第1話 あるあるな始まり?
俺、上谷真が最後に覚えているのは、親友であるヒエイの笑い声だった。
くだらない話をしながら歩いていた夜道。街灯の下で、親友が何かを言って、俺が笑い返した。それだけの夜だった。何でもない、普通の夜だった。
だから、今の状況が、まるで理解できない。
「ここは、どこだ……」
俺の瞳に映る、一面の白い世界。
どこを見ても同じ白。遠くも近くも、上も下も、区別がつかない。自分の足が地面を踏んでいる感覚だけが、かろうじて「立っている」という事実を教えてくれる。
「……ヒエイ」
影一つない白い世界で、辺りを見回し、振り返った先に、見間違えるはずのない男が立っていた。
『おう、シン』
神風 飛燕。高校時代からの親友。ずっと隣にいた親友が、同じように白い空間の中に立っていた。
よかった、と思った。その感情だけが、ひどく正直だった。
ヒエイはいつも通りの明るく陽気な様子でそこに佇んでいた。
「ヒエイ、お前も来ていたのか」
知っている顔が、ここにある。それだけで、俺の胸の中に張り詰めていた何かが、すうっと緩んだ。
そのとき、何もないはずの虚無に、一点の光の玉が現れた。
突如現れた光の玉が膨れ上がり、周囲の白い世界を照らすほど光り輝いた。
眩しさに目を細める間もなく、光は人の輪郭を作り、女性の姿になった。白金の髪が風もないのに揺れている。灰青の瞳は静かで、綺麗というより、人間のものではない美しさだった。
「目が覚めたのですね。シンさん。ヒエイさん」
慈しむような、それでいてどこか優しげな声が響く。
初対面のはずの相手に名を呼ばれ、俺は驚いて隣に立つヒエイの方へ視線を走らせる。
いつも何事にも動じないヒエイが、珍しく口を閉じたまま動かない。
「あなたは?」
喉の奥から絞り出すようにして、俺は問いかけた。
白い虚無の中に立つ女性は、穏やかな微笑を浮かべたまま、静かに口を開いた。
「私は、創世の女神エリシス。シンさん あなたは死にました」
女神は、少し答えづらそうにしながらも、静かに告げた。
「え……」
静かに発せられる俺の声が、白い空間に虚しく反響した。
俺は驚いて呆然と立ち尽くし、隣ではヒエイが唾を飲んだ。
『……待てよ。俺も、死んだってことか?』
震える指先で自身を指すヒエイに対し、エリシスは困ったように眉を下げ、小さく首を横に振った。
「あなたは、死んでませんよヒエイさん」
その言葉を聞いた瞬間、ヒエイの肩から目に見えて力が抜けた。ヒエイは自身の胸を撫で下ろし、大きく息を吐き出す。
俺だけ死んでいるという事実に、俺はエリシスに問いかけた。
「待ってくれ。……いや、なんで俺だけが死んでるんだ」
できるかぎり冷静なトーンを保とうとしたが、声は微かに震えていた。不思議と悲壮感はない。むしろ、何かから解放されたような晴れやかな気持ちが、胸の奥に宿っていた。
……ああ、そうか。もう、あそこには戻らなくていいのか。
「ご説明します」
エリシスは静かに語り始めた。
「お二方は次元の狭間に放り出され、彷徨い、この世界に流れ付いて来たのです」
「次元の狭間? それは一体何のことですか?」
聞き慣れない単語に、俺はエリシスの言葉を遮った。
エリシスは俺の性急な問いかけを咎めることもなく、慈しむような笑みを深めて答えた。
「次元の狭間とは、私が管理する世界と、あなた方が元々暮らしていた世界とを隔てる、分厚くて何もない空間のことです。いわば、形のない広大な海のようなものですね」
「それで、どうして俺だけが死ぬんだ?」
納得のいかない様子で、俺は首をかしげた。
「あなたは、次元の狭間とあなた方が元々暮らしていた世界との裂け目に挟まれて死んだのです。肩からお腹の所をこう、スパッと輪切りになって」
エリシスは笑顔を浮かべ、弾んだ声で自身の柔らかな肩から腹部にかけて、細い指先で斜めに線を引いた。
「Oh」
俺はしばらく、自分の胴の辺りを見下ろした。何かを確認しようとして、もちろん何も確認できなかった。それでも妙に、納得してしまった。
『つまり空間の裂け目でミンチになったと』
ついに堪えきれなくなったのか、ヒエイは口元を片手で覆い、肩を小刻みに震わせながらクスッと笑い声を漏らした。
目の前の女神の無邪気な実演と、それに答えた俺のあまりに間の抜けた声が、ヒエイのツボに刺さったらしい。
「そう言うことです」
エリシスは二人を前に、眩しそうなものでも見るように、こぼれるような笑みを浮かべた。
「せっかくのご縁ですから。お二人がよろしければ、私の世界にきませんか? 貴方がたは、とても運が良いようですし」
エリシスはぱちんと両手を合わせ、可憐に首をかしげる。
『「運がいい?」』
重なった二人の声に、エリシスは穏やかな、けれどどこか冷徹な響きを込めて告げた。
「普通は次元の狭間に放り出されると永遠に彷徨います」
「マジか」
俺は口があんぐりと開き、隣ではヒエイが、冗談ごとではないと悟ったように目を丸くし、二人の背筋を凍りつかせる。
だが、俺の中から驚きの色は一瞬で消え去った。
「どんな世界なんです」
恐怖よりも先に、エリシスの語った「私の世界」への好奇心が勝ったのだ。
「世界観としては剣と魔法の世界で、時代としては科学技術の進んでいない中世の世界という感じですかね」
にこやかに告げられたその言葉に、俺とヒエイは弾かれたように顔を見合わせた。
互いの瞳の奥に灯った、抑えきれない高揚感に、言葉を交わすまでもなく、二人の口角が同時に吊り上がる。
『「行きたいです」』
二人の弾む声が重なった返事に、エリシスは「そうこなくっちゃ!」とばかりに指をパチンと鳴らした。
「わかりました。あ、シンさんは死んでいるので代わりの器を用意しときますね! 言語理解スキルと冒険初期装備も付けて置きますから!では、お二方のスキルの要望をできる限りお応えします ですが四つまで、です」
ノリノリで答えるエリシスに、二人は真剣な表情で考える。
先に口を開いたのは俺だった。
「アイテムボックスと鑑定スキルをください」
アニメや漫画の物語でよく見る定番スキルだ、と頭のどこかで思いながら、迷いのない声ではっきりと答える。
だが、そこから俺は自分の顎をさすり、視線を斜め下へ落とした。この世界で生きるなら、まず常識を知らないと動けない。怪我をしたとき薬に頼り続ければ、いずれ金が尽きる。
俺の横で、すでに結論を出していたヒエイが、迷いなき声でエリシスを見据えた。
『同じく、アイテムボックス、鑑定スキルをください。あと、銃を作れるスキルと弾薬無限のスキルをください』
銃や戦車などが好きな軍事ヲタクのヒエイらしい選択だった。俺もヒエイに付き合ううちに、多少の知識は身についていた。
だが、少しだけ羨ましかった。
しばらく顎をさすっていた俺は、やがて何かを決心したように顔を上げ、残り二つのスキルを告げた。
「俺は異世界の一般常識と治癒魔法をお願いします」
「わかりました…… あなた方の旅が良き旅であることを願っています」
エリシスは二人に向けて、優しい声で告げた。
その瞬間、二人の足元が徐々に透け始め、体が浮き上がる感覚とともに体が薄くなって行き、二人の意識は白い世界へと溶けていく。
最後に見えたのは、エリシスの笑顔だった。
◆
シンとヒエイの気配が完全に消え、再び静寂が戻った一面の白い空間。
エリシスは、二人がいた場所を見つめたまま、祈るように胸元で手を組んだ。
「貴方がたなら…………」
続きは、声にならなかった。白い空間はただ静かで、けれどエリシスの瞳の奥には、悲しそうでもあり苦しそうでもある思いが、確かに揺れていた。
◆
「ここは……」『「おお~~ファンタジ〜〜」』
目を覚ました瞬間、「俺」という感覚が、どこか遠くなっていた。
シンの視界に飛び込んできたのは、見渡す限りの緑、そして広大な草原だった。遠く東には深い森と険しい山脈が連なり、空高くには見たこともない生物が翼を広げて飛んでいる。
風が頬を撫でた。草の青臭さと、土の湿った匂い。肺の奥まで吸い込むと、その新鮮な空気が、ここが本当に別の世界だと教えてくれた。
その神秘的な光景に、二人はしばらくの間、子供のように胸を躍らせて見惚れていた。
だが、ふと漏らした自身の声に、シンは奇妙な喉のむず痒さを覚えた。
(……待て。俺の声、なんか妙に高くないか)
それだけではない。
隣に立つヒエイの顔を見ようとして、シンは首を上にそらさなければならないことに気づいた。
並んで歩いていたはずの相棒の肩が、今のシンの目線よりずっと高い位置にあり、心なしか体の重心が前にくる。
シンが困惑していると、隣で同じように景色を楽しんでいたはずのヒエイが、突如として顔を引き攣らせ、驚愕の表情でシンを見つめてきた。
『シン、見た目……… どう見ても女の子だぞ!』
「え……」
高く、可愛らしい声がシンの喉から漏れた。




