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oak apple day.

 

「まるで侑生のことみたいね」

 そう、微笑んだ由比は、父親似であるのに、圭に酷似していた。




「オークアップルデー?」

「そうだよ。日付こそ五月二十九日なんだけどね」

 最初はエイプリルフールの話題だった。由比が侑生に「何でエイプリルフールって午前中は嘘を付いて良いの?」と尋ねたことから始まった。侑生は洗濯物を取り込んでいて、由比はベランダから見下ろす形で訊いて来たのだ。

 由比は無口で無愛想で無表情、顔立ちこそ父親に似て華々しいのに、母親の月みたいな翳りを持った少女に育ってしまった。しかし見た目か難儀な性格か、周囲の人に恵まれているようで、侑生は正直ほっとしていたものだ。更に環境が良いためか、由比は今年十九歳になった。

 母親の圭が長らく『不老延命措置』を受け続けていた影響で体が弱く、二十歳まで生きられないと言われていた由比。そんな由比が十九歳だ。こうもうれしいことは無い。


 さて、今回その由比がなぜエイプリルフールについて質問して来たかと言うと。


さちが嘘付くんだもの」

「で、由比も返そうとして時間切れだったから何で、とね」

 幸、とは正人の妹だ。正人は雅彦の孫だった。つまり、戸籍上正人は由比の甥に当たり、幸は姪に当たる。ただ年齢で言えば正人や幸と由比は親子程離れている。正人たちのほうが上で、だ。

 幸は由比が通う音楽学校で教鞭を取っていた。音楽ではなく普通教科の教師として。音楽学校で音楽専門であるにも関わらず普通教科は申し訳程度、高等部まで在った。

 由比は十九歳でもう卒業なのだけれど、非常に優秀な、言ってしまえば非凡な才能が在ったため大学には進まなかったと言うのに講師手伝いのような立場でアルバイトをしていた。勿論、名目上のことだ。学校の楽団への在籍も望まれたが由比が断った。

 音楽の才能が皆無に等しい圭から生まれて、脆弱ながら学校のトップクラスにいると言うのは、やはり血なのだろうかと侑生は遠い目を幾度もした。

「幸も莫迦なんだねぇ」

「子供なのよ」

 実際にはとても年下の由比が言うのはおかしいのかもしれない。だが侑生は反論出来なかった。確かに、幸は成人女性にしては幼いので。侑生は洗濯を取り込み終えると由比がベランダから降りて来た。ベランダにはテラスと繋がる階段が在るのだ。いちいち中に入らずとも済む便利な仕様だった。

「オークアップルデー、ねぇ」

「もともとね。イギリスで国王への忠誠を示すためにオークアップルを着けるんだけど、着けていないと責められるのは午前中だけで、午後からお咎め無しだったんだって。これが永い時間でエイプリルフールに組み込まれたんじゃないかって説が在るんだって」

 テラスの木製テーブルへ洗濯籠を置き椅子へ腰掛けると、侑生は洗濯物を畳みつつ由比へ説明した。

「へぇ……『オーク』って“樫”のこと? 実なんか生るの?」

「樫はね、常緑樹だから無いよ。『オーク』は楢のことも指すんだよ。オークアップルは“コナラメリンゴフシ”」

「コナラメリンゴ……林檎に似てるの? 付けられるくらいってことは姫林檎みたいな」

 同じように椅子に座ってテーブルに肘を突く由比へ無言で洗濯物を渡す侑生。暗に手伝え、のサインだ。由比も文句を言わず当たり前の如く受け取って畳み始めた。

「うーん。小さいし、似てはいるかもね。でもねぇ」

「え、何」

「“虫こぶ”なんだよ」

「え」

 虫こぶとはタマバチなどの幼虫の棲み処兼餌となる膨れた芽のことだ。タマバチの他にもタマバエ、アブラムシやダニ、果ては細菌なども虫こぶを作る。ただしこの場合虫こぶではなく『ゴール』と呼ばれるのが適当らしい。

 案の定、由比の手が止まり、父親譲りの美貌が歪んでいる。こうして見ると、目元なんか圭に似ているかもしれない。と言うか、凄い似てる、この表情、と侑生は苦笑した。

「そんなもの付ける訳……」

 忠誠心、大変ね……と生気を失った声で洩らすものだから侑生はちょっと噴き出してしまった。嫌なことにぶつかったときの圭にそっくりだったのだ。

「まぁまぁ。意味が在るんだよ、ちゃんとね」

 オークアップルデーは王政復古の記念日だ。時の国王が敗走中にオークに隠れて難を逃れたことから、上着のボタンなどに刺して忠誠を誓うようになった。

「クリスマスの宿り木にわざわざ選んだり、ケルトとも繋がりが在るから、イギリスでは馴染み深いんじゃないかな」

「けど虫……」

「団栗だからさ、ね」

 由比が心底嫌そうなので黙っていたけれど、他にも占いが在って蠅が集っていると幸運、蜘蛛が沢山いると不幸になる、なんてのも在るよ、とはさすがに侑生が『ドール』と言えど続けられなかった。

「虫なんかマシだよ。エイプリルフールは、もっと残酷だよ」

 ヨーロッパでは三月二十五日が新年で、四月一日まで春の祭りを開催していたそうだ。ところが当時の皇帝が突如、一月一日を新年としてしまった。民衆は反発し、四月一日を“嘘の新年”だとして騒ぎ始めた。

「当然、皇帝は怒るよね」

 怒った皇帝は祝っていた民を老若男女問わず処刑した。中には年端の行かない少女もいた。

「少女への哀悼を表して、嘘の新年を祝う日と一日嘘を付かない日が出来て、嘘の新年だけを祝う日だけ残って、嘘を付かない日は消えちゃったんだけどね」

 これ以外にもインドの悟りの修行説、フランスの“プワソン・ダヴリル”の通り四月の鯖が莫迦みたいに釣れるイコール釣れる莫迦みたいなものまで在るが、多過ぎて説くのも侑生は面倒なので諸説在る、で纏めた。由比は一通り静聴を終え、ふとこんなことを言った。

「まるで侑生のことみたいね」

 由比は零して、微笑んだ。侑生は虚を突かれたように固まった。洗濯物はすでに畳み終わりきれいに畳まれた洗濯物が再び籠に入っていた。

「僕?」

「うん。だって王様は、逃げていてオークの木に隠れたんでしょ? で、その王様への忠誠を表現したのが始まりなんでしょ? オークアップルデー」

「そうだね」

「逃げて、隠れて、隠してくれた木に忠誠を誓う────似てない?」

「───」

 由比の指摘が、侑生にはわかった。だけれど、認めたくなかった。

 侑生の元になった人間。クローンの『侑生』。由比の本当の、遺伝上の父親で、今現在、どこにいるかもわからない男。侑生の手の甲に、由比の指が触れた。力を入れ過ぎて、歯に至っては噛み締めて軋んで音が鳴り、テーブルを挟んだ由比が身を乗り出し腕を伸ばしたのだ。

「爪の痕、傷になっちゃう。奥歯も、磨り減っちゃうわ」

「……そうだね」

 諭され、手の力を抜いた。

「侑生が、」

「……」

「忠誠を誓ってるのは、お母さんだものね」

 創造主で、主人の圭。侑生にとっては優先順位の最高に位置している、もうこの世にはいない人。由比は席を立つとテーブルを回り込んで、侑生の前へしゃがみ込んだ。俯き加減の侑生を覗き込む。

「私を、死なせないのも、お母さんへの忠誠、かな」

 由比が侑生の頬を撫でた。侑生はふっと、弛緩したように笑った。

「違うよ。愛してるからだよ」

「……。そうね。忠誠心より愛のほうが縛られ易いもの」

 頷くと、由比はやや斜め前から侑生の太腿ふとももへ頭を乗せた。顔の横に手を置き、甘える子供みたいに。由比の腰まで届く髪がさらりと背を滑った。

「お母さんへの愛で雁字搦めになっていて、私を殺して切り離すことも出来ないのね」

『ドール』に三原則は存在しない。三原則が在るのはアンドロイドやロボットだけだ。だから、『ドール』には人間が殺せた。出来るのにしないのは偏に人間と違い理性が強いのと、単に主人へ迷惑を掛けたくないゆえだ。人間は殺さない。

「由比は殺さないよ」

 殺すなら、……有り得ないけれど。侑生の意志ではない。圭の願いだからだ。由比の髪を梳く。髪質は圭に似ているのだろうか。圭は黒髪のストレートだった。由比は赤み掛かった茶色でストレート。色こそ違うけども、とても手触りは近い気がした。髪を梳き頭を撫でる。以前、由比が圭の胎内にいる時分侑生がしてもらったように。

 そこへ、車のエンジン音が近付いて来た。家の近くで停車したようだ。侑生が出迎えるため立ち上がろうとすると、由比が阻止した。心成しか不機嫌そうだ。

「由比、誰か来たから」

「出なくて良い。どうせ入って来るわよ」

 宥める侑生へ吐き捨てる由比。口調からして、来訪者を知っているような? そうこうしている内に庭を回って来る気配がした。足音の方向へ視線をやれば、ここ最近見知った顔が在った。

「何だ、いるんじゃん」

「藤見屋先生」

 由比が通う学校の講師をしている藤見屋愁治だった。唇を尖らせて何やら書類の入っていそうな大きい封筒を持っている。

「由ー比ー」

「馴れ馴れしく呼ばないでください、セクハラ講師」

「ちょ、保護者の前で誤解招く発言はやめて!」

 テラスの柵の先で呼ぶ藤見屋を毒を吐いて一蹴すると、由比は侑生からあっさり離れ藤見屋の元へテラスを降りて行ってしまった。あれだけ侑生が退けようとしても退かなかったのに。こう言うところに機嫌を損ねるのは、子離れ出来ていない証拠かと反省して侑生も立ち上がった。洗濯物を室内へ運ぶのと藤見屋へお茶を用意するのにだ。

「先生」

 侑生が藤見屋へ声を掛ける。途端由比と楽しそうに喋っていた藤見屋がこちらを見た。侑生へ視点を定めるとどうとも言い難い、複雑な顔色になった。

 苦味走った、眩しそうな、懐かしそうな「……」無理も無い。

 藤見屋はオリジナルの『成縢侑生』の親友だったからだ。『成縢侑生』。彼が自殺しなければ、あの男が目覚めることは無く、圭だって死なず済んだだろう。自殺の切っ掛けは藤見屋だった。だので、沸々と得も言われぬ感情が擡げることも在る。だけども、侑生は笑顔を作ることで遮断した。

「お茶、飲まれますか?」

「え、あ、はい、いただきま────」

「や、帰れ」

「えぇーっ」

 由比がぶっつり遮った辺りで侑生は二人を置いてさっさと家へ入った。背後では二人の喧しい応酬が聞こえる。ちらと、首だけ動かして後ろを見遣った。が、すぐ前を向き直してキッチンへ。だいぶ離れたと言うのに、二人の声は響いて来る。

 不意に、“侑生”と言う名の者は藤見屋に関わると失う運命に在るのかもしれないと思い付いた。この科学最盛、いや、終焉時代に愚かしいことでは在るのだが。

『成縢侑生』は秘めていた想いにバランスが崩れ命を失くし、件のあの男は存在の根幹を揺るがされ現在行方不明。自分は。

「……由比……」

 由比と藤見屋は付き合っている。由比が在学中、擦った揉んだの末恋仲になった。茶を沸かしつつ侑生は莫迦莫迦しい、と打ち消した。在るはずが無い。非科学的だ。

 けれども根拠の無いこととするには余りに符合していた。やめてくれ。侑生は思った。

 たとえ思い付きのジンクスが本物だとしても、『ドール』の自分は当たらない、絶対に。……と考えるのに。

 心のどこかで祈らざる得なかった。由比はあと一年で二十歳を迎える。成人出来るかもしれないのだ。

 だから、どうか、由比をそっとして置いてくれ。

 せめて、二十歳を越えさせてくれ。

 由比の負担にならないように。

「エイプリルフールに付いた嘘は現実にならないらしいけど……」

 そうでも、口が裂けたって由比の死を音にすることは叶わなかった。


「改めて吐かなくても、僕らの周りはとっくに嘘が積み重なっているんだよ、由比」







   【 了 】

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