程度の意味
――
「ごめんなさい、言い過ぎたわ」
「いえ……」
戻ってきたお姉さまは僕の横に腰を下ろした。そうされては倒れたままでいれるわけもなく、僕も座り直す。遠慮がちに、ちょこんと。あまり心地の良くない沈黙のやや後、半ば堪らなくなって口を開いた。
「謝るなら僕です。お姉さまは何も間違っていません」
これは本心。僕が甘かったのも、お姉さまの言が正論だとも本当にそう思うし、言い返しようもない。
「……ううん、初めての相手に言うことじゃなかったわ。そうね……多分嬉しかったのよ――」
嬉しい? 思いも寄らない返答。
「武術を習いたいと言われて……殆ど無理矢理投げ込まれた環境で、女のフリなんてしなくちゃいけない中で、貴方が自らを投げ込みたいと思ったのが武術。貴方はただ、言われるまま金的を差し出すのをよしとしなかった。そのとき直感的に思ってしまったの。『私を倒してくれるかもしれない。男性に打ち負かされたなら私のこの性癖も……――』って。……だから、期待し過ぎたのかもしれない……――」
昨日感じた青さ。いや、ブルーだけど青よりも青白さのそれが近そうで冷たくて、なんていうか……サァと消えちゃいそうな……脆そうだった。
「おかしいわよね、なんの根拠もないのに、私を倒せるかもとか男性に倒されたら収まるとか……。だから、やっぱり謝るべきは私なの」
「……」
なんて返せばいいんだろう。いや、何も返さない方が正しいのかもしれない。だって相手は完璧星人、「完璧」なんだから……。完璧なんだ、さっきの脆さだって完璧だった。彼女の完璧は不完全性がゼロなんじゃない、完璧であるが故に不完全性も完全に有しているのだ。後に複素数を学んだ際、そこにお姉さまを見出したような不思議な閃きを得た。
……僕の頭で虚数を理解できているわけないんだけど。多分虚数は「マイナス」とか「邪悪」な世界の数ではないだろう。けれど、崩れる様も様になる彼女を実数だけで表すのは不適、あるいは不可能に思えたから。……彼女の完璧は、実数のようにまっすぐで測れるものではない。マイナスでもプラスでもなく、どこにも属さない。複素数――想像上の軸でしか捉えられない、そんな存在。
普通ならこんなときどうすべきか、それくらいなら僕だって分かる。……でも、僕なんかが彼女に何を付け加えられるというのか。僕の描いた絵に教師が赤ペン入れるのとはわけが違う。彼女は隅々、どこを取っても完成された美なのだ。芸術に公共性があるならば、僕は何もしてはいけない。
……が――
「いいえ」
なんでだか口が動いた。
「悪いのは僕です。僕の認識が足りなかったのは事実です。だから僕が謝ります。ごめんなさい。……その……そんなにしょい込まないでください」
「でも――」と言おうとするお姉さまを遮って僕は話す。
「だって僕は『妹』ですから。姉を支える権利くらいある筈です。……それに、男としてなんていうか……ちょっとムカつきます」
……言ってしまった。きっと生意気。悪手、プロモデラーの作品にブサイクなパテを盛るくらい駄目なことだろう。外見を損ねただけでなく無駄な重量まで加えてしまった。
(きっと関節がヘタる……)
でも、素直な気持ちだ。
「……随分大胆にひとの中に入ってくるのね。……初めてだわ――」
やはり間違いだったのか。だとしたら、なんて土足でずけずけと……。
覚悟した一歩のつもりだったのに、後悔の鋭い蹴りが、冷たく、蒼く、突き刺さ――
「――まったく……。妹にして正解ね」
——否、蹴りはため息交じりの大天使にブロックされる。
「渡さない、誰にも」
「僕は……――」
「言ったでしょ、遠慮なく突くように。悪くはなかったわ」
今度は僕を遮るように肩に手を置いて稽古の再開を促した。
――
意識。とにかく意識を大事にするよう言われた。理想の動きはどうか、今の動きはどうか、どこが違ってどうすればいいか、その他……。そしてひたすら繰り返し。
「何を、どう、常に考えながら動いて。勿論、自己の状態を考えながら行動すると動作に遅れが出てしまう。だから数をこなして文字通り『身につける』。自然とそれができるまでやるの」
実戦じゃもっと他のことに頭を割かなければならない、だから事前に用意できる部分はなるべくオートでできるようにしておくこと。なんだか対戦ゲームに通じる気がした。ゲームだと自キャラの技は常に完璧な状態で放たれるから今まで考えたことはなかったけれど、単にボタンひとつ押すかどうかだったけれど、もしも僕自身がキャラになったら……。自分の技にいちいち意識回していたら、きっと相手の動きに反応なんてロクにできないだろうなぁ。
(小足どころか大足見てからの無敵対空だって難しいのに……)
本当に一瞬、60分の何秒に対応できるかどうかで勝敗に大きく影響する。その僅かのためにメモリを使わないといけないんだ。ゲームはあくまでゲームで、現実は現実ではあるんだけど、一方でゲームは現実の似姿でもある。それを肌で感じるようだった。
(逆にいえば現実はゲームに似たものでもあって……――)
何かそこから閃きが生まれそうではあるんだけど、今は必要ない気がして止めた。