第1話:僕と悪役令嬢
王立アストライア学院、高等部の生徒会室。
夕日に染まる窓の外では、秋の冷たい風が校庭の並木を揺らし、乾いた枯れ葉の音がカサカサと響いていた。本来、この時間は生徒会役員たちが一日の激務を終え、静かに優雅なティータイムを過ごすはずの黄昏時である。 だが、今のこの空間に流れていたのは、優雅さのかけらもない。煮詰まったコーヒーのような、ドロドロとした澱んだ沈黙だった。
窓際の席で分厚い会計の書類と格闘していたのは、
私――ユリウス・フォスター。
侯爵家の次男にして、この国の宰相を父に持つ私は、王立アストライア学院の生徒会会計を務めつつ、王太子であるドレイクの側近として常に彼の傍らに控えていた。自分で言うのもなんだが、端正な顔立ちをしていると周囲からは評され、細身ながらも鍛え上げられた体躯を持つ私は、日々の激務にすっかりすり減らされていた。家督は兄が継ぐため、私は卒業したら宮廷のしがらみを離れ、実家の領地に戻ってのんびり文官として働くか、いっそ広大な畑でも耕してスローライフを送りたいと切望する、日々胃痛に悩む「ただのモブ(のつもり)」だった。
しかし、私のささやかな平穏の夢は、我が国のトップに君臨する我が儘な幼馴染と、学院で恐れられる悪役令嬢によって、音を立てて踏みにじられ続けている。
「――ねぇ、ユリウス様」
静寂を破るように、冷ややかでありながらもどこか熱を孕んだ声が降ってきた。 ビクリと肩を跳ねさせた私の視線の先には、純白のドレスシャツの上に上品なワインレッドのベストを纏い、黄金の巻き髪を誇らしげに揺らす少女が立っていた。王太子ドレイクの婚約者であり、完璧な淑女と名高いルクレツィア・ド・ヴェルサイユ公爵令嬢令嬢その人だった。
「これは、ルクレツィア様。……何か、書類の不備でもございましたでしょうか」
「不備などではなくてよ! ……それにしても、相変わらずなんて整った、忌々しいほど美しいご尊顔ね……っ。 ――って、そんなことはどうでもいいのよ!」
ルクレツィアは美しい眉をぐっとひそめ、持っていた高級な扇子で自分の真っ赤な胸元をパタパタとはためかせた。その耳たぶが、夕日のせいではない鮮やかな赤みに染まっている。
――私には分かっている。
彼女は怒っているのではなく、目の前で繰り広げられる「王太子×側近」というリアルタイムの尊さに頭が沸騰しているのだ。
「どうしてあの方は、わたくしという婚約者を差し置いて、あなたとばかりお帰りになられるのです!」
「私とばかりといいますと……ドレイク殿下のことでございますか」
「当たり前ですわ! 殿下にはこのルクレツィアという婚約者がいながら、よりによってあなたのお部屋に入り浸り、夜遅くまで何を密やかに語り合っていらっしゃるのですの!」
「いえ、何をって……昨日は殿下が恋路のお悩みを抱えておられまして……」
「恋路ですってえぇぇ!?」
ルクレツィアの声が、教室の天井を突き抜けそうな勢いで跳ね上がった。
――あぁ、また始まった。
彼女の脳内では今頃、「切なさに耐えかねて悩みを打ち明ける王子(攻)と、それに寄り添う健気な側近(受)」という脳内妄想がマッハの速度で生成されているに違いない。
何を隠そう、ルクレツィア・ド・ヴェルサイユは前世の記憶を持つ転生者である。
そして彼女はこの世界に「ボーイズラブ」という概念を持ち込み、水面下で熱狂的に布教している張本人なのだ。
ドレイクが自分に冷たいのは「ドレイクが側近にガチ恋していて、自分は二人の愛を阻むただの悪役令嬢にされているからだ」という、宇宙規模の致命的な勘違いを全開でキメている。
真実はヘタレなドレイクが、ルクレツィアが好きすぎて目を合わすことができないだけなんだがな⋯。
もちろん、彼女には公爵令嬢としての揺るぎないプライドがある。二人の仲を軽薄に茶化すような言葉など決して口にせず、あくまで冷ややかな悪役令嬢の仮面を被っているつもりなのだが、その瞳の奥には隠しきれない歓喜の炎がメラメラと燃えている。
そして、そんな彼女の正体にいち早く気づいてしまったのが、ほならぬ私――ユリウスである。
実は、私自身も前世の記憶を持つ転生者だった。日本の現代社会でライトノベルとアニメに塗れた日常を送り、挙句の果てには「推しカプの尊さについて夜通し語る」のが日課だった重度の腐女子の姉を持つ男だった。前世の姉には、毎日のように自作の二次創作小説を無理やり読まされ、「ここが解釈違い!」「攻めの目が死んでいる!」と理不尽に説教されたトラウマがある。
だからこそ、私はこの世界に転生して間もない頃、ルクレツィアと出会った瞬間にこう確信した。
――あ、この人、前世の姉貴と同類ガチのオタクだ、と。
学院の誰もが恐れ、憧れる「悪役令嬢」の気高く冷ややかな仮面。
その裏に隠された「推し(ドレイク×ユリウス)の供給に狂喜乱舞する限界オタクの魂」を、私は初対面で見抜いてしまった。
(姉貴が新刊の限定版を手に入れた時の顔と全く同じだ……)
と気づいた瞬間から、私の平穏な学院生活は音を立てて崩れ去り、代わりに胃痛の日々が始まったのだ。
「ねえ、ユリウス様」
ルクレツィアは艶めかしく、しかしどこか切なげな笑みを浮かべて、私の机に両手をついて身を乗り出してきた。その至近距離の美貌に気圧されながらも、私はそっと視線を逸らす。
「あなた、本当はわかっているのでしょう?」
「なにがでございましょうか」
「殿下があんな風にわたくしの前であなたにベタベタするのは、全部あなたが仕組んでいることなのでしょう? わたくしをあえて嫉妬させて、お二人の禁断の愛を燃え上がらせるためのプロットなのでしょう!? そうでなければ、あんな脳き……いえ、あの方がわたくしを放置して男と夜を共になさるわけがないわ!」
「⋯⋯言い方!!ベタベタなんかしてねーよ!
⋯いえ、本当に私は何の工作もしてないって……じゃなくて、私はただの側近でございます」
「嘘おっしゃい!」
ルクレツィアはぷるぷると唇を震わせ、大粒の涙をその目に浮かべた。もちろん、彼女の脳内では『あぁ、王子に翻弄される側近の切ない表情、最高……!』と歓喜の渦が巻いていることだろう。
「わたくしだって……わたくしだって⋯!本当はあの方に振り向いてほしいのよ!
(でも、お二人の間に割って入るなんて、わたくしのBL美学が許さないわ! )
なのに、なんでいつもあなたたちが楽しそうに笑い合っていらっしゃるのよ……ずるいですわ、ユリウス様!」
――あぁ、もう。心の声、私にも聞こえちゃってますよ。前世の姉貴に振り回されていた記憶が蘇り、私のこめかみがズキズキと痛み出す。
この令嬢は、私にに嫉妬しているのか、それとも私たちを最高のカップルとして勝手に愛でて悶絶しているのか、もはや本人にも分からなくなっているのだろう。
「ルクレツィア様、お願いだから私をその奇怪な舞台から降ろしてください。私はただ、お二人が円満に結ばれて、私を一刻も早く実家に帰してほしいだけなのです」
「円満、ですって……!?」
ルクレツィアはあまりの衝撃に絶句し、持っていた高級な扇子で自分の真っ赤な顔を必死に隠した。
「そんな、殿下がわたくしなどそっちのけで、あなたに執着していらっしゃるというのに……すべてを放り出してお気楽に実家へ帰ろうなどと、そんな虫のいい結末が許されるはずありませんわ……っ!」
「いや、許してくれていいじゃないですか、私の人生設計なんですから」
「うるさいですわね! ……とにかく、明日の卒業パーティで、お二人がどのような面持ちで現れるか、わたくしが特等席でたっぷり見届けて差し上げますからね……っ!」
そう言い残すと、彼女は風のように生徒会室から駆け去っていった。
残されたのは、静まり返った部屋と、相変わらずズキズキと痛む私の胃袋だけだった。
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