5-27 死線の先
速い―――。
バグの攻撃が速い。
さっきまで対応出来て居た速度に、次の瞬間には置いて行かれる。
くっそ、コイツまだ余力残してるのかよ……!?
状況が動かない。
いや、それどころか悪くなっている気がする。
野郎の思考を読んで攻撃を先読みしても、それでも対応が遅れる。
そもそも、人間の思考速度は肉体の速度の比では無い。凄まじい速度で流れて行く情報を、必要な部分だけ読み、それを肉体の動きへ反映させる……なんて、一般人の俺には荷が重い。
どんだけ神経研ぎ澄ませて集中しても、奴の方が攻撃速度も手数も圧倒的に速い。
【仮想体】を盾にして、俺自身も撃ち漏らして抜けて来た武器を撃ち落としているが、それでも小さな傷を負わされる。
体に、足に、頭に。
小さな傷と言っても、人間にとっては……だ。
小さな子猫の俺にとっては、人間の“かすり傷”が大ダメージである。
血が噴き出したら1発で頭がふらっとするくらいに、血の総量も少ない。
猫の体の脆弱性が恨めしい。
【ディフェンシブ】の天術で防御力を上げてみるが焼け石に水。そもそも、【ディフェンシブ】は元々の防御力の高さに応じた補正を与えるので、紙装甲の猫の体では使ってもあんまり意味無い。
【サンクチュアリ】で相手の弱体化とコチラの強化を狙おうとも考えたが、旭日の剣が無い状態で使うと、MP消費の軽減が出来ない。【転移魔法】の使用をしくじって無駄にMPをゴッソリと使ってしまったから、正直これ以上高い支払いを必要とする行動は避けたい。
とは言え―――そんな悠長な事も言ってられない。
とにかく、ダメージを受けた体に治癒の天術をかける。しかし、痛みは引いても一気に傷が塞がる訳ではない。それに失った血液も戻らない。
今は辛うじて受けて居るが、コイツの能力の底が見えない以上、このまま耐えて居るだけではいずれ崩れるのは俺の方だ。
持久戦は圧倒的にコチラの不利。
一か八かになるが、無茶でも無理でもやるしかないだろう。
耐えて居れば何か状況が変わるってんならともかく、そうでないのなら自分でこの場をなんとかするしかないのだから。
残りのMPがどの程度かは自分でも明確な数値は分からないが、そんなに余裕が無いのは分かる。
無茶な事が出来るのは、下手すりゃコレが最後かもしれない。
これで仕留められなかったらどうしよう……。
いや、失敗は考えるな! やるしかない。
絶えずバグの思考を読みながら、【仮想体】に攻撃を捌かせる。
1つ、2つ―――ここ!
大きな天術を挟む、微妙な隙。
【サンクチュアリ】
俺を中心として、周囲にドーム状の光が広がる。
「これは……」
攻撃の雨が弱まる。
バグが【サンクチュアリ】を知らずに警戒したからなのか、それとも弱体化効果が入って能力が弱くなったのか……そこは俺には分からない。
だが、俺には強化が入って、野郎の能力値は確実に減っている事だけは間違いない。
攻めるタイミングはここにしかない!
天映の盾を構えている【仮想体】ごと前に踏み出そうとした瞬間、それをさせまいとするように旭日の剣が飛んでくる。
「ミっ!」
チッ!
他の剣なら適当に捌くだけで構わないが、旭日の剣だけはダメだ。
バグが操って居る武器の中でダントツに攻撃力が高い上に、あの剣だけは【仮想体】を殺す事が出来てしまう。
無理に避ければ、またマシンガンのように武器が飛んで来て動きを封じられる。
受けるしかねえ!
細心の注意を払い、旭日の剣の振り下ろしを【仮想体】の持つ天映の盾で受ける。勿論盾に魔力を流すのも忘れない。
天映の盾は旭日の剣と同じ神器、アイテムレベルも同じく300オーバー。
だったら、受けられない理由は無い!!
そして、俺の予想通りに剣と盾がぶつかり合い、力が拮抗する。
旭日の剣は【仮想体】で押さえて置く。アレに好き勝手動かれると色々厄介だからな。
これで、戦えるのはこの子猫の体1つ。
弱体化が入っているとは言え、相手は俺より3つも4つも格上の相手だ。油断なんて出来る訳も無い。
警戒しつつ慎重に。それで居て大胆に攻める、だ!
【仮想体】の陰から飛び出し、そのままバグに向かって走る。
さっきのようなミスをしないように、周囲の警戒も怠らない。
オリハルコンの鎧は寝て居る―――って事は、今は【支配者】の効果を受けて居ないのか? 試しに収集箱に戻してみる。
『魔王スキル【支配者】の効果を受けて居るアイテムは収集箱に入れる事が出来ません』
やっぱりか。
オリハルコンの鎧が動かないのは、ただのブラフだ。
俺が隙を見せたら、さっきのようにぶっ飛んで来て俺を殺そうとする訳だ。
嫌になる程隙がねえなぁ……!
「動きが大分良くなったようだな? 余との戦いで何か掴んだかな?」
俺が突っ込んで行っても、バグは焦る様子が一切無い。
むしろ、俺が来る事も想定済みっぽい感じ。
嫌な感じだ。
思考を読んでも、野郎が俺の動きを先読みしてる訳じゃないってのは分かってる。それなのに、奴の手の平で踊らされてる感がどうしても抜けない。
迷うな! 攻め時に攻めさせない、奴の策かもしれないし。
警戒をしながら足を早める。
「だが、手札はそろそろ尽きたんじゃないか?」
ああ、そうだよクソ!
残ってるのは、奥の手のデッドエンドハート1つ。それ以外の手札は全て見せてしまっている。それに、デッドエンドハートはあくまで“とどめ用”だから、使えねえし。
「図星かな? ではコチラも伏せ札を見せて行こうか?」
魔法を撃って来る―――のは【妖精の耳】で考えを読んだから分かったが、何を撃って来るかまでは読めなかった。
撃って来るのは分かってるのだから、先に回避を試みる。
が―――
「【氷結術式】」
氷結の波がダンスホールに広がる。
クッ……冷てぇ!! 猫の体は必要以上に寒さに弱いってのに!!
【術式解除】
冷たい風がバキンッと割れて、少し肌寒い程度の冷気を残して魔法の効果が消える。
あっぶないっての!
視線をバグに向けると、そこには―――居なかった。
どこだ!?
臭いを辿れば、ダンスホールの天井近くまで飛び上がったバグの姿があった。
「ふッ!!」
鳥らしい動きで両手で空気を叩く動作。
すると、ギュンっと恐ろしい程の速度で俺に向かって蹴りの体勢で落下して来る。
魔法―――いや、間に合わない!
避けろ!!
息を止めて加速。
素早くその場を飛び退く、とほぼ同時にバグの蹴りが床を抉る。
床の破片が飛び散り俺の体を叩く。けど、加速中は物理的な制限からは解き放たれるからダメージは無い。
ゆっくり動く世界の中で、四方八方から武器が飛んでくる。
しまった!?
野郎の狙いは、俺を空中に逃げさせる事か!?
空中は逃げ場が無い。
そこを必殺の一手で詰みに持って行く―――ってか!? そうは問屋が卸しませんって!
そう言えば、もう一手残していたのをコッテリ忘れてた。
【空中機動】
空中に足場を創り、それを蹴って飛んで来た剣を回避、そこで息が続かず加速が終了。
プハッと息を吐きながら2つ目の足場を創って槍を回避―――が、避け切れずに右後ろ足を槍の穂先が掠める。
痛ってぇ!?
が、動きを止める訳には行かない。
ここで止まったら、それこそ滅多撃ちにされて死ぬ!
空中に足場を創りながらヒョイヒョイッと避けるが、後ろ足を負傷した事で動きのキレが3割減。
致命傷は受けないが、避ける度に傷を受けて血が噴き出す。
2つ、3つ、4つ。
傷が増えるごとに意識が遠くなる。
くっそ、ヤバい―――死ぬ!
避ける度に、死が近付いて来るのが分かる。
ふと、雪崩のように俺を呑み込もうとしていた攻撃が止む。
なんだ……? と思って床に降りると、立って居られなくなってペタンっと床に転がる。
アレ……? 体に力が入らない。
立ち上がろうとしても、体が震えるだけで動かない。
何かされたのか?
「その小さな体では、ここが限界であろう?」
バグが何かしたんじゃない。
俺の体が限界なのか?
そう言えば、さっきから寒くて体の震えが止まらない。血を流し過ぎたせいか?
ああ、ダメだこれ。
マジで、思考も回らない。体も動かない。
治癒の天術を使おうにも気力が湧かない。
「そんな矮小で脆弱な体で、君は良くやったよ。称賛に値する」
バグが静かに俺を見下ろす。
その目は言葉とは裏腹に、自分に挑んだ愚か者に向ける侮蔑しか見えない。
「だが、所詮は獣風情。余と戦うには力が無さ過ぎたな」
ああ、そうだな。
結局、1mmもダメージを与えられなかった。それどころか、まともに近付く事すら出来なかった。
生きたいって気持ちは勿論ある。
死にたくないとも思う。
だけど、俺の中の何かが俺を意識の暗い方へと引っ張って行く。
――― もう良いじゃん?
――― 俺精一杯頑張ったよ。
――― 死に物狂いで、生きる為の努力しただろ?
――― それでダメだったんだから、もう諦めようぜ?
ああ、そうだな。
本当にそうだ。
どんなに生きたくても、どんなに死にたく無くても、ダメな物はダメなんだ。
じゃあ、もう、良いじゃん。
このまま目を閉じれば、目の前の魔王が、俺に永遠の安らかな眠りをプレゼントしてくれる。
目を閉じれば――――……。
瞼が重くなり、静かに視界が閉ざされて行く。
これで、終わるんだ。
そう思った。
死を受け入れた。
その時、意識の奥底で、石が放られたように、意思の波紋が体中に広がる。
――― 「約束ですよ」
小さな、金色の髪の、お姫様の声が聞こえた気がした。
ああ、そうだ、クソッ!
重くなった瞼を押し上げて目を見開く。
力の入らない四肢を、意思の力で無理矢理動かす。
約束したんだった、あの子と「必ず帰るって」。
息が切れる。
意識と体が重い。
体が震える。
全身が痛い。
くっそ、安請け合いな約束なんてするもんじゃねえな! 簡単に死ぬ事も出来やしねえじゃねえか!!
「ほう……まだやるつもりかね? その見るに堪えないゴミのような姿になっても、まだ抗うと言うのかね?」
うるせえ。
ボロ雑巾にされようが、やるんだよ。
俺が帰らなかったらレティが泣く。
精神がどれだけ悪党だろうが、約束も守れねえ屑野郎になる訳にはいかねえだろうが。
意思が―――
戦う意思が―――
強い意思が―――
力を紡ぐ。
「よかろう。では、余が自ら君の―――いや、愚かな貴様に終わりをくれてやろうではないか?」
空中を舞う17の刃。
俺は、それに応える。
「(ああ、良いぜ……)」
瞬間―――時が止まったかのような一瞬。
バグが目を見開き、空中を見上げる。
その視線の先には
――― ダンスホールを埋め尽くす、ハリネズミの針ように、数多の武器が浮いて居る。
「なんだ、これは……?」
剣、槍、斧、短剣、弓―――様々な武器が、ピタリとバグに狙いを定めている。
何って、決まってるだろう。
「(さあ、似たような能力を持つ者同士、仲良く殺し合おうぜ)」
瞼の裏に浮かび上がる1つのログ。
『魔王スキル【全は一、一は全】の作成が終了しました』
後に―――魔神と恐れられる事になる強大な力は、小さな、小さな、子猫の体の中で、声も無く、音も無く、産声をあげた。




