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天使が来りて玉を蹴る  作者: 漫遊 杏里
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紛濡者

 ──


 意識が朦朧としたまま目を覚ました。白い天井が見える。


(……病室?)


 学院の保健室で目覚めたときのことを思い出す。でも、もっと無機質な感じ。

 薄明かりの中、お姉さまが心配そうに僕を見守っていた。


「瑞祈、大丈夫? よかった……目が覚めてくれて……」


 彼女の声が優しく響く。僕は小さく頷いて、体に広がる鈍い痛みを感じた。股間に鈍い腫れと熱が残っていて、強烈な痛みが波のように襲ってくる。それでもお姉さまの存在が僕を安心させてくれた。


「ッ……痛い……」


 声を絞り出す。お姉さまはすぐに僕の側に寄り添い、その手を優しく握った。


「ごめんなさいね。こんなことになって……でも、しっかり見ておくから。きっと良くなるはずだから……」


 その言葉には深い愛情と責任感が込められていた。


 しばらくして施設に滞在している医師が治療のためにやって来た。僕はその姿を見ると少し緊張した。


「露草くん、経過観察のためにいくつか確認したいことがあるけど、大丈夫かな?」


 医師は穏やかな口調でそう言いながら近づいてきた。僕は頷いたけど、胸の奥で不安が渦巻く。


「これから少しだけ痛いかもしれないけど、我慢してね。今回の治療は特殊なものだから……」


 その言葉に僕は戸惑いを覚えた。


(……特殊な治療?)


 お姉さまがやわらかく口を開く。


「瑞祈、安心して。ね?」


 その声音には迷いも痛みも、そして強い決意も混じっていた。


 医師が準備を進める中、お姉さまが小さくつぶやいた。


「これから使うのはね、BALLSという装置。詳しい説明は省くけれど今の貴方にはこれが必要なの」


 その言葉に僕は不吉な予感を覚えた。


(……BALLS。ゲームだったら完全にフラグだ。泣ける……)


 医師は機器を操作しながら治療開始を告げる。僕は心の中で、何が起きるのか不安になりながらも、お姉さまの温もりを感じつつ、治療に身を委ねた。


──


 薄暗い施設の一室。病院のような清潔な香りと機械の微かな音が不安を煽る。僕は無理やり視線を上げて周囲を見渡す。医師は白衣の袖を軽くまくり、無言で記録端末に何かを打ち込んでいた。その姿に僕の中に妙な違和感が生まれる。


(……まるで僕が、ただの実験対象みたいだ)


「これから、少し検査をします。大丈夫ですか?」


 僕は小さく頷く。だけど、心の中では、果たして本当に大丈夫なのかと疑問が渦巻いていた。


 金的はまだ腫れたままで、痛みが少しずつ和らいでいるものの、全快とはほど遠い。そんな状態で何をされるのか、想像するだけで身震いがした。


 医師は僕に近づき、冷たく光る医療器具を手に取る。彼女の目がその器具に注がれると、僕の心臓は早鐘のように打ち始めた。お姉さまの顔を思い浮かべることで気を紛らわせようとするが、不安は増すばかりだった。


「これから、神経反応のデータを採取します。局所的な刺激になりますが、安全は確認済みです。……とはいえ、少し痛みます」


 冷たい器具が触れるたびに、急所に鋭い痛みが走る。無意識に息を呑み、体を硬くしたまま耐え忍ぶ。けれどその瞬間、針が深く突き刺さった。


「うわぁぁぁぁぁっ!」


 思わず叫び声を上げる。僕の身体は反射的に跳ね起き、注射器を引き抜こうともがく。痛みが全身を駆け巡り視界がぼやける。


「落ち着いて! もう少しで終わります!」


 医師の声が飛ぶが、恐怖と激痛が耳をふさいでしまう。体の反応が止まらない。針が抜かれた後も焼けるような痛みの余韻が残り続けた。


 作業が終わったあとも僕はただ天井を見つめていた。医師が記録を終え、静かに部屋を出ていく。


──


 やがて部屋のドアが静かに開き、お姉さまが顔を覗かせた。彼女の顔に浮かぶ心配そうな表情を見た瞬間、僕は一瞬ホッとした。


「大丈夫? 瑞祈」


 彼女の声は優しく、心に染み入る。近づいてきたお姉さまに微笑みを返そうとしたが、痛みが再び僕を襲い、顔がゆがむ。


「……大丈夫……です」


 彼女は黙って僕の手を握った。その温もりが、張り詰めた神経を少しずつ緩めてくれる気がした。


「大丈夫。私が傍にいるから」


 その言葉が心に響く。僕は、彼女がいてくれるから耐えられるのだと改めて思った。


「お姉さま……僕、無理を言ってるかな?」


 自分が彼女にとって重荷になっていないか、不安が胸に広がる。


「いいえ、そんなことない。私も貴方がいてくれるから頑張れるの」


 彼女の言葉に、心の奥まで光が差し込んできた。


──


 合宿の終盤、僕はお姉さまの別荘で療養を続けていた。金的の痛みはまだ残っていたが、研究所での治療のおかげで少しずつ回復に向かっていた。ただ、痛みと共に、何か奇妙な違和感がじわじわと広がっていた。


 ある日、静かな部屋で並んで座っていたとき、お姉さまがそっと口を開いた。


「瑞祈、あの治療について少し話してもいいかしら?」


 彼女の表情は真剣そのものだった。


「BALLSというのは、『Brain-Assisted Limbic and Learning System』。本来は、記憶や感情を司る脳の再生・接続を補助するための神経支援技術なの」


 僕は驚きながらも、続きを促した。


「本来は脳に使うためのもの……それを精巣に?」


「そう。精巣と脳は、発生学的にも構造的にも驚くほど共通点があるの。たとえば、免疫特権、神経伝達の仕組み、細胞の分化プロセス……。だから、非常時の応急処置として、神経保護目的でBALLSを試したの」


 お姉さまの声に、深い責任感と迷いが滲んでいた。


「もし処置が遅れていたら、摘出の可能性もあった。だから、あなたを守るために、試験段階の方法を選んだの」


 その言葉の重さが、胸に響いた。


 ──


 別荘を出る日。僕は寮に戻るための荷物をまとめながら、まだ金的の奥に残る違和感をぼんやりと感じていた。


(……腫れは引いている。でも、何かが……)


 まるで奥深くから波のような刺激が脳に向かって伝わってくるような。明確な痛みではない。だが意識の底で、何かが「反応している」ような感覚。


(もしかしてこれが……BALLSの影響? それとも、僕自身の何かが変わった……?)


 まだ答えは出ない。ただ一つ確かなのは、僕の中で何かが動き始めているということだった。



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