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帰宅祝いの鶏ささみカレー

「ただいま!」


 美香子みかこが玄関の鍵を閉めながら言う。明かりはついたままだった。妻は、俺が入ったままのコスモス柄の片掛かたかけカバンを、リビングの椅子に置き、冷蔵庫に買ってきたカレーの具材を詰め込んでいた。

 二階から降りてくる夏樹なつき。つぶらな俺の視線に気づいたのか、またまた頬をぐにぐにといじってきた。かまってくれて嬉しい、嬉しいぞ。


「ねぇ、ちゃんとママのこと守ってくれた?」


(もちろんだ!)


 俺は勇ましくキャンと鳴いた。甲高い声だが、これでも忠犬だからな。いや、倉田くらた家のパパだからな。人間だったことは忘れちゃいけない。

 人の心がわからなくなったら、守れるものも守れないからな。  


「あらやだ、ルーを忘れちゃったわ!」


「もー、しっかりしてよー」


「ごめんなさいね。今から買いなおしてくるわ!」


「あ、ちょっとママ。カバンは?」


「小銭入れなら持っているから、そのままにしていてちょうだい」

 

 バタっと慌ただしく閉められる玄関の扉。

 夏樹なつきは、はぁっとため息をついて俺のことを見る。


「どうしてこんなことになっちゃったんだろうね」 


 夏樹なつきは、カバンの中から丁寧に俺を取り出すと、そのまま階段を上り、俺の部屋だった場所へと案内した。木目調の壁に、アイドルのポスターが沢山貼っている。出来れば誰にも見せたくない空間だ。

 そこには仏壇があった。横には、遺灰いはいをダイヤモンドにしたものが置かれている。おそらく俺のものだろう。

 

「きっと、忘れていく方が幸せだったんだよ」


 急に胸が苦しくなった。体を締め付けられたからではない。娘の放った一言に大ダメージを食らったのだ。そんなことを思っていたのか、夏樹なつき……。


「もし私が流産で死んでたら、パパはどうしてたと思う?」


(……)


 俺は反応することができなかった。

 確かに、もし死んだはずの娘が他の何かにり変わって目の前に現れたとして、それを素直に受け入れられるだろうか。

 

「自分のことしか考えないパパのこと、大っ嫌い」


 どうしてだ、夏樹なつき。チカちゃんの絵を見て会いたいと言ってくれたじゃないか。それに、親子三人でプラネタリウムに行ったことを思いだしてくれたんだろう。

 

(大っ嫌いなんて言わないでくれ……)


 俺はお前のことも美香子みかこのことも大好きだぞ。だから守りたいって思うんだ。こんな小さな体でも、できることは絶対にある。俺は諦めない。

 必ずお前たちを幸せにしてやるからな。


「生きてた時もそう。掃除とか料理とか全部ママに任せっきり。パパは職場近くの喫茶店や、昔からあるイカ焼き屋でのんびりしてたみたいだし」


 ジロリと俺のつぶらな瞳をにらみつける夏樹なつき


(誤解だ! それは二人のことを思って……!)


 あぁ健斗けんと君がこの場に居ないことが惜しい。というか普通に愚痴になってないか。俺を本当のパパだと思っているのかいないのかは分からないが、娘の本音はこんな感じだったのか。

 


 そうしているうちに、美香子みかこが帰ってきた。

 

夏樹なつき、なにしてるの? 一緒にご飯作りましょ!」


「わかった、今降りる!」


 夏樹なつきは苦しいことや思っていることを、表に出さない子なんだなぁ。何度も思うことだが、もっと話しておけばよかった。

 

(そういえば、大学はどこを目指しているんだ?)


 親でありながら、こんな事さえ分からない。実に情けないパパだ。あゆみちゃんみたいに、夢はあるのだろうか……。


 いろいろ聞きたいことはあるが、今は晩御飯の仕込みに二人は忙しそうだ。


「ささみカレーよりも、牛すじカレーの方が好きなんだけどなぁ」


「今日はパパの帰宅をお祝いする日だから!」


「そう……」


 夏樹なつきの本音を聞いてから、美香子みかこの発言を聞いてみると、確かに無理して空元気を出しているように見えなくもない。

 それこそ、変な宗教にでもハマってしまいそうな感じが出ている。


(もし変な勧誘が来たら、俺が守らなきゃな)


 俺は決意を尻尾に秘めた。

 ゆでられて細切さいぎりにされた、鶏ささみ肉が深皿にのせられて運ばれてくる。その際、夏樹なつきは小声で、


「これ高いお肉だからね。残したらママが悲しむから、ちゃんと食べなさいよ」


 と俺にささやいた。

 食べるだけなら犬の俺にもできるさ。それに上質な肉なら、なおさら食べたい。こちとら、田中たなか家では、大根の水煮しか出なかったんだぞ。

 それに比べれば、肉があるだけで最高のひと時を過ごせる。その上、家族そろっての食事。言うことなしだ。


「それじゃあ、食べましょう」


「いただきます」


(いただきます!)


 俺は小さめの声でキャンと鳴いた。夏樹なつき美香子みかこの手料理。少し甘いカレーの匂いが俺の食欲を増加させる。

 でもここはがっついて食べない。俺はマーガレットとは違うんだ。


「明日から学校ね。大丈夫なの?」


「成績は上から数えて三番目。友達もいるし、平気だって」


 夏樹なつきが笑いながら答える。俺も正直心配だ。今時のいじめは目に見えないって言うしな。陰でこそっと噂でもされていたらと考えると、気が気でない。

 

(もしそんな奴がいたら、噛みついてやる!)


 再び決意を尻尾に込めて、目の前にある鶏ささみ肉をもりもりと食べた。

 話を聞いていると、美香子みかこは近くの定食屋さんの洗い場を任されているらしい。あかぎれがあったのは、そのせいか。

 正社員では入れなかったという。世知辛い世の中だ。

 でも、そこの店主からはよく、まかないを食べさせてもらったり、余った食べ物や食材を持ち帰ったりさせてもらって助かっているそうだ。

 

「さてさて、洗い物が終わったら予習してくるか」


「私がするからいいわよ、夏樹なつき


「いいの、ママは自分のことだけ考えてて。私は私で頑張るから」


夏樹なつき……。生まれてきてくれてありがとう」


「何よ急に」


 照れくさそうな夏樹なつきの声。俺からも言っておこう。


(生まれてきてくれてありがとう!)


 俺は喜びの感情を表すために、尻尾を八の字に振りながら、耳をぴんと立てて、キャキャンと鳴いた。

 形は違うが、明るい家庭に戻った。


 明日どうなるかは分からないけれど、きっといい日になればいい。そんな願いを込めて、俺は美香子みかこと同じ部屋で寝た。

 ぎゅっと抱きしめられている。このぬくもりを、守りたい。


(明日良い日になぁれ!)


 なんてことを想いながら、俺は安心して深い眠りについた。

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