92:何が起きたのか
「アリー様!」「ランス様!」
医務室で二人になれたと分かった瞬間。
ランスに抱きついていた。
額に包帯を巻き、上体を起こしたランスは、隊服の上衣を脱ぎ、白いシャツ姿だった。
ぎゅっと抱きつくと、その体が感じられ、ランスが無事だと実感できる。
「ランス様、ご無事で何よりです。心配していました」
「まったく。油断をしてしまいました」
「もう、お屋敷に帰っても、大丈夫なのですか?」
「ええ。医師も麻痺は一時的なもので、薬物の効果が切れれば、問題はないだろうと言われました。さすが宮殿の医師です。医療知識は王立ローゼル聖騎士団の医師たちと遜色なく、優秀です」
いったいランスの身に何が起きたのか。
気になるが、それはロキやアンリも……そう言えばアンリは医務室に私達を案内すると、どこかへ行ってしまったわね。ともかく。少なくともロキも知りたいはずだから、詳しい話は馬車の中で聞くべきね。
そこで気が付く。
ランスの体の輝きが、いつもより弱いことに。
彼は無事だったが、生命力が弱まっているのだと分かり、胸が痛む。
同時に。
じわっと涙があふれてしまう。
「アリー様……?」
「ランス様がいつもみたいにキラキラしていないので……」
ポロッとこぼれる涙を見て、ランスが「大丈夫ですよ、アリー様」と言うと、その顔が近づくのでビックリしてしまう。
ふわりとランスの唇が頬に触れ、こぼれ落ちた涙が消えていく。
その瞬間。
ランスから強い光が放たれる。
「ラ、ランス様、無理をされていませんか!?」
「そんなことはありませんよ。アリー様をそばにして、自分が無反応でいられるわけがないですから。何より、わざわざ宮殿まで来ていただき、ありがとうございます。まだ自分とも婚約していないから、中に入るのは煩雑だったでしょう? 修道服まで着て、薬品もこんなに……」
そこでランスの深みのある水色の瞳が、甘く輝く。
「早くアリー様と婚約したいです……」
そう言って私の手をとったランスが、甲へと口づけをしたところで、ロキが戻って来た。
◇
医務室の医師は念のため、このまま一泊しては?とランスにすすめたが、彼は屋敷に医師を待機させるから問題ないと告げ、診断書を受け取ると、あっさり退院してしまった。
本当に大丈夫なのかと不安になると、ロキは「エルンスト伯爵家は、本邸に専属医を住まわせている。腕は一流。この医師を待機させるつもりだろう、別邸に。診断書に症状や怪我の詳細も書かれているから、問題ないはずだ」と言ってくれたので、三人で馬車に乗り込むことになった。
「それでランス、これまで一度だって医務室の世話になったことがないお前が。まんまとやられるとはな。無敗のランスは、一体どうやって沈まされた?」
ロキにそう指摘されたランスは、深くため息をつく。
「ああ。自分としたことが……。油断したよ」
するとロキはぷっと吹き出し、笑いだす。
「本当にお前はとことん真面目だな! 王立図書館の禁書の閲覧エリアだ。そこで襲撃されるなんて、まずあり得ない。ランス、お前は悪くはない。むしろ、命があっただけすごいと思うぞ」
一体何があったのか。
それがついに明らかになった。
禁書の閲覧エリアのテーブルに並べられた六冊の本。
ランスがまず閲覧したのは、ダモクレス伯爵の『魔こそこの世の美徳なり』だ。この本を閲覧することで、ネックレスに関する興味深い情報を得た。
同時に。
シャドウマンサー<魔を招く者>に関する書物を開こうとした時。
左手の指にチクリと痛みを感じ、その書物に針が仕込まれていたことに気づいた。咄嗟に毒針だと気づいたランスは紙を使い、針が刺さった部分に切り傷をつけ、毒を出すようにしたのだ。
武器の持ち込みは禁じられていたので、短剣すら手元になかった。咄嗟の判断だったが、毒を出すこと。それが功を成した。もしこの行動がなかったら、今よりずっと重い症状が出ていただろうと医師は言ったという。
そして針に仕込まれていたのは、植物による毒であり、全身に痺れをもたらす。害獣駆除の際にも使われる毒で、矢じりに塗られるものだ。
この毒であると特定できたことも、ランスが軽症で済むことにつながった。
ではどうして特定できたのか?
ランスは子供の頃、この毒を自ら体験していたのだ。
それは害獣駆除の準備をして、矢じりに毒を塗っている際、うっかり自身の指を傷つけてしまったのだ。革の手袋を、安全のためにつけていたが、その革を切り裂いて毒が体に回ることになった。その時の痺れの感覚を覚えていたランスは、針に仕込まれていたのが、なんの毒であるかを確信した。
禁書の閲覧時、羽ペンなどのインク類や羊皮紙の持ち込みは、禁止されている。
そこでテーブルに指から出た血を使い、メッセージを残した。
このことで現場に駆け付けた騎士は、本に毒針が仕込まれていたこと、なんの毒が仕込まれていたか、すぐに知ることができた。それは運ばれた医務室の医師に伝えられ、毒を中和するための薬が、ランスには投与されることになった。
毒はその時点で、ランスの体を全く巡らなかったわけではない。禁書の閲覧エリアを出て、助けを求めることまでは、できなかった。何より動き回れば、血液を通じて毒の周りは早くなる。
動き回らず、その場でできる最善を尽くした後。
毒が回り、体が痺れたランスは、意識を失うことになる。
意識を失うであろうことは想定内。
極力、倒れた時のショックを和らげようと、ランスは考えた。そこで血文字によるメッセージを書き終えると、膝をついた。本当はそれで横になるつもりだったが、意識がそうする前に飛んでしまった。
その結果、額を床に打ち付けることになり、怪我をすることになった。だが、膝をついていたことで、普通に立っていた時より、軽い怪我で済んでいた。






















































