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#21.

触れ合った唇から、鉄錆のような血の味がした。それでもプリシラは構わず、より深く口づけを交わした。


互いの唾液が絡み合う濃密な接吻に、リュエンの目が見開かれる。


本来、プリシラの持つ守護スキルであれば、身体接触などなくとも結界を張ることは可能だ。だが、今のリュエンは「何か」に制御権を奪われた状態にある。


そのような場合、身体接触による魔力封じが最も効果的だ。プリシラは目を細め、己の持つ魔力とスキルのすべてを動員して、リュエンの力を抑え込んだ。


唇が離れると同時に、リュエンの体がプリシラの方へと傾いた。他人の魔力に加え、強力な守護結界が体内を掻き乱した反動だ。


今にも倒れそうなほど蒼白になった姿は痛ましかったが、背に腹は代えられない。


「気分が悪いでしょ? ごめんね。でも、落ち着かせるにはこの方法が一番効果的なの」

「そんなことは……くっ……」


否定したかったのだろうか。だが、リュエンは言葉を紡ぐことができぬまま、プリシラの肩に顔を埋めた。


「無理に話さなくていいわ。休んでって言ってあげたいけど、あいにく状況がそれを許してくれないみたい」


プリシラが強固に張り巡らせていたフェンベルクへの防壁が、一枚剥がれるのが見えた。


やはりドラゴンの視界と行動を同時に制限し続けるのは、容易なことではないらしい。


怒りに満ちたフェンベルクの視線がプリシラを射抜く。その怒号が周囲を震わせた。激昂の様子を見るに、次の一撃は相当に重いものが来るだろう。


攻撃に備え、防壁をさらに厚く重ねた、その時だった。


「プリシラ! ご無事です……」

「下がっていろ、小僧!!!」


ライディスの声をかき消すような怒声が耳元で轟いた。


その声を認識した瞬間、プリシラはリュエンを担ぎ上げ、ライディスの方へと駆け出した。


一歩遅れて、プリシラの背後に凄まじい落雷が叩きつけられる。至近距離の衝撃に背筋が凍り、吹き付ける風からは微かな電撃の残滓が感じられた。


「ラファエル将軍! まだプリシラ殿が近くにいらっしゃいます。もう少し慎重に……」

「そんな余裕があるか、この馬鹿者が!」


ラファエル・ヒューストン。帝国の将軍であり「神罰の代行者」と称されるこの男は、プリシラが知る中で間違いなく最強と言える男だった。


十年に及ぶ戦争の間、常に最前線に立ち、誰よりも脅威的な力でガエルを追い詰めた神罰の代行者。


呆然とラファエルを見つめていると、ライディスの当惑した声が聞こえてきた。


「プリシラ殿?! なぜあなたが『白い悪夢』を連れているのですか?! まさか、先ほど共にいたのは白い悪夢だったと……」

「あ」


しまった。切迫した状況のせいで、リュエンを隠すのを失念していた。


どう説明すべきか。プリシラは一瞬悩んだが、すぐに考えるのを放棄して苦笑いを浮かべた。


「まあ、いろいろ事情がありまして。それよりライディス公。重要なのはリュエンではなく、フェンベルクです」

「フェンベルクだと? ここに奴がいると……まさか」

「そのまさかです。いくらラファエル将軍が強くても、数百の魔物と共にドラゴンと化したフェンベルクを相手にするのは無理があります」

「そんな馬鹿な……人間がどうやって魔物になるというのです?! そもそもフェンベルクはガエルの魔力暴走で死んだのではなかったのですか?」

「残念ながら生きているようです。リュエンがあのドラゴンをフェンベルクと呼び、ドラゴンも否定しませんでしたから」


ガエルの最精鋭魔導兵が生きている。それだけでも悪夢に近い事実だというのに、魔物という皮まで被っているとは、いよいよ正気の沙汰ではない。


青ざめるライディスを横目に、プリシラはラファエルへと視線を向けた。


「ライディス公。火を吹くレッドドラゴンと雷電スキルを持つ将軍は、相性が最悪です」

「そうでしょうな……しかし、今このリベリアでドラゴンを相手にできるのは将軍だけです」

「ええ。だから時間を稼ぐんです。ライディス公のスキルで」

「……私に、ドラゴンを塔まで追い返せと仰るのですか?」

「できるでしょう? ラファエル将軍をここまで呼び寄せたあなたなら」


そうだ。ライディスのスキルは「転移」。以前はスキルランクもそれほど高くはなかったが、それでも非常に有用な力だった。


その彼が、帝国から将軍を連れてこられるほど腕を上げたのなら、フェンベルクを送り返すことも可能なはずだ。


プリシラの問いに、ライディスは短く息を吐いた。


「やってみせましょう。ですが、戻したところでフェンベルクが大人しくしているとは思えませんが」

「案ずることはありませんわ、ライディス公。あなたが連れてきたのは、他でもない神罰の代行者でしょう? いくらフェンベルクとて無傷では済まないはずです」


プリシラの言葉が終わるより早く、激しい落雷がフェンベルクの周囲に降り注いだ。


相性が悪かろうと、ラファエルは十年もの間フェンベルクを阻み続けた英雄なのだ。


そして今、ラファエルにはプリシラの特殊防壁がある。フェンベルクはラファエルに傷一つ負わせることはできないが、ラファエルは思う存分スキルを叩き込めるのだから。


それを証明するかのように、赤く輝いていたドラゴンの体が黒く焼け焦げていく。フェンベルクが弱まった。今が好機だ。


「ライディス公!」

「スキル詠唱中です!!」


言い終えると同時に、ライディスの体から淡い褐色の光が立ち昇った。彼が短い詠唱を終えた瞬間、フェンベルクの巨体に巨大な魔法陣が刻まれた。


『神聖なる戦闘を邪魔するなど……!!!』

「戦いに神聖も糞もあるか、この愚か者が。爬虫類になって知能まで退化したか?」

『ラファエル……この忌々しい厄鬼め!』

「厄鬼はお前たちの方だ。過去の亡霊に囚われ、死ぬことも生きることもできぬ虫ケラどもが!」


ラファエルが槍を荒々しく突き立てると、周囲に激しい落雷が轟いた。四散した魔力が魔法陣へと吸い込まれていく。


プリシラは即座に防壁を解き、ライディスへと力を貸した。


『これで終わったと思うなよ。塔がある限り、我らは……』

「知るか。能書きはいいから失せろ!」


フェンベルクの最後の言葉すら聞き届けず、ラファエルは雷を叩き込んだ。悲鳴と共に焼け焦げたフェンベルクの体は、まるで最初から存在しなかったかのように、儚くかき消えた。


三つの危機のうち、二つを制圧した。残るは……。


プリシラは目を細め、赤く燃え盛る街並みを見渡した。ドラゴンも魔力暴走も消えたが、魔物たちは依然としてそこにいた。ラファエルは強いが、彼もまた一人の人間に過ぎない。数百にのぼる高ランクの魔物を相手にするのは困難を極めるだろう。


(火の手を先に抑えなきゃいけないのに……)


魔物は生命のみを貪るため、建物を壊すという概念はない。だが炎は違う。


残酷なまでに公平にすべてを焼き尽くす。鎮火は一筋縄ではいかない。苦々しくプリシラが呟いた瞬間、彼女の肩に顔を預けていたリュエンが顔を上げ、か細い声で囁いた。


「私が、やろう」



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