吐露めいた
武道場の静かな空気が二人の呼吸と汗の匂いに染まっていく。僕は足を踏み込み、素早く構えを取り直すが、すぐにお姉さまは鋭い一撃を繰り出す。
「──まだ甘いわよ、瑞祈」
お姉さまの声は、繰り出される技と同じく、冷たく刃物のように鋭い。それでもそこに見え隠れするのは信頼だ。お姉さまは僕のすべてを見抜いている。逃げ場なんてない。事実、彼女の足先は僕の股間のほんの手前で止められていた。たしかに、例のカップがあるからこのまま蹴り上げられても僕は、僕の金的は、なんともないだろう。だからこれはワザと。僕の甘さを教えるための王手の宣言。
(……もっと速く動けるはずなのに!)
額を流れる汗が目に入りそうになるが、そんなことで動きが鈍るわけにはいかない。呼吸が浅くなるのを必死で押さえて次の攻撃に備える。カップの中がじわりと熱を持ち始めているのがわかる。それでも、それでもここで休むわけにはいかない。
「さぁ、もう一度。集中して」
お姉さまの声に促され、再び構え直す。だが、体は限界を訴え始めていた。股間の奥まで焼けてしまうような感覚……。これ以上無理はできない。
「……すみません。休憩を……」
僕は悔しさを押し殺し、かすれた声で申し出た。お姉さまは静かにうなずく。
──
二人きりの静かな時間。お姉さまは冷えたタオルを手に取り、僕のカップを外す準備を始める。その手際はいつものように慣れたもので、余計な言葉は一切ない。
「……少し熱くなりすぎたわね」
過熱したのは稽古か、それともファールカップのことか。
冷たいタオルが肌に触れた瞬間、思わず体が跳ねそうになる。しかし、お姉さまの手のひらが優しくそれを押さえた。
「じっとしてなさい、瑞祈……」
その声は柔らかく、どこか甘く響く。冷えた布が金的を優しく包み込み、ゆっくりと熱を吸い取っていくようだ。けれど、冷やされる感覚と共にくる微妙な心地よさが、胸の奥に何とも言えない悩ましさをもたらす。
(どうして……こんな風にされると、心がざわつくんだろう……)
お姉さまは手を止めることなく、軽くマッサージを続ける。その指の動きは微妙に力を抜きながらも的確で、甘さと苦しさの境界を行き来するようだ。僕は目を閉じ、唇を噛みしめた。
「……こんなところかしら?」
お姉さまの声に僕は小さくうなずく。それでも、胸の中には拭いきれない不安があった。
(こんなふうに頼ってばかりで、本当に強くなれるのかな……)
冷却とマッサージが終わると、お姉さまは冷たいタオルを片付け、穏やかな表情で僕を見下ろす。息を整えながら、内心で焦りを感じていた。
(前回はもっと前向きになれたのに……。どうして今日は、またこうして弱気になってしまうんだ?)
いつも通りの展開──金的を冷やされ、手厚くマッサージされるこの時間が、どこか自分を甘やかしているような気がする。そう思うたび、心が萎んでいく。
「……自分が情けないです」
僕はつぶやき、うなだれる。
「どうして?」
不意にお姉さまの声が僕の思考を遮った。驚いて顔を上げる。
「今日のカップ、なかなか熱を持たなかったじゃない」
「え……」
「動きが増えるほど中にこもる熱も増える。つまり、熱の速度は貴方の動きの激しさのバロメーターってことね。けれど休憩に入るまでの時間がいつもより少し長かったわ。それだけカップが熱を帯びるまでの時間が遅くなったことを意味するはずよ。つまり無駄な動きが減った証拠。このまま続けていけば、もっと伸びるわ」
思いもよらない感情がじわりと広がる。お姉さまが褒めてくれるなんて、今まであまりなかった。思わず胸が熱くなる。でも、それを素直に受け入れる前に、お姉さまがふと目を細めて微笑んだ。
「……けれど……ひょっとしたら、いずれこの愉しい時間がなくなるのかしら……?」
冗談ぽく言うその声には、どこか残念そうな響きがある。
「……お姉さま?」
僕は驚いて目を見開く。お姉さまの表情は柔らかいままだが、どこか意味深だ。
「まぁ、それはそれでいいのかもしれないけれど──どうせなら今は、もう少しこの時間を楽しんでおきたいわね」
お姉さまの囁きが耳元をかすめた瞬間、なんだか嫌な予感がした。けども、気づいた時には遅かった。
「……あ――!」
お姉さまの手がウェアのスリットに忍び込み、敏感な部分に冷たい指先が触れた瞬間、僕の体はビクリと硬直する。まるで電流が走ったかのような感覚。冷やされていたはずの金的は、触れられるや否や眠りから目覚めたかのように反応し、全身に鈍く甘い衝撃を走らせる。
(な、なんで……こんなことに……)
心が……そして同じように急所が……揺れる。わかっている、これはただの「悪戯」だと。けれど、それ以上の意味が込められているような気がして、いつも以上に頭が混乱する。力を抜こうとしても、下腹部からじわじわと広がる不安と悦びの入り混じった感覚がまとわりついて離れてくれない。
「ひゃあ……お、お姉さま……!」
かすれた声で訴えるが、そんな僕の様子を見ても、お姉さまは微笑みを浮かべたままだ。
「ふふ、やっぱり可愛いわね。素敵……」
その声音は甘やかで、からかうような優しさを含む声。その響きに、悔しいほど心が揺さぶられる。指先は繊細に触れるだけでなくて、時折そっと押し返すようにして、僕の最もか弱いところを弄んでくる。
(ダメだ……耐えられない……!)
心の奥で「やめてほしい」という声が上がる一方で、同時に、認めてしまうと何かを失ってしまう気がするけれど、「もっとこのままでいたい」という自分もいる。情けないくらい素直になれない感情が、胸の中でぐるぐると渦を巻いていた。
「もぉー! 本当に、意地悪しないでくださいってば!」
顔を真っ赤にしながら泣きそうな声で訴えた。これでも精一杯の抵抗。けれど、それを聞いたお姉さまは、まるで愛おしそうに微笑みながら、指を少しだけ摘むようにして──軽く……揺らした。
「ひゃっ……!」
……反射的に飛び上がってしまった。その情けない姿を見て、お姉さまは思わず吹き出す。
「ふふっ、瑞祈ったら。可愛い……とっても素敵よ」
笑い声が耳をくすぐる。羞恥心で胸がいっぱいになる。それでも、どこかで「可愛い」と言われたことに、ほんの少しだけ喜んでいる自分がいるのが悔しかった。
(だから僕はマゾじゃないんだってば!)
「もぉー……お姉さまの意地悪……」
心の中とは反対に弱々しく、拗ねたように呟くと、お姉さまはやりきった表情でようやく手を離した。
指先が金的を離れる瞬間、残された熱と痺れがじんわりと広がり、僕はは静かに息を吐いた。
「ふふっ、ここを守るのはまだまだね」
「その方がいいのだけど」と続けるお姉さまの言葉に僕は反論できなかった。守れない自分が悔しくてたまらない。それでも、不思議とこの時間が嫌いではない。むしろ、こうして触れられるたび、彼女に見透かされているような安心感すら覚えるのだ。……いや、マゾじゃないよ? 決して……。
「でもね、瑞祈」
お姉さまの指が今度は優しく僕の肩に触れる。顔を上げると彼女は少し真面目な表情を浮かべていた。
「さっきも言ったけど、今日の稽古はいつもよりハードだった。それなのに休憩に入るまでの時間が少し長くなったでしょ。繰り返すけれど、無駄な動きが減って集中できている証拠よ。少しずつでも前に進んでいるわ」
彼女の言葉に胸がじんわりと温かくなるのを感じた。認められたという喜び──自分が成長しているという実感。ずっと望んでいたものだったから。
「……ありがとうございます」
小さく礼を言う僕に、お姉さまは満足そうに微笑む。
「でも……それでいつかこの時間がなくなってしまったら寂しいわ」
冗談めかして言うその言葉に、胸が少しだけきゅっと締めつけられる。
(そうなったら、寂しい……のかな……)
お姉さまの悪戯に振り回されるのは大変だ。でも、その時間がもし本当に終わってしまったら──そう考えた途端、自分の心に小さな不安が芽生えていることに気づいた。
そんな僕の心境を知ってか知らずか、お姉さまは僕の肩を軽く叩き、「さぁ、続きをしましょうか」と促した。
(本当に……僕はこのまま強くなれるのかな?)
迷いを振り払うように拳を軽く握りしめる。次の稽古でお姉さまをもっと驚かせることができるかもしれない──そんな思いが僕の心にかすかな希望を灯していた。
……もちろん、カップをしっかりと着け直したことは言うまでもないのです……。




