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天使が来りて玉を蹴る  作者: 漫遊 杏里
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恥悔者

 夏の兆しが見え始めたある日、授業の合間に僕はサキと廊下で立ち話をしていた。窓から吹き込む風は生ぬるく、遠くでセミがその存在を主張するように鳴き始めている。

 サキがいたずらっぽく微笑んだ。


「そういえばさ、この学院の『王子様』って知ってる?」


「……王子? 王子って……ここ女学院だよね?」


「それがいるのよ、ほんとに! 名前はセレスト・ブルーメル。次のガウリール候補なんだから!」


「ガウリール……」


 僕はその言葉を反芻した。ガウリール──毎年選ばれる学院の象徴とも言える存在。今のガウリールはお姉さまだ。……ということはそのセレストって人もきっとスゴイ人に違いない。……てか外国人?


「……さすがに女の人だよね?」


「当たり前でしょ。でも、それでも『王子』なの!」


 サキは身を乗り出し興奮気味にその人物の魅力を語り出した。


「金髪で碧眼、長身でスタイル抜群。完全に宝塚の男役みたいな人なんだから! さすがにズボンじゃないけど、スカートでもめちゃくちゃカッコイイの!」


 僕は苦笑した。それはまるで、「男よりも男らしい」女性像だ。


「はぁ……でも、僕には関係ないよ」


 そう言いつつも、胸の奥に微かな興味が芽生えているのを感じた。


(男よりも男らしい……か)


 ──

 サキとの話を切り上げ、僕は急いでその場を離れた。そういえば課題の提出期限が今日だった。


「やばいやばい!」


 焦るあまり、僕は廊下を走り出す。

 その瞬間──


 ドンッ!


 何かに激しくぶつかり、僕はそのまま床に倒れ込んだ。


「うわっ!」


 衝撃で尻もちをついた拍子に、股間に鋭い痛みが走った。


「……っ!!」


 じんじんとした鈍痛が下腹部を襲い、全身から冷や汗が噴き出した。


「……くっ……うぅ……」


 倒れた相手──長身の女性が僕の上に覆いかぶさるように倒れている。そして、彼女の膝が不運にも僕の股間を押し潰していたのだ。


「大丈夫?」


 心配そうに覗き込む彼女の顔がぼんやりと視界に映る。まるで陽光をそのまま形にしたような金髪が、僕の顔に影を落とした。その顔はどこか男らしいのに、どことなく美しい。


「……ひょっとして……君、男の子?」


「……あ、ああ……」


 押し潰された衝撃が腹の奥に響いてくる。痛みでまともに声が出ないまま、僕は弱々しく頷いた。彼女はその答えに目を丸くしたが、すぐに何かを理解したように顔を引き締めた。


「そんな……大事なところになんてことを……」


 彼女は深く息を吸い込み、まるで重大な決意をしたかのように言い放った。


「……責任は取る!」


「え?」


「ボクのせいでこんなことになった以上、ちゃんと責任は取るよ!」


 僕は痛みを堪えながら、何とか彼女の言葉の意味を理解しようとする。


「な、なに言って──」


 しかし、次の瞬間、彼女は堂々と宣言した。


「付き合ってくれ!」


「……えーーーっ!??」


 思わず痛みも忘れて目を見開いた。


「いや、ま、待って! なんでそうなるの??」


「大丈夫。君が男の子でも、女の子でも関係ない。何か事情があるんだろ?  傷物にした以上責任を取るのが筋ってものさ!」


「そ、そういうんじゃなくて……!」


 混乱する僕をよそに、彼女は僕の手を取ってぐいっと立ち上がらせた。その手は驚くほど力強く、そして温かかった。


「だから、これからよろしく」


 ただ呆然と彼女を見上げるしかなかった。


(なんなんだ、この人……!?)


 僕は股間を押さえたまま立ち尽くしていた。


 ──セレスト・ブルーメル。


 その名前が、この夏、僕の運命を大きく変えることになるなんて、今の僕には知る由もなかった……。

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