8-30 水面に映りて
霧が晴れ、眩しい程の陽の光と共に、鮮やか過ぎる海と空の青が視界を覆い尽くす。
幽霊船内でのドタバタが嘘のように穏やかな風が流れ、静かな小波に陽の光が反射してキラキラと光る。
静かな海だった。
暴風と暴雨を撒き散らす台風が通り過ぎた後のような、雲1つ無い……どんな悩みもバカらしくなる真っ青な空と、どこまでも広がる、雄大で美しい海。
「ミィ……」
アンデッドの墓標と言うには、美し過ぎる光景だった。
骸骨船長も、海と空が手向けのように見せてくれたこの光景に、きっと満足してるんじゃねえかなぁ……知らんけど。
「美しいでしょう?」
「ミ」
うん。
…………。
…………。
…………。
え!? 何!? 誰!?
背後から突然声が聞こえ、慌てて驚きつつも、飛び退きながら振り返る。
―――― 水だった。
海の上に水が立っている。
何を言ってるのか分からんと思うが、俺自身も目の前に居るのが何なのか分からんのだから仕方ない。
水で形作られた人型……多分女性っぽいけど、体が水なので、そもそも性別があるのかすら不明。
何だコイツ……? 液体人間? スライム種のそう言う魔物……とか? 人に擬態して、近付いて来たところを捕食する……的な。
いや、でもこの……なんだ、良く分からん水女? は、喋ってたよな?
最低限会話はする事が出来るのか?
「初めまして……かしら? 可愛い子猫さん?」
喋れるし、一応コッチと対話の意思は有り……か? いや、でも、猫相手に対話しようとする奴なんているか?
何となく話しかけただけかな?
まあ、何も反応しないのは印象悪いし、返事くらいはしておくか。
この水女が何者か分からないけど、敵でも味方でも、第一印象は良いに越した事はない。
「ミィ」
初めまして。
「……そうですか、やはり……」
何かを納得した顔……いや、顔も水だから良く分かんないけど、雰囲気がそんな感じって話ね?
「改めて、初めまして子猫さん。大海に彷徨う死者を鎮めてくれた事に、お礼を言います」
ペコリと頭を下げる水女。
ってか、この人(?)、もしかして……猫語を理解してるタイプの人じゃない?
「(もしかして、俺の声が聞こえてるのか……?)」
「ええ。本来私共精霊は、人や魔族のように言葉に頼らない存在ですから」
「(精霊……精霊!?)」
精霊と言えば、最初に頭に浮かぶのは、バルトの傍を飛んでいる光の球だ。だが、この水女は、その“光の球”っぽさが欠片も無い。
それに、大きさだって、手の平サイズの光の球とでは全然違う。
ふと、頭の中に1つの単語が浮かぶ。
―――― 大精霊
八咫烏の奴が、飛び去る直前に「挨拶しておけ」と言っていた存在。
もしかして……この水女がそうなのか?
まあ、言葉通じるなら、悩むより訊いた方が早いか。
「(もしかして、大精霊って奴か?)」
「私達がそう名乗った事はありませんが、人間は私達をそう呼びますね? その呼び名に倣うのならば、私は“水の大精霊”と言ったところでしょうか」
大当たり。
あの預言者を気取る八咫烏がわざわざ「挨拶しておけ」と言っていたのだ。
恐らくだが、この大精霊は俺の“これから”に何かしら関わっている、と言う事だろう……多分。あのカラス野郎が、インチキ占い師でもない限りは。
俺が脳内で色々考えていると、水の大精霊は、幽霊船と骸骨船長の沈んだ辺りに、少し悲しそうな視線を向ける。
「彷徨う死者の船。哀れに思い、私が介錯をしようかとも思っていたのですが……手を拱いている間に、貴方の手を煩わせてしまいましたね?」
もしかしなくても、骸骨船長を「終わり」にさせる機会を窺って、幽霊船の近くに居たのか、この精霊は?
だから、事が終わった後に、タイミングを見計らって出て来たって感じか? だとしたら、少しは助けに来て欲しかったんだが……。
まあ、良いか。終わった事だ。
もう1度頭を下げようとするのを言葉で遮る。
「(いや、別にそれは良いけど)」
まあ、若干……若干ね? 俺がエンカウントする前に、面倒事を片付けといてくれよ……と思う気持ちもあるが、今回は面倒事に巻き込まれたお陰で色々収穫あったし。
面倒事も、相応に得る物が有るのなら、やる価値はある。
「いいえ、そう言う訳には行きません。本来は私が負う筈だった物を貴方に負わせる事になったのですから……何か、お礼をしなくてはいけませんね?」
「(だから、別――――)」
「別に良い」と続けようとしたが、お礼をくれると言うのなら貰っとけば良いじゃん? と思いなおす。
こちとら子猫ですし、最強の化物に狙われてますし、貰える物は貰っといたら良いじゃない。
「(いや、良いや。くれるってんなら貰うけど)」
でも、お礼って何くれるんだろう?
精霊って、あんまり物質的な固執しないから、アイテムとかくれる感じじゃねえと思うんだよなぁ……。
「そうですね。では、こちらを」
言ってから、チャプンっと体を形作る水を跳ねさせながら、水晶のように透き通る片手を差し出す。
だが、その手の中には何も無い。
なんだろう? 握手がお礼とか、そんな感じかしら?
そう思ったのだが、違った。
突然、水の大精霊の体の中を、青い光が奔る。
頭の先から爪先まで、全身を駆け巡る青い光は、まるで透明な体に張り巡らされた血管。
青い光は、吸い出されるようにして、差し出された手の上に集まる。
煌々と青い輝きを放つ光。
この輝きと似た物を、つい最近俺は見た。
七色教会地下でのベリアルとの戦いの時――――暗闇に閉ざされた時に見た黒い光と、同じ輝きだった。
と言う事は……。
俺の意思を無視して収集箱の蓋が開き、中からアイテムが1つ飛び出す。
陶器のようなツルリとした材質の、灰色の剣。
虹の器。
水の大精霊の手の中にあった青い光を、ベリアルの時と同じように、虹の器がシュルシュルと吸い込む。
3秒程で青い光を吸い込み終わると、「役目は終わった」とでも言うように、これまた勝手に収集箱の中に戻る。
そして、ログ。
『素材アイテム:≪虹の器≫の中に、“静寂の青”の光が吸収されました』
『【虹の器 Lv.-】
カテゴリー:素材
サイズ:中
レアリティ:★
所持数:1/1
光:黒・青
運命を切り開く鍵。
条件を満たす事で真なる力を発揮する。
“虹の光集いて、未来への道を指し示す”』
光2つ目……だけど、これって集めると何があるんだ? 色々、他のアイテムと違い過ぎて、何がどうなるのか予測がつかない。
いや、でも待てよ?
目の前に光の1つを提供してくれた本人が居るんだから、訊けば良いじゃん?
「(この光って何なの?)」
「さあ? 私も詳しい事は分かりません。私達精霊が、長い時間研鑚を続けた先に生まれた物で、それ以上の事は。ただ――――」
1度言葉を切ると、俺をジッと見る。
え? 何? よく分かんないけど、その観察するような視線を向けられると落ち着かんのだが……?
「王は言っていました。これは、『無限へ至る可能性の光』だと」
抽象的で訳分からん。
なんで、どこもかしこも思わせぶりな感じなの? そう言う仕様なの、この世界は?
まあ、分からん事は置いといて……だ。
「(王?)」
「私達の主たる御方。もっとも、今は訳あって姿を御隠しになられていますが」
王って呼ばれてるって事は精霊の最上位者って事か? 言うところの、“精霊王”って奴かな?
名前の響きだけで凄そうだな……。
「それより、良いのですか?」
「(何が?)」
「貴方の乗って来た船ですが、大分遠くへ行ってしまいましたよ?」
「(………え?)」
バッと辺りを見回す。
周囲に船影無し。更に遠くへ視線を向けると――――豆粒みたいになった船が遠くに見えた。
エッ!? ちょっと!? なんか、やたら遠くない!?
船の速度からたてた俺の予想だと、そこまで離れてないと思ったのに……なんか、凄い遠いんですけぉ!?
「死者の船での戦闘が激しくなりそうだったので、私が波を操作して遠くへ逃がしておきました」
犯人アンタかよっ!?
いや、有り難いよ? 有り難いんですよ確かに!
俺がトドメに放った、核弾頭みたいな爆発から逃がしておいてくれたんだから、そら感謝しますわ!
けども、あんなに遠くにやる事ないでしょう!
これ以上離れられたら、【転移魔法】で戻れなくなる! さっさと帰らねば!
「(全然良くないわ! 急いで戻らないと!)」
「そうですか。では、最後になりましたが私の名前を覚えておいて下さい」
「(名前?)」
俺の問い返しに、コクリと頷く。
「私の名はアクア。王より頂いた、清らかな水を表す名。決して、この名を忘れないで下さい」
「(ああ……)」
そんなに念を押さなくても、これだけインパクトある奴の名前なんて忘れねえだろう……。とか言いつつ、魔王の長ったらしい名前は即座に忘れるんだが。
まあ、良いや。さっさと戻るべ。
「(それじゃ)」
「ええ」
【転移魔法】っと。
* * *
転移魔法で子猫が飛び去ると、その場には水の大精霊――――アクアだけが残された。
無言のまま太陽を見上げる。
強い陽の光に、ジリジリと体を形作る水が炙られて、微かな不快感が湧いて来る。
水の象徴たるアクアは、火や熱との相性が悪い。
しかし、太陽は好きだった。
アクア達の主たる御方が好きだった物だから。
遠い昔、主より言われた言葉を思い出していた。
『いつか、俺と同じ姿をした……だが、俺ではない別の者がお前達の前に現れる』
主の言葉はいつだって正しい。
空を見ていた視線を少し下げ、遠ざかって行く船を見送る。
「全ては王の言った通り……。長く深い眠りより、貴方様が目覚める時が近付いているのですね? 我等が王――――魔神様」




