2020年7月29日、あるいは前日譚
「付喪神は流石に聞いたことあるよね?」
教授は僕に授業の時みたいな厳格さは抜きにして尋ねる。
「ええ、まあ」
「百年使われた道具に精霊が宿る……まあ、要は『物を大切にしようね』って教訓に使われる妖怪だよ。さて、この付喪神なんだけど、原典となる『付喪神絵巻』に、『百年使われた道具』とされているんだ。室町時代の絵巻物に」
「……で、なんです?」
「では、付喪神絵巻に書かれるに至った付喪神たちは、そこからさらに百年前に、元となる道具があったことになる」
室町時代から、百年前。
1200年とかそこらかな?
大体鎌倉時代だ
「そう、鎌倉時代。さて、ここからが面白いんだけど」
教授はiPadを立ち上げ、画像を写す。
よくある日本画、絵巻物の一部だ。
と言っても、色が使われているわけではない。墨の黒一色で落書きみたいに書かれているが、内容はわかる。
建物の中に、男や女が慌てた様子で描かれている。
建物から逃げる男女。その中央では……人が一人、踊るようなポーズで立っていた。
ただし、その人影の首から上は、建物の天井に隠れる形で見えていない。
「これは1210年のものとされてる絵巻物でね。栃木県の◯市の寺から見つかったんだ。僕は歴史にはからっきしだけど、これと付喪神絵巻は繋がっている気がするんだ」
話がよく見えない。
付喪神は百年ものの道具。
百年前にこの絵が描かれた。
言いたいことはわかるが、繋がらない。
「君は、この人影は何者だと思う?」
「何者って言われても……」絵を見返す。やはり、屋根に隠れて見えない。体も棒人間みたいな物だから、男か女かもわからない。逃げ惑う人、荒れ果てた屋根……ん?
「この屋根……壊れてる? いや、剥げてるのか?」
「気付いたかな」教授は、画像をスワイプする。先ほどまでは拡大しすぎていて画面の範囲外となった、絵の外が映る。
筆で書かれた、漢字四文字。
【瓦鬼之図】
「かわら……おに」
「そう、『カシラさま』『ガワリさま』なんて呼ばれているのは、親から子に伝わるうちに変わっていったからんだ。本来は、『カワラオニ』」
「でも、『さま』なんて呼ばれているから神様なのかと思ったら、鬼なんですね」
「おそらくは、悪さをするカワラオニを鎮めるため、神様に仕立て上げてご機嫌をとったんだろう。よくある話だよ。話を戻すと、カワラオニは瓦の姿をしていたと見るべきだ。この絵には『首から下』しか描かれていないが……」
「首から上は、瓦だった?それはまるで、付喪神のように?」
教授は満足そうに頷く。
「で、君……バイトしない?」
「はい?」
「僕はこれから、その絵巻物が見つかったとされる寺に行ってくる。話を聞きにね。その間、君は『カワラオニ』とされる物を見たって人たちに話を聞いてほしいんだ」
えーっ、と言いかけたし、僕の手は今にも断るために左右に振られかけた、が。
「十万出すよ。交通費宿泊費別で」
※
『やることをやらないと鬼が来る。ガワリさまが来る』
今市市の老婦人から聞いたボイスメモを、聞き返す。
神奈川県〇〇大学の2号棟、美術棟のエントランスをくぐり、エレベーターを呼び出す。
「やることを、やらないと……ガワリさまが」
あの老婦人は、こうも言っていた。
その鬼は、悪意に満ちている。
無意識のうちに、ごくりと唾を飲み下していた。
降りてきたエレベーターに乗り込み、行き先階のボタンを押した。上昇が始まる。
教授は、もう戻ってきているだろうか。
給料は振り込まれていたが、終わった後に手渡し、あるいは始まる前に手渡しだと思っていたのに、わざわざ教授がその寺に行っている最中に送金されてきた。不自然……か?
気まぐれでそうしたと見る方が自然だ、と納得する
一応、と取材データをコピーしたUSBメモリを片手に、教授の研究室のドアを叩く。
「すいません、電気電子の東郷です」
返事はない。
ドアは磨りガラスだが、部屋の電気がついてないのか、暗くて様子は見えない。
だけど……あれ。
人影がある。
「すいませーん、東郷ですー」
返事はない。のに、人影は立っている。
酒を飲んだかのように、ふらふらと揺れている。
教授じゃないのかも、と思い、ならば怪しい人なのかも、とさらに思う。
確かめるべきか。
僕はドアノブに手をかける。
鍵は、開いていた。
「教授……?」
そこにいたのは、教授だった。
そこにいたのは、教授ではなかった。
教授であり、教授でないものがそこにいた。
首から下が、教授の服装の。
首から上が、花瓶の男が。
天井から垂らされたロープで、首を括って揺れていた。
首を吊ることで傾いた花瓶は、その口からポタポタと水をこぼし、足元に水溜りを作っていた。
どうして?意味がわからない。
何が一番意味不明かって、これはカワラオニだ。
カワラオニは「やるべきだけどやれなかったことを、代わりにやる鬼」だ。
教授の「やれなかったこと」は……首を吊ることになる。
そんなの、意味がわからない。
僕は、扉を閉めた。
スマホを取り出し、銀行アプリを開き、Suicaに二万円をチャージする。
逃げるためでも、立ち向かうつもりもない。
でも、知りたかった。
教授の身に何が起きたのか。
僕は、向かうことにした。
栃木県、◯市、友禅寺――教授の向かった寺へ。
【解決編へ、続く】