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魔王との会談は驚くべき速さで取りまとめられ、国賓同士の厳かな会合を前に、浩二は主席料理人としてその重責を担う事となった。
老齢を押して晩餐の席に姿を現した魔王はスプーンを手に取って口に運ぶのも精一杯といった様相で、死期が近いという噂を裏付けるに十分なほどであった。
この晩餐会の見かけの上でのもう一方の主役は、向かいに座る聖王国の王と王妃であったが、彼らが呪い返しにより浩二の支配下にある事はすでに魔王へは伝えてある。
料理長として脇に控える浩二こそが本来の主役であることは居並ぶ皆にとっての共通の事実であったが、ともかく茶番として向かいに座る国王夫妻を奉りつつ、厳かに食事は進められた。
「料理長よ。これは何か?」老いたるも衰えぬ鋭い眼光をもってして、魔王が一皿を前に言葉を発す。
浩二は一歩前に進み出て、脇に控えた侍従長へと伝言をする。
メインディッシュとなるのは地球における洋の東西を結集させた極上のビーフカレー。
まずベースとなるドミグラスソースは1週間の時間をかけて丹念に作られる。子牛の骨を焼きダシにとるフォン・ド・ヴォー。鶏ガラを同じく焼いてダシにするフォン・ド・ボライユ。この二つを合わせてベースとし、白い小麦を牛脂と合わせてじっくりと炒めるブラウンルゥを加える。そして1週間の間毎日、焼いた牛筋と鶏ガラと炒めた香味野菜を追加投入しては何時間も煮詰めて濾すを繰り返す。
一週間の最後にトマトや赤ワインを用いて味を調え、メインとなる肉や野菜と合わせて味を調える。
こうして出来上がった濃厚なソースこそが本物のドミグラスソースである。
だがこれはあくまで仕込みの過程で生まれる部品にしか過ぎないのだ。
浩二の作るのはあくまでカレー。
浩二が10年以上の歳月をかけて異世界で配合を繰り返した秘伝のカレー粉を用いて、この素晴らしい素材を一挙に極上の欧風カレーへと昇華させる。
もともとインドにカレーという名の料理はない。インド各地でそれぞれにスパイスをふんだんに使った料理が日常的に親しまれていたのを、大英帝国が植民地支配を進める過程でこれに目をつけ、一部の配合を取り上げて東方の味として本国で売り出し始めた際に初めてカレーという俗称がつけられた。
これが明治維新以降の日本に海軍などを通じて伝播してきた辺りはよく知られた事実ではあるが、ここで日本伝統の米食と結びついて独自のカレーライスへと昇華していく様はある意味芸術的とすら言えよう。
100年以上前のフランス料理におけるうま味の真髄、ドミグラスソースを敢えてカレーなどといった大衆料理に組み合わせようという鬼子的発想は、明治維新以降一世を風靡した日本の洋食屋が生み出した究極の無国籍料理の一つといっても過言ではないのではないか?
インドのスパイス文化。フランス・イタリアを始めとするヨーロッパの食文化。無節操な日本の魔改造文化。
それぞれの歴史が複雑に絡み合って生み出された日本のカレーの極致とも言える自慢の一皿に、浩二は自信をもって一皿の内容を十全に説明し、侍従長はいささか困った様子を見せつつもこれを魔王へと伝言した。
「うむ。」と頷き、それからスプーンでひと掬いした魔王はこれを口に運び、たっぷりと時間をかけて味わうと、満足げに小さく呟いた。「素晴らしい味わいだ。」
関心する魔王の横顔に大きな充足を覚える浩二だったが、続く魔王の独白が浩二の心胆を寒からしめる結果となる。
「かように素晴らしい食べ物を生み出す地球というところはさぞかし素晴らしい世界なのであろうな。
翻ってみて我が世界はどうか。
どこまでも続く地平には地球を模した出来損ないのような滑稽な動植物が配され、いつまで続くとも分からぬ不毛な争いを強いられる。
この地で生まれるものは全て地球のまがい物で、誰もが地球の全てに劣り、いつまでたっても世界は栄えぬままに、いつまでも地球とやらの後塵を拝す。
我らは一体何なのだろうな?
なぜこの地に産み落とされ、何を望まれ、何故こうして生きてゆかねばならぬのだろうな?
我は神を呪う。
この地に生を受けた自らを呪う。
何故我はこんなところで生きているのだろうな。
どうしてここは地球ではないのだろうな。
いったい我とはなんであろうな。」
魔王の言葉は見かけ上は向かいに座る国王夫妻へと向けられたから、本来であれば聖王国としてなにがしかの返答を求められるところである。
だがこの期に及んで国王夫妻はただの道化である。彼らには何か気の利いた事を思いつくだけの知恵すらもない。
そこで慌てた様子の成美が夫妻のそばに駆け寄って、彼らの耳元で何事かを囁いた。
成美にはこの席の国王夫妻側のオブザーバーとして、侍女の格好で控えてもらっていたのである。
なお佳奈はこの場にはいない。やはり精神状態が安定しない彼女には今回は参加を見送ってもらっている。佳奈本人は嫌がっていたが、万一のトラブルを考えるとむしろ浩二としては安心材料の一つだった。
「全ては神の御心の知るところでありましょうな。」
取ってつけたような台詞を口にする聖王国の国王。急場しのぎの返しとしては当たり障りのないうまい返しといえなくもない。
ホッと胸を撫でおろしかけた浩二はだが次の瞬間に見てしまった。
眉をひそめ、嫌悪感をあらわにする魔王の横顔を。
それはほんの一瞬の表情の変化であり、すぐさま先ほどまでの表情に戻った魔王は、丹念に時間をかけてスプーンを口に運び、最後にはちぎったパンで掬い取るようにして浩二渾身の一皿を間食した。
だがこの間、浩二の心に焦燥感が吹き荒れた。
このままではまずい!
なにがまずい? 浩二ははっきりと言葉に出来ない。
だがしかし、どうにもこれでは大変よくない事になると、そう浩二の直感が警告を鳴らしている。
この会談は失敗する!
浩二は自分でも気づかぬうちにその場にひれ伏して、魔王を前に声を上げていた。
「魔王陛下よ! どうか直答をする無礼をお許しいただきたい!」
突然の蛮行に騒めき立つ場内。脇に控えていた魔王軍最高幹部、サキュバスのリリムがすぐさま駆け寄ってきて、浩二をその場で取り押さえようとする寸前で魔王の一言があった。
「よい。意見があるなら申せ。」
「感謝する!」それから浩二は顔を上げ、魔王に向かって直訴する。「魔王陛下よ! どうかこのオレに今一度の晩餐の席を供する機会をいただきたい! 必ずやあなたを満足させる一皿を用意すると約束する! だからもう一度だけこのオレにあなたのための食事を作らせてくれ!」
「何を世迷言を! イタミ卿!」リリム将軍が浩二の腕を手に取り、強く握りしめる。歴戦の勇士たるリリムの力は只人である浩二には抗いがたく、その痛みに脂汗を滲ませながらも、顔だけは意地でもまっすぐに魔王へと向け続ける。
交差する魔王と浩二の視線。
数瞬の間を空けて先に目を伏せたのは魔王の方であった。
そのまま魔王は「離してやれ。」とリリム将軍に命を下す。
逡巡しながらもリリムは力を緩め、自由を手にした浩二は改めてその場に首を垂れた。
そんな浩二に向かって魔王からの声がかかる。
「いいだろう、料理人。そなたが作ったこの見事なカレーなる料理に免じて、一度だけ機会をくれてやろう。
だが一度だけだ。一度の機会で相応の結果がないようであれば、そなたの命はないものと思え。」
魔王の放った凍てつくような鋭い一言を前に、跪いたままの浩二は「心得た!」と力強く返事をした。




