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北島がやってきた!

 ぱちりと目が醒める。

 どうしてかというと、ドアホンの音が鳴り響いたからだ。時計を見ることができない俺は、

今が何時なのかがわからない。

 でも、まだ眠気が残っている。


 俺を抱く美香子みかこの腕が震えている。心臓の音。聴こえるぞ。バクバクしてる。何かにおびえているんだな。

 我が家にいたずらでもしに来た奴が居るのだろうか。


「すみませーん! 〇〇新聞社の北島きたじまです!」


 大きな声でわざと外に出てこさせようとする、例の新聞記者、北島きたじま。もしかしてマサミおばちゃんの噂ばなしが奴の所に入ったのだろうか。

 

 夏樹なつきの足音がする。

 それは、ドタドタと慌ただしく、ちょっとだけ怒っているような、そんな感じの音だった。


「こちらから話すことはありません。お引き取りください」


 娘の冷静な対応に感動しつつも、なかなか引き下がらない北島きたじまに苛立ちを覚えた俺は、美香子みかこの腕からすり抜けて、部屋の扉越しにキャキャンと大きな声で吠えた。


「パパ。もしかして、追っ払ってくれるの?」


(あぁ。任せておけ!)


 俺は返事をするようにキャンとひと鳴きした。

 起き上がった美香子みかこは、明かりをつけて急いで髪を結い、俺を両手でむんずと掴み、玄関の方まで走っていく。

 

「ちょっ、ママ。出ちゃダメだってば!」


「いいの。パパがやっつけてくれるから」


 夏樹なつきの制止を振り切り、ドアを開ける美香子みかこ。立っていたのは、やはり北島きたじまだけだった。良かった。他の記者にはバレていないみたいだな。

 というより、こんな話題に食いつくのは、よっぽど時間に余裕のある奴か、俺たちに執着している奴だけだよなぁ……。


「奥さん。どうか話だけでもさせてください」


「どのような話をするというのですか?」


 強気に出る美香子みかこ。だが、その手と声は震えている。花束のように握られている俺は、若干締め付けられて苦しい。

 そこで夏樹なつきがやってきた。


「あまりにしつこいと、通報しますよ」


「俺はただ、交通事故の被害者の無念を世界中に伝えたくて……」


「それはあなたのエゴって物です」


「俺の母さんも事故で亡くなったんです。とてもやさしい自慢の母さんでした。でも、小さな新聞に一度だけ載って、それで終わり。こんなの、あんまりでしょう?」


 北島きたじまが俺たちを説得している。

 本当の話だとしたら、気の毒だが。夏樹なつきのように、事故のことを忘れたいと願っている人も多くいるはずだ。

 奴は自分の未練を他人に押し付けている。


「だから俺は、記者として働こうと決めたんです!」


(同情で人の行動が変わると思うなよ!)


 そのような気持ちを込めて、俺はキャンと甲高い声で鳴いた。


「ある人から聞きました。そのチワワ、俊介しゅんすけさんのり変わりだとか」


 切り替え早いなコイツ。

 北島きたじまはスーツのポケットから手帳とペンを取り出した。ちらりと覗くと、びっしりと何かがかかれている。

 相当しゃべったんだな。マサミおばちゃん。それか、別の案件か。

 

 どちらにせよ、ここは追っ払うのが正解だ。

 俺は美香子みかこの両手から離れるために、体をくねくねと捻った。


「パパ。どうしたの? ノミでもいたの?」


 ノミなどいない。俺は清潔だ。ちゃんと昨日洗ってくれたからな。

 そんなことはどうでもいいんだ。

 

 玄関から少し出たところまで降ろされる俺。何か嫌な空気を感じたのか、見上げた北島きたじまの顔は引きつっている。


「ま、まさか……!」


 ふふん。人間でも犬でも、起きたらまず最初にすることなーんだ。


(そう、オシッコだ‼)

 

 俺は勢いよく、北島きたじまの革靴に引っかけてやった。同じ手にかかるとは、マヌケなものだ。夏樹なつきは目の前の光景に茫然ぼうぜんとしている。

 美香子みかこは、


「やったわ! パパ!」


 と嬉しそうだ。

 二人が居る手前、俺に手出しができないと分かった北島きたじまは、


「俺、諦めませんからね!」


 と半泣きの声を出して、その場を去っていった。


(俺も諦めないからな!)


 俺のオシッコの跡は、夏樹なつき美香子みかこ、二人で水に流してくれた。さすがに家の前にあり続けると、恥ずかしいからな。

 ありがたい。人間だったら、もっと勇敢に立ち振る舞えたんだが。


(まぁ、そうしたら記者に追われることもなかったか……)


 なんて思いながらリビングで突っ伏して寝ている俺。そこに、突然アラームの音が鳴った。夏樹なつきの部屋からだ。

 二階から降りてきた娘は制服を着ていた。


(久々に見る! あぁ天使のようだ‼)


 親バカと思われるかもしれないが、夏樹なつきはこの世で一番かわいい。この大きな目玉に入れても痛くない。そう思う。


 そこへ美香子みかこがやってきて、キッチンの方へと向かう。冷凍庫を開けて、カチカチに凍った食パンを取り出していた。

 それをオーブンの中に入れる。朝ごはんはトーストか。


(俺の朝ごはんは何だろうな?)


 ワクワクしながら待っていた。

 そうして出てきたのが、昨日の残りの鶏ささみ肉だった。


「ごめんなさい、パパ。今日の分買い忘れちゃって」


 好きな食材でも、二回続くとちょっとがっかりするなぁ……。

 でも、娘の制服姿を見ながら食べられるのだから、文句はない。


 いただきますをして、黙々と食べ始める俺たち。


「そうだ。夏樹なつきはあの大学に入りたいのよね」


「そう。都会の方だけど、寮とかのお金大丈夫?」


「大丈夫。そういうことは受かってから考えなさい」


「はーい」


 あの大学ってなんだ。

 俺、聞いてないぞ。しかも、都会にある大学なんて。ここらあたりで有名な大学に出てても就職はたくさんあるぞ。

 

(都会なんて危ないところ、行っちゃだめだ!)


 だが、今の俺に娘の進路をどうこう言う筋合いはない。俺はこの町から出たことが無いから、知らないことが多いだけで、都会も案外いいところかもしれない。

 

(冷静に……冷静に……)


「ごちそうさま。じゃあ、行ってくる!」


「行ってらっしゃい。気を付けてね」


 くだらないことを考えていたら、夏樹なつきを見送るのに遅れてしまった。道中気をつけろよ。お前は可愛い。変な虫が近寄ってきたら、すぐにパパに言いなさい。


「そうね。もう少ししたら夏樹なつきも居なくなるのね……」


(?)


 俺が居るだろ。

 大丈夫だ美香子みかこ。お前も夏樹なつきも、俺が守ってやるから。


 ……、といいつつも、仕事に向かう準備をしている妻の後姿をジッと見つめることしか今はできないけどな。

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