たされる。
「――お前なんかに! 僕の気持ちがわかるかよ!」
それは、叫ぶような声だった。
単なる八つ当たりに過ぎないことを、彼は幼い頭で理解していた。
皆から愛される彼女の姿がかつての自分と重なり、そしてそんなスカーレットを見ていると、今や自分が見捨てられているという事実が一層自覚された。
もちろん彼自身、こんなふうに異母妹に対してこんな態度をとることがいいわけないことは気づいていた。まだ三歳と少しでしかない幼い妹。こんなにいたいけな女の子に、自分は何をやっているのだろうと思った。
だが、心に渦巻くどろどろとした嫉妬が止められなかった。頭がいい、かわいい。彼女の話を使用人たちから聞くたびに腹が立った。
彼女の姿を見ると、どうしても苛々とした感情が湧き上がる。
しかし、そんな怒りに当てられていてもスカーレットの表情は穏やかなままだった。
「わからないよ」
彼女の声はいつも柔らかい。それが余裕のように感じられて余計怒りが沸いてくる。
「じゃあ!」
「だから、しりたいの。だめかな?」
彼の怒りを、スカーレットは真正面から受け止めた。彼女の幼く整った容姿はまっすぐハロニカの方へ向けられている。
「どうして、そんな……」
こんなに酷いことを言っているのに、それでも泣いたり憤ったりしないスカーレット。彼女の真摯な態度に、彼の言葉の勢いは徐々に失っていく。
「だって、なかよくなりたいもん」
彼女の言葉はどこまでも無垢で、そして純真だった。
それでも内にある嫉妬は消えはしない。皆から愛される彼女が、そして見放された自分が、会うたびにその差が突き付けられる。
「僕は、お前と違って優秀じゃない」
こぼれた言葉は、ひどく情けないものだった。三歳も年下の女の子に何を言っているのだろうと、自分でも思った。
「そんなことないよ。けんをふる姿、かっこよかった」
スカーレットは尊敬のまなざしを向ける。
ハロニカにもそれが本当の言葉だとすぐに分かった。だからこそ、一層悔しくなった。自分はこんなに敵意を向けているのに、この少女はそれでも好意をもって接してくれているのだ。
自身がどれだけだめな人間なのか、はっきりと示されている気分になった。
「でも、僕は勉強もできない。作文だって、算術だって、マナーだって、何をしたってうまく出来なかった」
ぽつり、ぽつりとつぶやかれる言葉は、徐々に明瞭さを失っていく。声がどんどん震え始めていった。
口を開くたびに彼の心はほころびていく。
ついに視界がにじんで何も見えなくなった。
「お前と違って、僕は、もう……もう、みんなから見捨てられてるんだ。…………僕は、一人なんだよ」
目にたまった涙。彼は必死にこぼさないように耐える。涙を落してしまったら完全に決壊してしまう、そう直感した。
スカーレットは何も言わない。ただ慈しむような態度で少年の前に立っていた。
「ソフィーカ母様も、もう僕には、期待してないって。シアンだってあんなに僕といてくれ、たのに、もう僕とは……」
がちがちと歯が鳴った。呼吸が乱れる。木剣を握る力が強くなった。胸から込みあがってくる衝動が抑えきれなくなっていく。
ついに、ハロニカの目から大きなしずくとなって零れ落ちた。
「ぼくは、ぼくは、ぼ、くは……うわあああああああああああ!!」
落涙、それが契機となった。彼は堰を切ったように大声を上げて号泣する。目から大きな雫がどんどん零れる。体中の水分がなくなってしまうのではないかと思うほどの涙の量だった。
身体からふっと力が抜けて、両膝を地面につく。そのまま立ち上がることもできずにへたりこんでしまった。
それと同時に手のひらが自然と開かれ、手に持っていた木剣を取り落とす。
だらりと腕を下げて、座り込みながら、彼は顔を上に向けてポロポロと涙を流し続けていた。
三歳の妹の前で、情けなく泣き続ける自分が、彼にはとても恥ずかしかった。だがどうしようもなかった。彼は自棄の気分になってわんわんと泣き続ける。
その時、彼の体は温かく柔らかい感触に包まれた。
スカーレットが、その小さな体でハロニカの事をぎゅっと抱きしめたのだ。
「だいじょうぶ。だいじょうぶだよ。なかないで」
彼女の声は悲しくなるほどの優しかった。慈愛にあふれていて、思いやりと言う真心がうんと込められていて、どうしようもないほどにハロニカの心に響いていた。
「な、んだよ……」
抱きしめられた彼は、それに抗う気力がわかなかった。気恥ずかしさから彼女の顔が見られなくて、その衣服に顔をうずめた。
「みんなも、きっといつか分かってくれるよ。だってがんばってるんだもん」
スカーレットの言葉は、どこまでも献身的だった。その木漏れ日のような穏やかさと暖かさで、彼の冷え切った心を溶かし始める。
「で、も。ぼくのこと、だれもみてく、れない」
言葉の後に彼は大きくしゃくりあげて、鼻をすすった。
「わたしがみてる。そふぃーかさまだって、しあんだって、皆だってそうだよ。ちゃんとみてくれてる」
「違う! 母様はもう僕に何の期待もしちゃいないんだ!」
「そんなことないよ」
「あるもん!」
「じゃあさ――りっぱなきしになって、いつかみかえそうよ」
そして彼女の慈愛が、ついにハロニカの心をうった。
スカーレットだけが、自身の夢を認めてくれたのだと彼は知った。
勉強を投げ出してしまった事で見放され、騎士になりたいと言ったら否定され、少年はこれまで誰にも認められることがなかった。
こんなにも真正面から自分と向き合ってくれて、こんなにも真剣に自分の夢を聞いてくれて、うれしかった。
ぐちゃぐちゃに溢れ出す心の中に、喜びが混ざったことを実感する。頬っぺたがじんと疼いた。
ハロニカは顔をあげる。慈愛の表情を浮かべるスカーレットが視界に入った。
陽光を背にしたスカーレットには神の寵愛を感じさせるほどの美しさがあった。
「そしたらさ、わたしも守ってね――お兄様」
スカーレットは溢れんばかりの笑顔を受かべた。
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