第3話:悪役令嬢と婚約者
王宮の大広間で盛大に執り行われている王立アストライア学院の卒業パーティは、きらびやかなシャンデリアの光と、着飾った貴族たちの華やかな笑い声に包まれていた。絹やサテンのドレスが擦れ合う音が響き、どこを見渡しても優雅な社交界のワンシーンそのものである。
――だが、その豪華絢爛な空間の片隅で、私ユリウスは柱の影に身を潜め、冷や汗を拭いながら手元の胃薬を口に放り込んでいた。
大ホールのステージ中央。スポットライトを浴びて対峙するドレイクとルクレツィアの間に、凍りつくような緊張感が走っていた。周囲の貴族たちは「ついに王太子殿下が気高すぎる公爵令嬢に愛想を尽かし、婚約破棄を言い渡すのでは」と息を呑み、固唾を飲んでその行方を見守っている。
しかし、当事者たちの頭の中身を知る私からすれば、これから始まるのはサスペンスでも修羅場でもない。「BL厨の悪役令嬢」と「NTR厨の婚約者」による、宇宙規模のジャンルすれ違い大戦争のファイナルステージだった。
「……ルクレツィア」
沈黙を破り、ドレイクが重々しく口を開いた。彼の瞳には、禁断の恋に溺れた婚約者に対する最高に狂ったNTR興奮の炎が宿っている。
「お前、最近ずっと……私ではなく、いつもユリウスばかりを見つめているな」
「っ……! な、何をおっしゃいますの!?」
ルクレツィアはビクリと肩を跳ねさせたが、心の中では絶叫の嵐が吹き荒れていた。
(キャーーー! 王子が側近への執着を堂々と口にしたわよ……! これぞ攻めが受を独占したい欲の表れ……! あぁ、婚約者を目の前にしながら、側近を挟んだ三角関係のバチバチ感、尊すぎて今すぐここで昇天しそう……!)
「図星なのだな」
ドレイクはフッと不敵な、どこか陶酔した笑みを浮かべた。
「お前がどれほどユリウスのことを想おうと……あいつは⋯⋯ユリウスはこの私の気持ちを知っている! 理解してくれている!だから、絶対に私を裏切るような真似はしない!」
(いや……、心の底では親友の婚約者を寝取ってしまうのか?ユリウス!ってめちゃくちゃ期待してるし、もし実際に寝取られたら最高に背徳的で興奮して絶叫してしまうだろうけどな……ッ! くっ、ユリウスは真面目だから、私がルクレツィアを好きだって知ってる限り、絶対に手を出さないだろうよ!)
――しかし、このドレイクの決死の宣言を聞いた瞬間、ルクレツィアの美しい瞳が、驚きと、そしてそれ以上の圧倒的な歓喜に見開かれる。彼女は扇子を落としそうになりながら、信じられないものを見るようにドレイクの顔を凝視した――そして、ルクレツィアの脳内で盛大なショート音が響き渡り、やがて視界が圧倒的な光に包まれた。
「いま……『あいつは私の思いを知っている』『私を裏切らない』って、はっきり言ったわよね……!? それってつまり……あなたがユリウス様に寄せる熱い想いを、ユリウス様も受け入れていて……二人はすでに心を通わせているってこと……よね? 公式ってことよね!?いえ、待って、それじゃあ私、これからどこのポジションに……? ユリウス様が正妻の本命で、私はそのカモフラージュのため……いや、もしかして私、二人の純愛の邪魔をするだけの『邪魔な当て馬』というわけね!? ふふ、私の完璧な脳内相関図のプロット、全面書き換えが必要ね!!」
「どう解釈したらそうなるんだよ!!」
ドレイクは自分の想定とは斜め上すぎる方向で勝手に大歓喜し始めた婚約者に気圧され、思わず勢い余って、ルクレツィアの両肩をガシッと力強く掴んだ。
「違う! そうじゃない!」
「本当は、お前が……! お前がいつもユリウスとばかり話して、俺に見向きもしないから、俺は……俺は嫉妬で狂いそうだったんだよ!!」
――静寂。
あまりの直球すぎる、そしてあまりにも恥ずかしい本音の告白に、大ホール全体の時間が数秒ほど停止した。
ルクレツィアは、ポカンと口を開けたまま、信じられないものを見るようにドレイクの顔を見つめていた。そして、その真っ白な頬が、耳たぶの先までトマトのように限界まで赤く染まっていく。
「い、いま……何て……?」
「だからっ! 俺は、お前が好きだと言っているんだ……っ!」
ドレイクが羞恥心で絶叫すると、ルクレツィアは膝から崩れ落ちそうになり、両手で自分の真っ赤な顔をバッと覆った。
(私の脳内BL妄想が……! 王子のガチ恋告白によって綺麗に粉砕されて、王道すぎる両思いの少女漫画ラブコメに着地したぁぁぁ……っ!!)
柱の陰で、私はその世紀の勘違い大爆発の結末を聞きながら、静かに膝から崩れ落ちていた。
BL厨の限界オタクとしての勘違いと、NTR厨の変態としての勘違いが正面衝突した結果、お互いの「好き」という名の直球の暴力によって、あまりにも美しく、そして平和すぎるハッピーエンドに着地してしまったぞ。
周囲の貴族たちはしばらくポカンとしていたが、やがて「おぉ……!」というどよめきと共に、盛大な拍手を送り始めた。
ステージの上では、ドレイクが顔を真っ赤にしながらもルクレツィアの手をしっかりと取り、ルクレツィアが恥ずかしさのあまり頭から湯気を出しながらその胸をポカポカと叩いている。完全にただのラブラブなバカップルだった。
「完璧だ……これ以上ないほどに、完璧な大団円だ……!」
私は柱の陰でそっとガッツポーズを作りながら、心の中で歓喜の涙を流していた。
二人のすれ違いは完全に解消され、王太子は愛する婚約者の手を取り、周りの貴族たちは祝福の嵐。私の胃を長年キリキリと抉り続けたBLとNTRの妄想交差点は、眩しすぎるほどの直球ラブコメによって綺麗に舗装されてしまった。
もう、真夜中に「ユリウス、どうすればあいつは俺を見てくれるんだ……」という王太子の重すぎる恋愛相談を聞かされることもなければ、「ユリウス様、今の王太子の視線、完全に私の存在を隠れ蓑にした背徳のアイコンタクトですわよね!?」という悪役令嬢の暴走した推理に相槌を打つ必要もないのだ。
「さて……」
私は誰の祝福の輪にも加わらず、ただ一人、音もなく夜会の出口へと踵を返した。
王宮の重厚な扉を抜けると、肌寒い夜風が心地よく頬を撫でる。夜空には満天の星が輝き、王都の喧騒が遠くのBGMのように心地よく響いていた。
ポケットに手を突っ込むと、そこには使い切らなかった胃薬が数錠と、実家の領地への馬車の切符が大切にしまわれている。
「帰ろう。そして明日からは、広大な領地でひたすらキャベツとジャガイモの品種改良にいそしむんだ……」
私は長年の過労と胃痛の呪縛から完全に解放された軽やかな足取りで、実家へと続く馬車乗り場へ向けて、まっすぐ歩き出したのだった。
――完




