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守ってあげるから

 

 ――そうか、僕、ひーちゃんに助けられたのか。


 何でもない、ただ状況を理解するための一言が、じわっとと頭に浸透していく。


 ゆっくりと体を起す。地面に打ち付けた名残か、背中が痛い。

 心臓が痛いくらいに跳ねまわっているのは、ついさっきその拍動を無理矢理止められそうになった反動かもしれない。

 

 それを阻止してくれたのは、僕に背を向けたまま立ちすくむひーちゃんだ。

 

「ひーちゃん、ありがとう。間一髪だったよ」

 

 人生で一番と言ってもいい危機から脱して、僕もすっかり安心しきっているらしい。

 胸にたまった空気と一緒に、体から力が抜けていく。

 

「やっぱりもーちゃんは、ウロちゃんの方がぴったりみたい」

「まさか鉄パイプより銅の剣の方が攻撃力低いとは思わなかったよ……」

 

 そう、あれだけ危機的な状況にあったのに、僕はもう、ひーちゃんの小さい背中を見て安心しきっている。


 そのことを自覚した途端、別の感情が、胸の奥から湧きおこって腹の底に落ちていくのが分かった。



 ――ああ僕、ひーちゃんに、助けられたのかぁ。



 なんでもない一言が、何でもないはずの一言が、何か嫌なモノと絡まって、ぐるぐる、ぐるぐると、頭の中を回っている。

 この嫌なモノの出所は、どこだろう。


「……あー」


 自信満々に敵に向かって行って。


 あっさりと返り討ちにあって。


 浮かれていた頭に冷や水を浴びせられて。


 死にそうになって。


 幼馴染の女の子に助けてもらって。

 

 一安心。



 ――なんて、ダサい男なんだ。僕は。



「ひーちゃん、なんか、僕……」


 

 

 咄嗟に喉を通った僕の声はやけに小さく震えていた。

 言い直そうと口をつぐんだものの、ひーちゃんには僕の情けない声が届いていたようで、「どーしたの、もーちゃん?」とこちらを振り向いた。

 目じりが垂れ下がった大きな目が、こちらを伺うように、あるいは気遣うように覗きこんでくる。

 

 曇り一つない澄んだ目に見つめられ、頭の中が真っ白になる。


 ――あれ、なにを言おうとしてたんだっけ?

 

「……ごめん、やっぱ何でもない」


 

 少し考えたが思い当たらず、結局誤魔化してしまった。

 

 僕の口から出てこようとした言葉はなんだったのだろうか。

 表現したい気持ちは確かにあったはずなのだが、それすらも思い出せない。

 

 謝罪か、釈明か。

 僕はそんなに情けない男じゃない。こんなの本気じゃなかった、とでも言うつもりだったのだろうか。

 

 あるいは、この名前がつかない感情をただたださらけ出したかっただけかもしれない。

 全部受け止めてもらって、「私は気にしていないから、もーちゃんも気にしなくていいよ」って言って欲しかったのかもしれない。


 そうやって、悶々とする僕を見て、そんな情けない僕を見て、ひーちゃんは何を思ったのだろうか。


「ごめんね、もーちゃん……」

「え……?」


 突然の謝罪に、理由も分からず首をひねる。

 ひーちゃんの発言に脈絡がないのはいつものことだが、今回はタイミングがタイミングなだけに、うまく反応ができなかった。


「ここが危ない場所だって分かっていたのに、もーちゃんにばっかり戦わせちゃって」


 そこまで言われて、ようやくひーちゃんの言いたいことが分かった。

 ようするに、僕が招いた僕自身の危機に、ひーちゃんが責任を感じているらしい。

 

「……いや、謝るようなことじゃないよ。危ない目に合うのもいつものことだし」

 

 そう、こんなこと、別に今回に限った話ではない。

 

 ひーちゃんはずっと昔から、困ったことがあったら何かと僕を頼ってきた。

 おじさん――ひーちゃんのお父さんのことだ――が弁当を忘れたから届けたいとか。

 男の子に意地悪されたとか。

 余所の子猫がカラスに襲われてるとか。

 家出するから付いてきてくれとか。

 

 

 これくらいで済めば可愛いものだが、中学二年の春先に、川に流された子犬を助けてあげてと泣きつかれた時辺りからトラブルの難度が急激に跳ねあがった。

 その時も、無事子犬の救出はできたものの、疲労と三月の川の冷たさがたたって肺炎になった。

 病床の中で、とある少女に船べりから海に突き落とされる夢を何度も見たことは、今でもはっきり覚えている。

 

 クラスの女の子といざこざがあった――ときは別のやつにひーちゃんを助けてくれって頼まれたんだんだっけ。

 あれは僕にとってもトラウマで、心的な理由で寝込みそうになることが何度もあった。

 集団で楽しそうにしている女の子を見かけると脂汗が止まらなくなるのは当時の影響だろう。

 

 ひーちゃんにしつこく付きまとっていたストーカーを撃退したのは確か一年くらい前の話だ。

 

 最終的にそのストーカーは逮捕された。というか、僕らの知らないところでいつのまにか逮捕されていた。

 一度ストーカーを撃退し、その後ぱったりと嫌がらせが終息したため不気味に思っていたのだが、まさか塀の中にいたとは思いもしなかった。

 なんでも、刃物を隠し持ってうちの近所を徘徊していたところをたまたま職質されたのだとか。

 ストーカー曰く、ひーちゃんに付きまとうストーカーを撃退しようとしていたと言うのだから笑えない。

 

 これまで充分僕を危険に巻き込んどいて、今になって「ごめんね」だなんて、ほんと今更だ。

 ――そう、今更過ぎる。

 

 生傷が絶えない、と言えば流石に大げさだが、このまま死ぬんじゃないかと思ったことは一度や二度ではない。

 毎度毎度、なんでこんなことしてるんだろうとばかり考えていた。


 そしてそれは今回のダンジョン攻略とて例外ではない。

 

 もちろん僕だって、嫌々ひーちゃんに付き合っていた、だなんて薄情なことを言うつもりはない。

 ただ、心か体、少なくともどちらか一方をボロボロにして、得られるものがひーちゃんの笑顔くらいしかないってんだから、僕もお人よしを自称するくらいは許されるはずだ。

 

 ともかく、どこか抜けているひーちゃんをフォローするのは、僕の役割の一つであり、今更改めて謝罪されるようなことでもないのだ。

 

 ひーちゃんも、僕がナイト役を気取っていることを、当然とは言わないまでも、ある程度はそういうものだと認識しているに違いない。

 むしろ、端っから戦力として数えている節さえある。

 いちいち罪悪感に苛まれる段階なんて、それこそ十年以上前に終わっているはずだ。

 

 ――にもかかわらず、ひーちゃんが申し訳なさそうに、今にも泣きそうにしているのはなんでだろう。

 

「ううん、違うの。そうじゃないの。本当はね、ひのでが戦わなきゃいけないのです」

「……戦わなきゃいけない?」


 そんなことはない。

 僕がこれまで通り前に出て戦えば、ひーちゃんが剣を振る必要は――。


 ――そこまで考えて、ふと自分の思考と現実との矛盾に気がつく。


「うん。最初はね、いつもみたいにもーちゃんが『後ろに隠れてて』って言ってくれて、うれしかったんだぁ。あぁ、やっぱりもーちゃんは頼もしいなーって。だから、このままもーちゃんに甘えちゃお―っ、て思ったの」


 『ひーちゃんを守るのは、僕の役目』?

 

 なに勘違いしてんだ、違うだろ。


「でもね、さっきもーちゃんが危ない目にあって気がついたのです。『もーちゃんが死にそうになったのはひのでが怠けたからだ』って。……だから、ごめんね。ひのでが最初から戦っていたら、こんなことにはならなかったのです。でも、もう大丈夫だよ?」



 ――守って貰ったのは、僕だ。

「これからは、私がもーちゃんを守ってあげるから」



 あれ、なんだこれ。

 

 なんだこの気分は。


「いやいやいや、ひーちゃんが僕を守るって……。そりゃ確かに今回は危なかったかもしれないけど、あれは僕も少し油断してたって言うか。もうあんなヘマをするつもりもないし、ひーちゃんは安心して今まで通り僕の後ろに――」


 脊髄反射的に口から出た言葉は、言い訳に似た何かだった。

 しかしひーちゃんはその『言い訳に似た何か』を――


「――ううん、ひのではもう大丈夫なのです。ありがとうね、もーちゃん」


 ――バッサリと切り捨てた。

 

 いつもより少しだけ優しげなひーちゃんは、少し大人びていて。


 それがまるで、僕なんかに頼る必要なんかない、と、そう言っているように見えたのは、僕の考え過ぎだろうか。


「いや、でも……」


 必死に『僕が前に出て戦う理由』を探すが、どうしても思い浮かばない。


 何故そんなことの為に頭を捻っているのかは分からない。

 一方で、ひーちゃんの言う通りにすべきだということを、僕はきちんと理解していた。


 そう、ひーちゃんの言う通り、僕はひーちゃんの後ろに引っ込んでいるべきなのだ。

 

 何故かはわからないが、このダンジョンに入ってからのひーちゃんの身体能力は驚異的だ。

 持っている武器も強力だし、ひーちゃんが本気を出せば僕が戦うよりも高効率に違いない。

 

 合理的に考えれば、ひーちゃんをメインにおいて、僕は後方でフォーローに徹するべきだ。

 ――それが理解できるからこそ、ひーちゃんの案を否定する言葉が思い浮かばない。

 

 じゃあなんで――

 それが分かっているのに、なんで僕はこんなにも、ひーちゃんに戦わせることを否定したがっているのだろうか。


 ――いや、今はそんなこと考えるべきでない。

 とりあえず何か言わないと……何か――


「ひーちゃん、もう少し……」

「あ、もーちゃん見てみて!! 宝箱!!」


 僕の発言にかぶせるように言うなり、パタパタと駆けて行くひーちゃん。

 今日も今日とて、マイペースなひーちゃんである――と流すには随分無理があるタイミングだ。

 

 ――いや、それとも、ひーちゃんなりにこの変な空気をどうにかしようと気を遣っているのかもしれない。

 

「……はぁ」


 胸に溜まった嫌な空気をため息と共に吐き出し、落としたままになっていた銅の剣を拾ってひーちゃんの後を追う。

 

 うん、今はひーちゃんの気遣いに免じて、どっちが戦うとかは置いておこう。

 後で、次の敵が現れたときにでも考えればいい。

 もうしばらく僕が前で戦って、安定しているところを見せれば、ひーちゃんもあんなことを言いださなくなるだろう。


 ひーちゃんのと僕の、二つのリュックを背負う小さな背中を見ながら、そんなことを考える。 


 ――そう言えば、不思議リュックを預けたままだったっけ。早いところ受け取らないと。


 そのままぼんやりひーちゃんの背中を目で追っていたが、宝箱の前でしゃがんだ拍子に、殆どリュックに隠れて見えなくなってしまった。


「宝箱、オープン!!」

「だからなんなのそのテンション……」


 恒例の掛け声とともに、宝箱のふたをひーちゃんが持ち上げる。

 少し後ろからその様子を眺めていると――

 

 ――急に激しい光が辺りを包み込んだ。


 

 目がくらんで何も見えなくなる。


「わっ!!」

「ひーちゃん!!」


 思わずひーちゃんを呼ぶが、返事はない。


 ――何が起きたのだろう?

 目をつぶっていることも手伝って未だ状況は判然としないが、光が収まるまでにそう時間はかからなかった。

 

 恐る恐る目を開けてみる。そこには――

 

「あれ……ひーちゃん?…………ひーちゃん!!」


 ――何もなかった。


 しゃがみ込んだひーちゃんの背中も、二つのリュックサックも、宝箱も、何もなかった。


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