水泡
仄暗いバーの店内にはジャズがよく似合う。グラスに入った氷が溶けカラン、と小さく響く。その優しくも切ない音は演奏にちょっとした味を添えた。
カウンターの席には青年が一人。開店してからそれほど時間がたっていないためか今宵の客はまだ彼一人だ。彼のグラスには透明な液体。そしてその淵には塩がぐるりと一周して付着している。
「今日は早いじゃん、まっすぐ来たの?」
カウンター内に立っている店員は砕けた口調で問いかけた。
「まぁね、ちょっと嫌なこと思い出しちゃってさ」
「そっか、まぁゆっくりしていってよ。まだ誰もきてないし。今のうちに僕ちょっとお手洗い行ってくるね」
そういって彼は青年の元から離れた。
「不用心なやつ」
悪態をつきながら青年は小皿に盛られたお通しを一つ口に含んだ。アーモンドは小気味よい音を鳴らしながら砕けてゆく。
彼はグラスを傾け、口の中を湿らせた。
「しょっぱいなぁ……」
いつだっただろうか、前回彼が来た時には隣に恋人がいた。その時には彼も沈んだ顔をせず、初めてのバーということもあっていささか落ち着かない様子で酒の席を楽しんでいた。
仲良く談笑し、程よく酔ったところでこの店を後にしていた。しかしそんな思い出も記憶に積み重なって、深いところで眠っている。
青年の顔に憂いをもたらしているのはそれよりももう少し深い場所にあったのだが、ちょっとした拍子で浮上してしまったのだ。季節は今と同じ暑い夏、今と同じ薄い夜。ベッドで体を重ねていた、そんな思い出。
青年は今でも覚えていた。筋肉質な体をに舌を這わせたときの味を。
「……しょっぱいなぁ」




