6-18 弟子の戦い
流れる。
血が流れる。
そして―――体が空中を流れる。
「グッ―――ッぅ!?」
吹っ飛ばされたバルトは、背後の巨木の幹に叩きつけられて悲鳴のような声をあげる。
しかし、敵は待ってくれない。
目の前には
――― 60を越える魔物の群れ。
そして、その群れを統率する白い毛の巨大な狼―――フェンリル。
最初は手下らしい黒い狼を倒して1対1で戦っていた筈だった。
それなのに、フェンリルが一鳴きする毎に、木の陰から、岩の陰から、ワラワラと黒狼が現れ、たった数分で目の前は黒い狼で埋め尽くされている。
元々バルト1人では、フェンリル1匹にすら勝てない相手だった。その上、手下の黒い狼は、数が増える程に能力が強化されているらしく、30匹を越えた辺りからバルトの槍の1撃では倒れなくなる程に強くなっている。
これだけの数の魔物が侵入すれば精霊がもっと早く見つけてバルトに知らせてくれていた。と言う事は―――手下の黒い狼は、今、この場でフェンリルが生み出している。
しかも、数十秒のディレイで何度でも呼び出せるらしく、黒い狼達の背後で、何度も高らかに吠えて更に魔物を増産している。
フェンリルが特級の魔物に指定されている理由は、まさにそれが理由だ。
自身の凶悪なまでの戦闘力もさる事ながら、圧倒的な数を生み出し、その手下の数と能力強化で相手を追い込み殺す。それは、紛れも無く人間の世界を脅かしかねない程の、天災に等しい力。
バルトが立ち上がった時には更に手下の数は増え、80を越えていた。
もはや、どうにもならない。
勝てる可能性は無い。
逃げられる可能性も無い。
それでもバルトは立つ。
体中を噛まれ、血を噴き出しながらも、それでも立ち上がる。
死にたくないから、ではない。
今、ここで自分が倒れれば、魔物達は間違いなく村に向かうだろう。
(ここを抜かれたら、皆が危ない……!)
村人を護る為にバルトは何度も立ち上がる。
自分の事を虐げ、蔑んだ相手である事は分かっている。自分にとっては恐怖その物と言っても良い村人達―――だが、それでも護ろうとする。
そこに理由なんて無いのかもしれない。
ただ……
――― 全ての人を護らなければならない。
そんな使命感。
勇者だからではない。
彼が―――バルトが、誰よりも人と言う種を愛しているからだ。
「ま……だ……!」
震える両手で、師である子猫から貰った深紅の槍を構える。
後何秒生きて居られるかなんて考えない。力尽き、魔物にその身を食われるまで戦い続けるだけだ。
「【ライトニング……ボルト】」
槍の穂先から雷がレーザーのように真っ直ぐ放たれる。
しかし、それを読んでいたかのように、雷の通り道を開けるように魔物の群れが割れ、放たれた雷は魔物を素通りして、先に有った木を少しだけ黒くした。
魔力が残り少ない。
元々魔法も天術も得意ではないが、今のボロボロの状態では術式に威力がまったく乗らない。
「くっ………」
魔法の不発を悔しがる間も無く、黒い狼が波のようにうねりながら襲いかかる。
――― 動けッ!!
ボロボロの体。痛みに顔を歪めながら、全身に力を込めて群れの右に向かって走る。
襲いかかる狼を槍で突き刺すが、中途半端に刺さっただけで貫通しない。魔物も地面を転がったが、それだけで血を流しながらも再び動き出す。
力が入らない。
数が増すごとに敵が硬くなる。
(数を減らす事すら、出来ない……のか)
槍を振るう。
襲い来る狼に振る。
足に噛みつく狼の顔に槍を突き立てる。
バルトを無視して村に向かおうとする狼に槍を叩きつける。
一振りごとに意識が遠くなる。
噛まれ、爪で裂かれ、突進で吹っ飛ばされる。
――― 立ち上がらなきゃ
それなのに、体が動かない。
足がガクガクと震えるだけで、まったく反応しない。
完全に足が潰された。
ここから動けない、それどころか立ち上がれない。
狼達が、バルトを取り囲む。
敵がもう動けないと知って、とどめを刺す為に集まって来たのだ。
誰が1番に飛びかかるか。
誰が1番に肉を食らうか。
相談するような空気が、涎を垂らす狼達の間を漂う。
だが、その空気は直ぐに終わる。
何故なら―――白い巨体が群れを割って、ノシノシとバルトに近付いて来たからだ。
群れの掟は単純明快。
強き者が最初に餌を食らう。
だからこそ、黒い狼達は一歩退く。
フェンリルが一口でも敵の肉を食らえば、その瞬間に荒ぶる黒い波となってバルトに襲いかかり、あっと言う間に肉を食らい尽くす。
その後は、先に在る村を襲い、大量の餌を食らい尽くす。
空腹を群れの長であるフェンリルに抗議するように、黒い狼達が涎混じりに「グルルぅ」と喉を鳴らす。
「………ごめんなさい」
バルトは呟く。
誰に対しての謝罪だったのかは自分でも分からない。
護れなかった村人たちか、かつて救えなかった母にか、それとも―――自分を唯一認めてくれた、小さな師にか。
その時、バルトの呟くような声に導かれるように光の粒がバルトの手に集まる。
精霊だった。
「力……貸す? ………まだ……力、有る……!」
精霊の集まった右手を、痛みを堪えてフェンリルに向ける。
「【フレア】」
赤が周囲に満ちる。
炎―――。
真っ赤な業火が周囲を舞い踊る。
バルトを取り囲んで居た魔物の3分の1が数秒で消し炭になり、残りの魔物達は真っ赤な壁を恐れて飛び退く。
フェンリルは、赤い熱の壁が迫ると、嫌がるように何匹かの黒い狼を盾にして素早く退避。
バルトが発動した物は、魔法でも天術でもない。
――― 精霊魔法
未だかつて、歴史書の中にすら登場する事の無かった、長い歴史の中でたった数人しか使う事の出来なかった、第3の術式。
その特徴は、精霊による力を行使する為に、自身は魔力を一切消費しない事。
術式は精霊達が編んでいる為に、詠唱もディレイも存在しない事。
そして―――力を貸す精霊が多ければ多い程強大な力を生み出す事。
発動者は、ただトリガーを引けば良いだけ。
弾の用意も、安全装置を外すのも、弾の切り替えも、全て精霊がやってくれる。
天術も魔法も超えた力。
「はぁ……皆、ありがとう、です」
力が抜けて手が地面に落ちる。
腕に力が入らない。
次の精霊魔法を放とうと精霊達が集まって来るが、トリガーを引くだけの力がバルトに残っていない。
腕が上がらない。
体に力が入らない。
(師匠、ごめんなさい。僕は、貴方のような力も心も強い戦士には、なれなかった。僕は勇者にはなれなかった)
勇者。
それは、ただ強いだけではない。
ただ、魔物や魔族と戦うのではない。
助けを求める者の元にかけつけ、何者も、どんな物も護る心優しき戦士。
バルトはそんな風になりたかった。
師匠と出会って、そんな風になれると思った。
でも―――そんな願いも、そんな思いも、今飛びかかって来る魔物達に食われれば、それで終わりだ。
バルトが動けない事を悟って、魔物達が襲いかかる。
瀕死の状況で見せた思いがけない反撃を受けて、魔物達がバルトを「今直ぐ殺さなくては!」と動き出したのだ。
残っていた60近い魔物の一斉攻撃。
避ける力は残っていない。
逃げる力は残っていない。
戦う力は……残っていない。
バルトの脳裏に浮かぶ、唯一自分を認めてくれた、恐ろしい程の力を見せた子猫の姿。
「し、しょう……」
最後の一瞬は、せめてその姿と共に死のうと、静かに目を閉じる。
否。
閉じようとした、その瞬間
――― 天空から無数の剣が舞い降りて、バルトに飛びかかろうとしていた黒い狼達を断末魔をあげる間も無く地面に串刺しにした。
そして、剣を追いかけるように不自然に静かに落ちて来た、茶と白の毛の子猫。
「(スーパーヒーロー着地!)」
意味不明な事を言いながら、若干恰好良さ気なポーズで着地する子猫。
2秒程自身のポーズの恰好良さの余韻に浸った後、倒れているバルトに振り返る。
「(テメェ、バルト! パーティーする時は呼べよ!!)」
「え……? パーティー……?」
そして、今度はたった1匹になった巨大な、白い狼……フェンリルに向き直る。
「(招待状はねえけど、ダンスに混ぜて貰っても良いかな?)」
猫の言葉に応えず、フェンリルは大きく吠える。
今まで以上に高らかに、今まで以上に―――必死に叫ぶように。
黒い狼が子猫とバルトを取り囲むようにワラワラと、どこからともなく現れる。
30、40、まだ増える。
それを見て、猫は静かに笑う。
「(うちの弟子が世話になったようで、どうも。御礼に―――テメェ等全員地獄一周旅行にご招待。ちなみに片道切符だから、帰りは自力でどうにかしな!)」
その小さくて、とても大きな背中を見ながら、バルトは静かに思う。
助けを求める者の元に現れる、真なる勇者。
いや、違う。それは勇者ではない。
あの背は紛れもなく、
――― 正義の化身




