ララとルル
家に帰った幼女の話
「ララ、今日はもう疲れただろう、ゆっくりお休み」
お父さんがわたしの頭をなでている。
まだ少し髪がぬれているからすぐには眠れない。
お風呂に入った後、お部屋のソファーに座って見慣れた家具をながめると、本当に帰ってこれたという気持ちが湧いてきて涙が出て来た。
「お父さん、よかった…またお父さんとお母さんに会えてよかった…!」
わたし、ラライア・リディオンは父親の胸に顔をうずめて泣いた。
「よく頑張ったな」
お父さんの手が髪を優しくなでてくれる。
大好きなお父さんにこうして頭を撫でられるのはすごく久しぶりのような気がした。
わたしは、この…ザミールという街で両親と執事のじいや、それから妹のルルイエの五人で暮らしている。
お父さんはザミールの街を守る軍の隊長をしていて、とっても強くてかっこいい。
わたしはそんなお父さんが大好きで、いつか軍に入ってお父さんの役に立てるようになりたくて、ザミールの学校に通って勉強を頑張ってた。
お母さんはわたしが軍に入りたいっていうと嫌がっていたけど。
わたしは女だから、軍に入ってもお父さんみたいに強い兵士にはなれないかもしれない。
でも勉強して頭がよかったら、きっと役にたてることがある。
だってお父さんはいつも「書類がまたこんなに…」って言いながら書斎で頭を抱えていたもの。
あれだって、わたしが手伝えるようになれば…
それに他にも勉強をする理由はある。
わたしが学校で学んだことを、家でルルイエに教えてあげられる。
ルルイエは生まれつき体があんまり丈夫じゃなくて、学校には通えなかった。
少し走ったりすると、胸が苦しいって言って、倒れたこともあった。
いつも家の中で過ごしていて、わたしだけ丈夫なのが悲しくて、元気をわけてあげたかった。
あの日も、少し散歩するくらいなら平気だろうと思って、家族に内緒でルルイエを連れて家の外に出た。
お庭で遊ぶくらいなら…と思っていたんだけど、ルルイエが門のところに誰かいるというので二人で見に行った。
お父さんの知り合いの人だと思った、たまに家を訪れる兵士の人がいるから。
門まで行くと、知らない男の人がいて誰かたずねようとして…後はよく覚えていない。
名前を聞かれて、答えると…気が付いたら門の外にいた人は、庭の中にいたような。
変なにおいのする布で口をふさがれたと思ったのが最後だった。
次に気が付いたのは、馬車の中だった。
男の人の怒鳴り声や、前に見た…お父さんと兵士の人がしていた剣の稽古のような音、そういうのが馬車の外から聞こえてきて、わたしは目が覚めた。
わたしの隣の座席にはルルイエが寝ていた。
どうしてこんなボロボロの服を妹は着てるの?
そう考えてから自分の服も同じようにボロボロの布の服だと気が付いた。
同じような服を着ているのは私たちだけじゃなかった。
向かいの席にもう一人、フードで顔を隠した子供が座っていた。
何がどうなってるのかわからなくて、馬車の外にでようとしたらフードの子が「今出ていくとたぶん死にますよ」と言った。
女の子の声だった。
死ぬ、と聞かされて外ではきっと戦闘が行われているんだとようやく気が付いた。
わたしは恐ろしくなってルルイエを守るように抱きしめると後はもうずっと目を閉じて震えていた。
外の喧騒が落ち着いてくると、誰かが馬車の戸を開けた。
わたしは誰だか姿を見ていなかった、まだ目を閉じていたから。
「チッ、あの猫人族、奴隷商人だったのかよ」と言う声だけが聞こえて来た。
それからわたしたちの乗った馬車は動き出して、しばらく進むとどこかの森の中にある館についた。
怖そうな男の人たちに馬車から降ろされるまで、わたしもフードの子もずっと無言だった。
わたしはルルイエの体がとにかく心配だった。
こんなに長い間、馬車に乗せたことなんかないのに…
ルルイエはずっと苦しそうにうなされていた。
館の部屋に放り込まれてもまだ、意識がはっきりしていなくてわたしはそれを見て泣きそうだった。
ここがどこなのか、家にかえりたい、わたしは一緒に部屋に連れてこられたフードの子に語りかけた。
「私たちは攫われたんですよ」とフードの子は平然と言った。
さらわれた…なんで、どうして?妹はこんなところにいたら死んじゃう!
わたしの叫びには「そう言われても私は知りませんよ」そんな答えしか返ってこなかった。
泣いていると「おねいちゃん…ここどこ…?」とわたしに抱き寄せられていたルルイエが目を覚ました。、
不安そうな妹になんと答えたらいいかわからなかった。
どうしたらいいの…わたしが黙ってルルイエを連れだしたりなんかしたから…
そればかりが心の中で繰り返されていた。
ルルイエと二人身を寄せ合って、部屋の隅にいると、バン、と乱暴な音を立ててドアが開いた。
ドサッ、という音がして、何か部屋に投げ込まれたとわかった。
それは人の形をしていて…子供で…頭に見慣れないものがついていて…
獣人族、頭についている獣の耳と、腰から生えた尻尾がその子供が人族ではないことの証だった。
「ひっ」とルルイエは小さく悲鳴を上げてわたしにしがみついた。
獣人族はおそろしいもの、そう知っているから。
学校の友達は人族を食べる種族もいるとまで言っていた。
それが本当かどうかわからないけど、少なくともお父さんは、ザミールの近くにいる獣人族の野盗から街を守って戦っていた。
だからおそろしい種族だとはわたしにもわかる。
「ぐ…うう…」と部屋に放り込まれた獣人族の子供はうめき声をあげた。
もしかしたら殴られたりして乱暴されたのかもしれない。
凄く弱っていた。
それでも怖い存在には変わりない。
わたしとルルイエは部屋の隅でただ怯えるしかなかった。
フードの子はどうして平気なんだろう、怖くないのかな。
これまで何も気にした様子がなく、ずっと同じ場所で座って黙っていた。
助けて…お父さん…
わたしはそう思いながらただじっと時がたつのを待った。
そうやって過ごして、何日たっただろう。
粗末な食事に汚い部屋、わたしは疲れ切っていた。
それどころか、体がおかしい、足がすごく痛くてあまり動けない。
ルルイエはもっとひどくて、足どころか右手も同じように痛くて動かせない。
今までこんな病気にはならなかったのに。
獣人族の子も全然動かなくなった。
ここに来てから一言もしゃべらず、ぼーっとしていた。
数日前に寝転がったまま、食事もとらない。
いや、あの子は最初の食事以外ずっと何も食べていない。
最初の食事だってほとんど残していた。
わたしは…あまりにお腹がすいて、残すくらいならいいよねと思って、獣人族の子が寝た後にこっそりそれをとってルルイエとわけて食べたけど…
足が痛くなってから食欲もなくなっていた。
もうここで死ぬんだと思った。
ルル…ごめんなさい、わたしのせいで…わたしは全てを諦めていた。
だけど、わたしは死ななかった、ルルイエも死ななかった。
無事に家に帰ることができた。
今はこうして、大好きなお父さんに抱きしめられている。
「ねえ、あなた…少しいいかしら」
お母さんの声が聞こえて顔を上げた、そばにはルルイエもいて髪をごしごし布で拭いている。
二人ともお風呂から出たんだ、わたしはすぐのぼせるから二人より先にでていた。
「どうしたんだ?」
「その…ルルの様子がおかしいのよ、戻ってきてから…」
「なんだと?まさか胸の病気が悪化したのか」
「いえ、そうじゃなくて逆なのよ、なぜか病気がよくなって…治ってるみたいなのよ」
「なおっ…た…?」
お父さんはわけがわからないという顔でお母さんを見ている。
お母さんも不思議そうな顔をしている。
「おねいちゃーん、おいかけっこしよー!」
ルルイエは楽しそうにソファーのまわりをぐるぐる走り回っている。
以前ならありえない光景だ、お父さんもお母さんも慌ててルルを捕まえようとする。
「る、ルルっ!?そんなに走り回ったら危ないだろう!」
「もうへいきだよー、おじさんがなおしてくれたもんー」
「おじさんっ!?誰のことを言ってるんだ!」
「ちょ、ちょっとララ、何があったのか説明してくれないかしら?」
ルルイエはきゃあきゃあ言いながらお父さんから逃げ回っている。
わたしはお母さんにつめよられている。
「わたしもおじさんに治してもらったの」
わたしはさらわれてから今日までのことを話すことにした。
帰りの馬車では、大泣きしてそれどころじゃなかったから話せてなかった。
ルルイエが騒がしいので、じいやにお茶とお菓子を持ってきてもらい、大人しくなったところで、わたしは家族に、あの少し変わった魔法使いのおじさんのことを話はじめた。
………
「…ララも病気だったのか」
わたしが館で変な病気になったことを話すとお父さんがそう言った。
「うん、足が凄く痛くて、でもおじさんが魔法で治してくれた」
「わたしもー!その時いっしょにむねがくるしいのもなおったの!」
それはわたしも知らなかった、たしかに今思えばあれから馬車の中でも元気だった気がする。
「手足の痛みはたぶん獣人族が使う神経毒の一種だな…いつ盛られたのかわからないが…」
お父さんは何か難しいことを言っていた。
でも、ひょっとして…あの子が毒を使ったなら…
わたしは獣人族の子が残した食事を食べたことを白状した。
「そうか、自決のために持っていたのを自分の食事にいれたんだな、量が少なくてすぐ効かなかったようだが」
「こらっ!人の食べ物を勝手に食べるから!それも獣人族が手をつけたものなんて、何考えているの!」
お母さんにものすごく怒られた。
「いやしかし、解毒の魔法をその…黒髪の魔法使いが使ったとしても、ルルの病気がなぜ治るんだ」
「そうね…あの子の病気はずっと治らなかったのよ、どの神官に見せても無理で、高い薬でなんとか症状を抑えていたのに…」
お父さんとお母さんは二人でぶつぶつ話はじめてしまった。
ルルイエはじいやに、犬と猿とキジがどうとか言っている。
あれは馬車で聞いたモモタロウという話だ。
キジっていう鳥を私は見たことないからよくわからない。
「でね、モモタロウは、えっと…き、キミダンゴ?とにかくお団子でどうぶつをなかまにするの!」
「ほっほ、しかしそのモモタロウは桃から生まれた人とはまた奇怪な話ですなあ」
そうよ、桃からは人は生まれないもの。
それに猿は、わたしが好きな話ではカニにいじわるしてたからあまり好きじゃない。
「ララ、その魔法使いの人はなんて名前なんだい」
紅茶を飲みながらルルイエとじいやの会話に耳を傾けているとお父さんに聞かれた。
「わかんない、一緒に馬車に乗った女の人が、そういうことを聞いたらだめって言ったから」
「一緒に…?ああ、あの場所に来る最中のことか」
「ララたちを連れてきてくれた男たちの中にその人はいたの?」
「お父さんは会ってないよ、おじさんとは途中でわかれたから、でもずっと見てるって言ってた」
「崖の上にいたのかもしれないな…」
おじさんは今頃どうしてるだろう、家に帰れたかな。
「そういえばおじさんもさらわれて来たって言ってたよ」
「攫われて…?ますます意味がわからん、彼らの仲間ではないのか」
「かっこいいからよく女の人にさらわれるんだって、そう言ってた」
わたしがそう言うとお父さんとお母さんは「なにそれ」と言った。
「おもしろいし、すごい魔法でびょうきをなおしてくれたからおじさんは好きーでも顔はお父さんにくらべたらかっこよくないよ」
話を聞いていたのかルルイエがそう言った。
「そんなことない、おじさんはお父さんと同じくらいかっこよかったよ」
「これはこれは、ララお嬢様には随分素敵な人に見えたようですな」
「ら、ララ…お父さんと…そのおじさんと…どっちのほうが好きなんだ」
「そんなのわかんないよ、だってお父さんはお父さん、おじさんはおじさんだし」
「あなた、諦めなさい、ララだって年ごろなのよ」
「ばかな!早すぎる!ララはまだ子供だぞ!」
お父さんが何を言ってるのかよくわからなかった。
はあー、おじさんにはもう会えないのかな。
わたしは大きくなったら、今度はわたしがおじさんをさらおうかな、と少し考えて、紅茶を飲んだ。