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地面に広がっていく水たまり。だんだん足に浸透していく水分を感じる。
黙り込む二人。容赦ない雨粒の音。このままでは、お互いモヤモヤしたままだろう。何とかしなければ……。
(そうだ!)
歩ちゃんのギターケースに向かって飛び跳ねる俺。
「ソラ、駄目。汚れる」
そうはならないように、気を付けている。困ったように背負っていたギターケースを抱っこする形で持ち上げる彼女。少し重そうだ。足がぐらついている。
「持とうか」
藤田君が静かに口を開いた。やったぞ。会話のキッカケができたな。さっきの話の続きをしてしまえ。園児たちもいないことだ。思い思いの言葉をぶつけるんだ。
「悪魔にこれは渡せない」
「あ、そう」
こらこら、歩ちゃん。せっかくのチャンスがなくなってしまったじゃないか。というより悪魔って何のことだ。
冷やかしではないと分かったのだろう。だったら、そんな呼び方してやらなくてもいいのに。
「夢をあきらめさせる人はみんな悪魔だ」
「じゃあ、叶いもしない夢を見続けさせるのが天使?」
少しだけ空気がピリッとした。
彼女は信じている。自分がアーティストになれるということを。
「ふくれっ面するくらいなら実力でうならせてよ」
藤田君が、「はぁ」っと小さなため息をつく。俺の視界では見えないが、歩ちゃんは怒っているのだろう。
彼女は、まだ濡れていない地面にギターケースを置き、中身を取り出す。そしてケースの蓋を荒々しく閉じると、イントロか雑音かわからない演奏をはじめ、こう歌いだした。
強い雨の中
悪魔は言うよ愚かだと
天使なんていないこの世界に
一厘の夢の花を咲かせよう
あの人たちだって沢山泣いてきたんだ
多くの涙のもとで夢を描き続けたんだ
あきらめもつかない
私は夢を追っている
無い君にはわからないだろうけど
私は感じる
夢から咲いた花は
この先の未来を生きるための糧になると
演奏が終わると、本格的だった雨も少しだけだが止んできた。そうか、歩ちゃんの曲は、大雨でさえも逃げて行ってしまうのか。
いやいや、速攻で創ったにしては、歌詞自体はそれなりに良いと思うぞ。
“無い君にはわからないだろうけど”の部分には、彼女なりの皮肉が入っているのだろう。藤田君は、黙り続けている。
「これが私の実力!」
自信満々に言っているが、お世辞にもうまいとは言えない。だが、彼は否定も肯定もしなかった。藤田君はズボンのポケットから五百円玉を取り出すと、蓋の閉まったギターケースにそっと置く。
不思議がる歩ちゃん。
「強がったって良いことないよ。親に連絡したら」
突然言われて動揺を隠せない彼女が、置かれた五百円玉を水たまりへと投げ入れる。こいつなりに心配しているのか。
一番歩ちゃんの家族の事情を知ってるもんな。
(もしかして、それが言いたくてずっと路上ライブに来ていたのか?)
それにしてもタイミングってものがあるだろう。不器用なんだよ。今ここでそんなこと言ったら彼女も怒るだろうに。
「個人的なことなので!」
「意地をはった音楽を毎日聴かされる身にもなってよ」
「君にわたしの何がわかる!」
キンキンと耳を刺激する歩ちゃんの声。それを冷静に返す藤田君。俺は見ているだけしかできなかった。
「夢ってさ。時に大事なものを失うこともあるんだよね」
「どういうこと?」
「本当の自分の気持ちとかさ。全部夢で隠してる」
「……」
歩ちゃんが黙ってしまった。だんだん小雨になっていく。
彼が知りたいのは、彼女の本音なのかもしれない。
そういえば、夏樹が幼い頃、お菓子屋さんになりたいと言っていたことがある。その本当の理由は、“パパとママに美味しいお菓子を作ってあげたいから”だった。
俺たちはすごく嬉しかったし、応援もした。レシピ帳も買ってあげたりしたなぁ、なんて。もしかしたら本人よりも盛り上がっていたかもしれない。
でも当の本人は、一度言ってしまった夢を放棄するのに時間がかかったという。夏樹は、俺たちに褒められたかっただけなんだと、泣いていた。
「君の両親、心配してたんだよ」
藤田君は、彼女の両親が去るときの言葉を聴いているという。それは、
「私たちのせいで、歩の人生を不自由にしてしまった」
という嘆きだ。
しばらくの沈黙が続いたと思ったら、俺の頭部に雨粒のような雫が落ちてきた。おかしいな。ここは滑り台の中。頭が濡れるなんてことは……。
「泣かないでよ」
藤田君の言葉で、降ってきたのは歩ちゃんの涙であることが分かった。
この子、泣くなんてことがあるんだな。まだ知り合って間もないが、そういう性格ではないと思っていた。
でもまぁ、過去の話を聞けば感受性の高い性格であることは察せられる。本人にしかわからない、思うところがあったのだろう。
「……、君はどうして毎日わたしの歌を聴きにくるの」
小さなしゃっくりに近い音がする。雨は止んできているが、今度は彼女の涙が止まらない。ポタポタたれてくる大粒の雫。
藤田君は、自分のスマホを取り出して、プレイリストから『栄光の架橋』を流した。
「普通の人生じゃなくて、可笑しな人生を送ってる君に興味があるからさ」
「?」
歩ちゃん、きょとんとしてるぞ。雰囲気でわかる。これ伝わってないやつだ。
どこまで不器用なんだ。この男。はっきり“好きだ”と言ってしまえばいいものを……。
でも彼女は泣き止んで、メロディに沿って歌っている。この子はこの曲を聴くと機嫌がよくなるんだな。なんというか、二人とも癖の強い性格だことで。
「つまり?」
一曲終わって、落ち着いた歩ちゃんが聞く。
「君みたいな変わってる奴が好きってことさ。あとその声もね」
「なんと!」
驚いたように彼女が言う。ふふふ、おじさん聞いちゃったぞ。愛の告白を。問題は、歩ちゃんがそれに気づいているかどうかだ。
しばらくして雨は止み、空には二重の大きな虹がくっきりとかかっていた。
「ごらんソラ、栄光に満ちた架け橋だよ」
ギターケースを置いたまま、俺を片腕で抱っこして虹を指さす彼女。後ろを振り返ると、軽く微笑んでいる藤田君がいた。そしてくるりと虹を背にして振り返る歩ちゃん。
「わたし、これからも歌いますので!」
「どうぞ、ご勝手に」
「わたしは君をファン第一号に認める!」
「……、そこからなんだ……」
少し口をゆがめて困ったような顔をしている藤田君。
はっきり“君が好きだ”と言わないからこうなる。良い教訓だ。俺も美香子に再会したときには、ちゃんとその言葉を伝えたい。
チワワになっても俺はパパだからな。
藤田君のスマホのフォルダには、二人と俺の写真が入っている。珍しく、彼は自然な顔で笑っていた。
そして夜になり、歩ちゃんのマンションの中。
彼女は演奏をやめて、久しぶりに両親に連絡を取っていた。
「……、うん、今までごめん。でも、わたし一緒に夢を追いかける人できたよ。だから大丈夫、心配しないで」
通話の切れる音がする。心の底からスッキリしたのか、今度は俺を撫でたり持ち上げたり、頬をむにゅっとしたりして遊び始めた。
「藤田君! 明日も公園でライブだ。よろしく!」
――ドンッ!
返答は壁ドンだった。
この二人は、こういう関係でいいのかもしれない。これが恋心に発展するまでに時間がかかりそうだが、俺にもやるべきことがある。
それは、あの眼鏡の少年に関わることだ。
俺の思っていることを理解できる能力があるやつは、どんなクソガキでも利用しよう。それが夏樹と美香子に会えるチャンスだ。
明日に備えて、俺はじっくり眠ることにした。
待ってろよ、クソガキ!




