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盲目的な恋(著:積戸バツ)

 最初に違和感を覚えたのは、中学の卒業式の日だった。

 花束を抱えて泣いていた男子の顔が、どうしても霞んで見えなかった。ぼやけていて、光の中に沈んでいるようで、声だけがやけにくっきりと聞こえた。

「…あれ、コンタクト忘れたっけ?」

 そんなふうに自分を誤魔化して、その日は帰った。

 でも、視力は正常だった。眼科にも行った。医者は「異常はない」と言った。でも、私は知っていた。あれは見落としじゃない。私の目は、恋をすると見えなくなるのだ。

 

 それが本当のことだと確信したのは、三人目の人だった。

 一人目は、同じクラスの男の子。告白された帰り道、その輪郭が歪んで、口元がどこにあるのかさえ見えなくなった。

 二人目は、大学で知り合ったサークルの先輩。話せば話すほど、輪郭が滲んだ。気づけば、顔どころか、髪の色すらわからなくなっていた。

 三人目は、社会人になってから出会った。

 取引先の営業マン。名前は、田中さん。笑い方が少し下手で、それがとても好きだった。

 気がついたら、もう彼の顔が見えなかった。いや、それどころか、背景も照明も、ぼやけて滲んで、まるで夢の中にいるみたいだった。

 だけど、声だけははっきり聞こえていた。

「大丈夫ですか? 顔、ちょっと赤いですよ」

 大丈夫じゃない、とは言えなかった。だってそれは「好き」がバレることと同義だったから。

 私は、恋をすると、視界を失う病気なのだ。

 

 病名はない。そもそも、病気だと信じてもらえない。医者は笑って「恋は盲目っていうからね」と言った。私も笑った。だけど、たぶん泣いてた。

 

 だから私は、距離をとる。

「仕事が忙しいので」とか、「恋愛は今はいいかな」とか、「もう少し落ち着いたら」みたいに、好きになる前に離れる。ぼやける前に終わらせる。恋の直前で、いつも引き返す。

 でも、それでもどうしても、避けられない人がいた。

 

 彼の声は、初めて聞いた瞬間から、少しだけ懐かしかった。生まれる前から知っていたような、昔見た夢の中で出会ったような。

 名前も知らないまま、同じ電車で三日連続で見かけた。音楽プレイヤーの音漏れ、スーツの袖口のほつれ、朝の眠そうなまばたき。

 恋の予感がした。やばい、と思った。

 四日目は、電車を一本遅らせた。でも、また会った。改札前で。私は咄嗟にそっぽを向いた。

「……あの、落としましたよ」

 彼が声をかけてきた。ハンカチだった。私の。焦って受け取ったけど、その瞬間、ぐらりと景色が揺れた。

 彼の顔が、滲んでいた。

 視界の奥で、光がじわじわと広がっていく。まるで強い逆光を受けた写真みたいに、彼の輪郭が白く飛ぶ。

「……ありがとう、ございます」

 それだけ言って、私は駅のトイレに逃げ込んだ。

 

 その後も、何度も偶然は重なった。街中、雨の日、コンビニ、エレベーター。全部、偶然。なのに、必然のように重なった。

 そしてとうとう、彼が言った。

「もしよかったら、連絡先、交換しませんか」

 

 携帯を差し出されたその瞬間、私は、完全に、何も見えなくなった。

 色も形も、光すら、感じられなくなった。

 真っ暗だった。世界が、幕を閉じたようだった。

 でも、彼の声だけは聞こえていた。あの懐かしい、やわらかな、夢のような声。

 

 私は、深く息を吸った。

 そして言った。

「……ごめんなさい。私、あなたの顔が見れないの。だから、もうこれ以上は」

 

 沈黙。彼はしばらく黙っていた。

 そのあと、小さく笑った。

「……じゃあ、顔が見えなくても、会いに来てもいい?」

 

 不意に、涙がこぼれた。

 私は何も見えなかった。でも、その声が笑っているのが、はっきりわかった。

 そして、私も、笑った。

 たぶん、この先も、何も見えないままなのかもしれない。


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