厳しさの対価
「大変なことが分かったんすよ!」
大きな声と身振りで言いながら、北島が差し出された水を飲み干す。口元をゴシゴシと着慣れたスーツで拭うと、深くため息をついていた。
そして当然のように、俺がいつも座っていた椅子にどっしりと座る。
(そこは俺の特等席だぞ!)
俺の鳴き声などお構いなしに、暖房をありがたがっている北島。夏樹のため息が聴こえる。
二杯目の水が美香子によって、グラスに注がれた。
それをちびちびとすする北島。
「いったい何が大変だというのですか?」
美香子の問いかけに、北島は慌てて手帳とペンを取り出す。どうやら、今日会った三白眼の男。小林ヨウってやつは、正真正銘の阿修羅のメンバーらしい。
「俺が見てきた限りでは、夜中に花火をしたりバイクをふかしたりして、遊びまわっているようです」
その中でも気になった点があると北島は言っていた。
ヨウという男は、仲間からパシリにされているのだそうだ。あんな怖い見た目なのに……。
「埋めるって言ったのは阿修羅のメンバーなんですか?」
「ヨウ氏本人からのみですね。キッと、蛇のように睨まれました」
夏樹は、質問の答えに少しだけ笑みを浮かべて俺の方を見た。
それがなんだか嬉しくて、俺の尻尾は今、メトロノームのように左右に揺れ続けている。
「ただのハッタリよ。きっと一人では何もできない奴なんでしょ」
夏樹は思ったことをはっきりと言う。そこが良い所でもあり、危ない所でもあると思っているぞ。
娘は間違ったことを言う愚か者ではない。だが、これを本人の前で言ってしまったら、完全にアウトだ。怒らせてしまう。
「いやぁ、でもあのガタイの良さは……」
「小林さんの家庭環境についての情報は無いのですか?」
「あぁ、ありますよ」
北島が手帳をぺらぺらとめくっている。カラフルな付箋が沢山。俺も気になって、北島の足元まで来てしまった。
どうやらまたおしっこをかけられるのだと思ったのか、足で俺のことを払いのけてくる。
(くそぅ、チワワだと思って舐めやがって)
俺は酸っぱい匂いのする靴下に噛みついた。伸びる。慌てている。面白い。
「もー、話が進まないー!」
夏樹は俺を、北島の靴下から引きはがし、一階の寝室に閉じ込めてしまった。閉じられるドア。垂れ下がる耳。
(だって、面白かったから。つい……)
どうかしている。
わかってはいるが、体が勝手に動いてしまう。
(犬化……、しているのか?)
一匹になると冷静になるもんだ。ちょっと三人の会話を聞いてみよう。
確か、チカちゃん家の情報についてだったよな。
ここからは、小林家について俺がこの耳で聴いた話だ。
IT関係の仕事を行っている父と、専業主婦の母。そして、ちょうど十歳離れたヨウ氏とチカちゃん。顔の形は違えど、正真正銘、夫婦のこどもだ。
父が仕事に忙しい分、母が二人の面倒を見ているのだが、本人曰く、
「厳しくしすぎた」
と反省しているらしい。
特に長男のヨウ氏については、“こうあらなければならない”、“礼節を重んじよ”と、型にはめた生き方をさせてきたとも。
娘のチカちゃんは、素直に言うことを聞くからかわいい。それに年子。
息子のヨウ氏は、彼女が模範的なこどもになっていく姿を見て一言、
「俺はああはならねぇからな、くそったれ」
そう言って、両親とは口を利かなかくなったらしい。
――パタン
北島がメモ帳を閉じる音がした。
その後は三人で雑談をしていた。孫さん宅とか、ワンダースタンド翻訳のこととか。
(あれ、じゃあ。アイツが最も憎んでるのって……)
俺は話を聴きながら、一つの疑問を浮かべた。
(どうしてヨウ氏はチカちゃんとは関わるんだ?)
ふつう比べられたり、比べてしまう相手には、少なからず嫉妬するものだ。たとえ園児でも。
それにそんなに家族のことが嫌いなら、きつい言い方になってしまうが、帰ってこなくてもいいじゃないか。
どうして帰ってくる必要がある。
(もしかして、根性なし?)
あの見た目でか。
まだ中学生だったら、小遣いも稼げていないはず。未遂だったしもう許したが、ミスボーンのように、引ったくりなどの金銭トラブルを起こしている可能性もあるな。
それか、親が遊ぶ金をあげて、家からヨウ氏を追い出しているのか。
(チカちゃん。可哀そうだな)
あんなにしっかりとしたこどもなのに。お兄ちゃんが悪い連中とつるんでいる。きっと複雑な心境だろう。昨日、公園で見せたチカちゃんの悲しげな顔が俺の頭に浮かんだ。
そんなことを考えていたら、突然ドアが開く音がして驚いた。
北島が目をキラキラさせて、銀色のヘルメットとスマホを持っている。
(なんだなんだ……?)
「俊介さん! ちょっと取材よろしいですか!」
(!)
迫りくる北島。ヘルメットがスポッと被せられる前に見えたのは、各々のスマホを眺めている妻子の姿だった。
(ちょっとは心配してくれよぅ!)
うう、また頭がぐにゅぐにゅする。
しばらくすると、ピロピロといろんな角度から電子音が鳴った。おそらくスマホだろう。三つ分聴こえたから、北島もこのアプリを入れたんだな。
「すごいっす、“心配せよ”って言ってるんですね。あざっす!」
北島は、自身の安全を俺が祈っているかのように解釈していた。違うそうじゃない。俺の心配をしろと言ってるのだ。誰もお前の心配などしていない。
「“心配はいらない”。格好いいっす!」
(あぁもう!)
やっぱり、孫さんの発明品は眉唾物だ。これじゃあ正確に伝わらないじゃないか。
「それじゃあ俊介さん。取材しますね。俺、はりきりますよー!」
カチカチと、ペンの音が聴こえた。
まぁ、いいだろう。どうせ事故のことを聞かれるだけだ。ありのままを話せばいいのだから。




