10-32 化け猫
相手が「滅びの猫」だろうが、化け猫だろうが、剣の勇者だろうが、ギガースがやる事は変わらない。
敵であるのなら全力で叩き潰す、それだけだ。
例えそれが、気を許した相手だろうが――――。
(所詮我とお前は、魔王と勇者だ……悪く思うな)
構え。
静かに息を吐き、もう一段階深く集中する。
どのような手品を使ったのかは分からないが、目の前の猫の肉体能力が爆発的に上昇した事は理解した。
速度はギガースの感知をもってしても“目にも止まらぬ”。
パワーは、“纏光”で全身を強化している状態でもダメージを通される程。
単純に考えれば、その能力値はギガースと同等。
ならば、それ相応の戦い方をするだけだ……と言っても、ギガースの戦闘法は常に己の肉体1つの肉弾戦一択。
魔法と言う選択肢も無い訳ではないが、元々種族的に魔力がそこまで高くない為、正直な所魔法戦は不得意と言っていい。
そもそも、この猫を相手に距離を取ろうとするのは愚策。
ギガースの魔力防御が極端に高いと言っても、相手は究極魔法すら振り回してくる怪物だ。
そのうえ武具を空中で自在に操る異能を持っている。
距離を取れば、どんな隠し玉が飛んでくるか分かった物ではない。
肉体能力が同等であろうと、腕の長さが圧倒的に勝っているのであれば、ギガースの有利は揺るがない。
踏み込もうと一歩足を前に出した瞬間、急に地面が波打って……“踏み込めない”。
「【ショックウェイブ】か」
本来は地面に衝撃を走らせて相手にぶつける魔法だが、まさか踏み込みを潰す為に使ってくるとは思わなかった。
(なるほど、天空闘技場は浮いているから地面が歪みやすい訳か)
【ショックウェイブ】で発生する地面の歪みを、丁度ギガースが踏み込む場所に集約させた、計算し尽くされた魔法コントロール。
「上手い」と心の中だけで賞賛を送りつつも、それで足を止めてやる程甘くはない。
「“駿動”」
全身に纏っていた黒い魔力光を四肢に集中させる。
足元に発動していた魔法を踏み潰し、足が地面を掴む。
踏み込んだ地面が爆ぜる。
地面の岩を踏み抜いてしまいそうな勢いで足元が抉れ飛び、一瞬にしてギガースの巨体が最高速まで加速、次の瞬間には猫の目の前に居る。
今まで使っていた“纏光”をバランス型の状態だとすれば、“駿動”は速度とパワーの二極型。
防御を解いて、「打たれる前に打つ」の速攻スタイル。
スピードを引き上げただけあって、猫は反応できていない。
その無防備な小さな体に向かって右拳を振り下ろす。
情は無い。容赦も無い。一部の迷いも無い必殺の拳。その拳を――――猫は当たり前のように上に飛んで避けた。
初めから攻撃を読んでいたのか、それともギガースの動きを見て反応して避けたのかは分からない。
何しろ、今の“金眼”の状態は、感情や反応を何も読ませてくれない。
だが、ギガースとて初撃が避けられる事は織り込み済み。
一撃必中なんて物は、格下相手にこそ成立すると知っている。相手が同等の能力を持っているのならば、初撃は釣り球として使うのは定石。
大振りの1撃目は初めから避けさせるつもりで放つ。相手がそれを避け、体勢を整えるより早く、本命の2撃目を放つ。
ギガースの基本的な戦い方は、左手で受けて右手で殴る。左右で攻守を分ける戦法。
当然の事だがそれは絶対ではないし、右手で受ける事も出来るし、左手で殴る事も出来る。と言うより――――殴る事に関しては、本来は左が利き腕だ。アビスの元に居た時にどちらでも同じ殴り方が出来るように矯正されたが、それでもやはり左手で殴る方が動きの滑りが良い。
1撃目を避けて空中を舞っている猫。
先程のように避ける余裕は与えない。
右拳を引く動作で腰を半回転させ、反対に左拳を振りに入る。
高速の二連撃。
今まで散々敵の頭に刷り込んだ「右腕でしか攻撃しない」と言うイメージ。そのせいで敵は瞬時の判断が遅れる。
その「一瞬の遅れ」が有れば、左拳が体まで届く。
面白味も派手さも無い必殺の技。
しかし――――その拳が届くより早く、猫が予想外の行動を取った。
空中で右前脚を振り被り――――。
(まさか、その小さな拳で打ち合うつもりか!?)
確かにパワーもスピードも金眼になって格段に上昇した。先程自身と同等と評した事も嘘ではない。
しかし、このまま拳をぶつけ合えば100%一方的に猫の拳だけが砕け、体までギガースの拳が届く。
ギガースは地に足を付けて踏み込んでいるし、腕の長さだけパワーが乗る。そもそも魔導拳で強化している時点で、ギガースの拳が打ち負ける事なんて有り得ない。
その結果が見えていても、力を抜く事はしないし、そんなつもりも無い。
この拳の1撃で終わらせる――――。
だが、猫の行動の“予想外”はここからだった。
猫の振り被った右前脚が
―――― 黒い魔力光を纏う。
「魔導拳――――だとッ!?」
ギガースは数日前に猫に戦い方の指南をした。しかし、あの時は受けと“柔法”を教えただけで、魔導拳に関しては何1つ教えていない。
だが、今目の前で猫がやって見せた事は、間違いなく魔導拳の初歩の技……拳に魔力を纏わせて強化する“魔纏”だ。
確かに阿修羅との戦いでもそれを見せはした。
しかし――――しかし、だ。多大な近接戦闘の才を持って生まれたギガースですら、その初歩の技を実際に出来るようになるまで1年近くかかったのだ。
猫がギガースが見せるまで魔導拳を知らなかったのは、あの時の反応を見て明らか。
であれば、答えは1つ。
(技を見ただけで、盗んだのか……!?)
そう言う事が出来る者が存在している事は知っている。と言うより、ギガース自身がアビスの技を見て盗んだ口だ(教えてくれないから)。
動きを真似て、呼吸を真似て、型を真似て、魔力の流れを真似て……それを繰り返して1年でようやく形になったのだ。
だと言うのに、たった数日でそれをやってのけるなんて……。
(本物の化け物か……!!)
怒りにも似た、小さな嫉妬を拳に乗せる。
破裂音のような衝突音と共に、赤鬼の巨大な拳と、子猫の小さな前脚がぶつかる。
バチッとお互いが纏っている魔力が反発し合い、周囲に衝撃波となって吹き荒れる。
ミシッと拳が内側から悲鳴をあげる。
「――――ッ!」
同時に拳が弾かれて吹っ飛ぶ。
魔導拳を真似られた事を差し引いても、条件的にはギガースが圧倒的に有利だった。にも拘わらず威力が相殺されたと言う事は、纏わせていた魔力が猫の方が圧倒的に上だったのだ。
初めての魔導拳でここまで繊細な魔力コントロールをやってのけた事に舌を巻く。
己が才ある者だと誇った事はないが、それ以上の才を見せつけられては、もう笑いしか浮かんでこない。
次の手は――――?
頭の中で強かに次の手を考える。
だが、その手が浮かぶより早く、猫からのカウンターが飛んできた。
スルリと、首元を滑る何かの感触――――……
ハッとなってそれを振り払おうとした瞬間、その“何か”が首に巻き付いて締まる。
「――――ぅ……ッ!?」
呼吸が止まる。
喉が空気を通さない。
素早く首に巻き付く布のような物を振り払おうとする。
しかし、きつく巻き付くそれは、無理に外そうとすると余計に首が締まる。
ならば布を力付くで引き裂いてやろうとしたが――――そこで気付く。
(深淵のマント……!?)
今、自分の首を絞めている布が、魔王にのみ装備する事が許された漆黒のマントである事に。
普通の布ならば簡単に破いて脱出する事が出来た。
しかし、しかし――――深淵のマントは並みの鎧では比較にならない程の防御力と耐久性を持った防具である。如何に力自慢のギガースであろうとも引き千切るのは容易ではない。
であれば、この布を絞めている者を叩く――――が、背後には誰も居ない。誰も掴んでいないマントの両端が、勝手に空中でピンッと張っているのだ。
(奴の……武具を操作する能力か……!!)
引き結んでいた口が、酸素を求めて開く。
―――― 猫は、その瞬間を待っていた。
瞬間、転移の光に包まれた猫が目の前に現れ、その前脚を開いた口の手前に掲げる。
(魔法か――――!?)
体内に直接魔法を叩き込まれれば、魔力防御が高いギガースとて無事では済まない。
だが、魔法を放たれるより、口を閉じる方が早い――――筈だった。
ガチンッ
何かが口の中に突っ込まれ、それがつっかえ棒の役割をして閉じる事が出来ない。
見下ろしても、それが何なのかはギガースには分からなかった。
当たり前だ。この世界に――――銃は存在していないのだから。
―――― 魔銃エクセリオン
かつて、幽霊船の船長が使っていた、魔力弾を放つクイーンアンピストル。
勿論、銃は武器カテゴリーのアイテムであり、【決闘場】の効果によって収集箱から出す事は出来ない。
しかし――――猫には【ネコババ】と言う、“収集を阻害する効果を無効にする”スキルが付いている。
そして、アイテムの出し入れは収集の能力に依存する為、武器カテゴリーのアイテムも出す事が出来てしまう。とは言っても、出した瞬間に【決闘場】の効果に捉まり戻されてしまうが……。
武器を出していられる時間は1秒以下。
剣を出しても敵を斬る事は出来ない。
槍を出しても突く事は出来ない。
弓を出しても矢を射る前に戻される。
だからこそ、銃の選択。
吐き出されるのが実弾であるのならば、当然弾丸も【決闘場】の効果に捉まる。しかし、エクセリオンから出すのは魔力弾。言ってしまえば魔力の塊であり、アイテムではない。
だから――――引き金を引く時間さえあれば、問題ない。
「ミィ」
猫が興味無さそうに一鳴きし、放たれた魔力弾が――――赤鬼の頭を内側から粉々に吹き飛ばした。




