人生は発明だ! 【後編】
「大丈夫か。チワウワ」
(!)
気が付いたら俺は、埃臭いベッドの上に横たわっていた。前が見える。被せられたものが外されたのだろう。
孫さんが脇に抱えている装置。なんだかヘルメットのようだ。
安っぽい銀色の光沢に、俺の頭がちょうどすっぽり入るぐらいの大きさ。きっとこれが原因で倒れたのだと思う。
「パパ。大丈夫?」
美香子が俺を抱き上げる。引いていた血の気が、妻の温もりによってよみがえった気がした。
「このチワワに何したんですか」
夏樹の問いかけに、腰に手を当て自慢げに説明を始める孫さん。
「これは、犬とヒューマン用の翻訳機じゃよ」
そう言って、彼はヘルメットのようなものを再び俺に被せてこようとした。なんだか小難しいことを言っていたが、要は、俺の脳波を検知してWi-Fiのようにスマホに送るらしい。
(そうはさせるか!)
そんな胡散臭い物、二度とごめんだ。
俺は孫さんの指に噛みついた。はじめて人を傷つけてしまった瞬間。痛がる彼の姿を見て、少しばかりの罪悪感を覚えつつも、自分のした行為を心の中で正当化した。
「まずはコネクトからが大事ってことじゃな」
それでもあきらめない孫さん。なんてタフな性格なんだ。
でも頭痛は嫌だ。何が何でもあの痛みはもう二度と経験したくない。
「大丈夫じゃ。チワウワの脳のデータはバッチリ採れとるからの」
「あの……、後遺症とかは」
美香子が心配そうな声で、震える俺の頭を撫でながら言った。夏樹は黙ったままだ。様子をうかがっているのか。
「お二人さん。スマフォを出しなさーい」
美香子と夏樹は、顔を見合わせて、各々のスマホのロック画面をしぶしぶ解除した。
「このアプリをインするのでーす♪」
心底楽しそうだな。この爺さん。
どれどれ……、
(“ワンダースタンド翻訳”?)
孫さんが言うには、ヘルメットとこのアプリと連携させると、俺の考えていることが、スマホ上で文字化されるらしい。
だが、そんなこと本当にできるのか。
噂では、空飛ぶ急須とか作ってる変人だぞ。信じられない。
それは二人も同じ考えだったようで、アプリを入れるのに躊躇している。
「ええい、ワシが試してやろう!」
緑色の使い込まれたスマホが、孫さんのよれよれの白衣のポケットから出てくる。ポチポチと、やたら大きなボタン入力音。
脇には怪しげなヘルメット。
美香子が俺を庇うように、孫さんの前に立った。
「ねぇ、ママ。やっぱり帰ろう」
「心配はナッシングじゃ!」
夏樹が口を開いた瞬間、孫さんが強引に俺にヘルメットをかぶせてきた。よろける妻。
(なんてことするんだ!)
――ピロロロ……
電子音が脳内に鳴り響く。今度は頭痛はしなかった。
だが、なんといったらいいのだろう。脳みそがぐにゅぐにゅ動くような違和感を覚えた。
――ピロリン!
孫さんのスマホの音が鳴る。開いたのはどうやらメール画面のようだ。
なぜわかったかっていうと、彼がヘルメットを外して、俺に直接画面を見せてきたからだ。
≪なんてことするんだジジイ!≫
メール画面にはその一言が書かれていた。
もちろん俺は驚いた。若干のズレはあるものの、咄嗟に出た考えがそのまま文字になっている。
「チワウワ。シンキングしていたことと同じだったら三回回ってワンと鳴くんじゃ」
俺は、言われたとおりに動いた。
二人が信じがたそうに俺を見てくる。
「どうじゃ。アプリをインする気になったか?」
妻子は、しばらく悩んでいたが、半信半疑の言葉を述べながらも、ワンダースタンド翻訳をダウンロードした。犬というより狸のようなアイコン画面だったが……。
「マネーは結構じゃ。年寄りの遊びじゃからの♪」
「これ、くれるんですか」
夏樹が、俺と共にベッドに置かれたヘルメットを見ながら言った。
「オフコース、オフコース!」
本当に楽しそうに笑う孫さん。
俺たちが帰るときにも、三階の窓からクラッカーを鳴らして見送っていた。
クセの強いジジイだが、ちゃんとした発明品も生み出せるのか。
(これ、特許ものだぞ……)
ワンダースタンド翻訳アプリ。
その性能は、俺が身をもって証明できる。が、言葉にできないから多くの人は偶然だと言うだろう。健斗君以外は。
それにしても、ちょっと近代的なヘルメットの光沢は、この町に合わない。目立つ目立つ。見る人すべて二度見してくる。
確かにバイクに乗っているわけでもないのに、普段着の人がヘルメットだけを持って、家族と歩いているのは不自然だからな。
だが、見守り隊の話が出回っているからか、俺たちの姿を見る人の中には、
「大丈夫ですか?」
と声をかけてくる人もいる。
もうすでに、阿修羅への包囲網が張られているのだろうか。そう考えるとなぜだか胸がバクバクしてきた。
町中が一つになって、悪い奴らをやっつける。こんなに熱い展開があるものか。
俺がそう思っていると、一人の三白眼の男が、夏樹の肩にぶつかってきた。身長は娘と同じぐらい。
「あんだ、てめぇ」
いきなり喧嘩腰の男。この周囲はあまり人がいない。ピンチだ。
「あの……すみません。曲がり角だったもので……」
美香子が前に出てきて、平謝りをする。
何が気に食わなかったのか分からないが、地面に唾を吐きかける男。
(汚い!)
ガラの悪い奴だな。早くおさらばしたいところだ。
「てめぇの名前、教えろ」
「倉田美香子です」
「あぁん? 倉田ぁ」
目つきがさらに悪くなった。最悪だ。コイツ自分から名乗ったぞ。
「俺が倉田俊介を轢いた、小林ヨウだ」
奴は、俺たちをスキャンするように隈なく見ると、走り去ってしまった。革ジャンに、ダボダボのダメージジーパン。いかにもって感じの服装だった。
おそらく、チカちゃんのお兄さんだろう。
確かにこんな息子がいたら、存在を隠したいという両親の想いもわかる。
(守らなくては……)
きっと、今日アイツと出会ったことで、俺たちの危険度は増したわけだ。轢かれて死んでチワワに為って、その上に、加害者から追われる。なんてこった。
「とにかく帰ろう」
夏樹の声で、俺たちは止まった足を動かすことができた。さすがに近所まで来ると、ご近所さんとの交流も活発になってくる。
美香子たちは、今日あったことを話して、町一丸となって、阿修羅への警戒を強めることにした。
それと並行して、夏樹の受験も始まる。
不安要素は取り除いてやりたい。
(うまくいけ! 打倒、阿修羅!)
俺は決意を尻尾に秘めて、我が家へと向かった。
家の前には、久しぶりというかなんというか、北島の姿があった。出来れば関わりたくなかったが、向こうから寄ってこられると、無視できない。
(面倒なことになりそうだなぁ……)
オレンジ色の夕日に銀色のヘルメットが照らされる。
とりあえず俺たちは、北島を我が家に通して、リビングで話を聞くことにした。




