9――乙女の初めてのお値段は?
横着がたたり、休息は長続きしなかった。
首回りの異物が邪魔すぎる。
首輪ぐらい外してから休むべきだった……。
焦燥感を連想させる硬質な感触に、やがて俺は我慢の限界を迎えた。ため息を吐き、上体を起こして目蓋を開く。
見知らぬ女性と目が合った。
「――――え?」
スーツ姿の如何にもOL風な女性が、土足で室内に上がり込む。彼女は真っ直ぐベッド脇にまで歩み寄ると、無造作に腕を伸ばして俺の首を絞めた。
「――ッ!? な、ぃ!?」
パニック。
思考が空転して、正常なリアクションが思いつかない。
「ぁ、が……!」
ベッドに押し倒された俺の視界が、女性の無機質な笑顔で埋まる。
首輪を避けて素肌に絡む指が徐々に力を増していき、ついにポキンという快音を発して折れ曲がった。
「!?」
指が数本まとめて折れたのに、驚いたのは俺ばかり。当人は顔色一つ変えちゃいない。それどころか、骨折を無視して絞首の力を強めていく。
その異様な態度が、逆に俺の頭を冷やしてくれた。
首から伝わるゴム特有の擦過感と、中に通った鉄芯の堅さ。どちらも、カクリヨで遭遇した妖怪変化と違って十二分に理解の範疇だ。
「て……めぇっ、ギアドールか!!」
幽霊の正体見たり枯れ尾花。
襲撃者の正体は、ギアドール――いわゆる機械人形だ。
コストと安全性から、AIの器として注目を集めてる。
特徴は造りが雑で脆いこと。機械部品を最小限に抑え、パワーも小学生並……って謳い文句はどうした!?
俺の首を絞める力は成人男性もかくや。ギアドールが自壊するくらいだ。
このままじゃ本当に絞め殺されちまう!
「こ、の……ッ!」
抵抗を試みるが、仕様以上の馬力を発揮したギアドールは振り払えない!
……本格的にマズイぞ。
打倒しようにも、相手は指が折れたのに首を続行する無機物だ。素手の攻撃は有効打となり難い。
せめて手の届く範囲に武器があれば……。
『――つまり』
不意に、世界の果てから〝彼女〟のふてぶてしい声が届いた。
『あたしの出番ね』
【IAI/MEI・LINK継続中・強制起動――内臓装備/高周波ブレード】
視界の端に転がる携帯電話から、ジャキッと音を立てて機械仕掛けの刃が飛び出す。最新式にしては分厚いと思ったら、こんな凶器が仕込んであったのか。
『さぁ、あとはイツキ次第よ?』
言われるまでもない!!
携帯電話を手繰り寄せて、ギアドールの肘関節に斬撃を叩き込む。カクリヨで使った小太刀に負けず劣らぬ切れ味は、絡繰りの両腕を易々と切断した。
人間相手ならこの時点で決着だが、やはりそこは無機物か。支えを失ったギアドールはベッドに倒れ込む勢いを利用して、短い腕を突き出してくる。
断面部から覗く骨組みの機械部品。
おそらく素手より殺傷力に優れたそれを、俺は横転で回避した。そのままベッドから転がり落ちて、咳き込みながらも後退の素振りを見せる。
すると、ギアドールが逃がすまいと踏み込んできた。
――不用意な。
これが俺のホーム戦ってことも理解できないのか?
ほくそ笑み、俺は足元に転がるサッカーボールを爪先で浮かせた。
ギアドールの接近を待たず、アウトステップで蹴り抜く。
『おぉ、ナイスシュート』
狙い違わず、ボールがギアドールの顔面に命中した。
無論、それで終わる気はない。
俺はギャラリーの歓声を耳に、踏み込んだ。よろめくギアドールに肉薄して、再び携帯電話の刃で斬り払う。
銀光一閃。
首が半ばまで裂けると、さしものギアドールも動かなくなった。
今度こそ決着だ。
一息吐いて、手元に視線を落とす。
刃が自動で格納されるのを待って、携帯電話の画面を開いた。
『三十分ぶりね、イツキ。多趣味と豪語するだけあって、中々やるじゃない』
画面上では、漫画チックにデフォルメされた親指姫サイズのメイが、ひょこひょこと小さな腕を振っていた。
……何だ、これ?
緊張感という単語から遠く離れた謎の映像に、俺は困惑を禁じえない。
「ええと、メイ……だよな? 何でお前、二次元の住人になってんの?」
『可愛いでしょ。メモリ節約も兼ねてるのよ。全体像を動かすのは手間だから』
メイの姿を描写する必要性は無いと思うのだが……。
今は漫談やってる場合じゃない。戯言は聞き流して本題に入ろう。
「このギアドールは何だ? どうして俺みたいな民間人を襲う? 相手をした感じからして、中身は〝そっち〟の管轄っぽかったぞ」
『ご名答。それを動かしてたのはAIじゃない。ネットワーク依存型のウイルス。単純なプログラムとは一線を画す、呪式処理が施されて半ば式神化した代物よ』
相変わらず、オカルト要素は半分も理解できない。
しかし、漫画やゲームといったサブカルチャーを嗜んでいたおかげか、裏で糸を引いてる何者かの悪意は把握できた。
「妖魔の仕業か? それとも、テロ組織《ディエスイレ》の方?」
『どっちかと言うと後者ね。詳しく説明する前に、場所を室外に移しましょ。大丈夫だとは思うけど、ギアドールには注意して。それとイツキ、ご家族は?』
「買い物。行き先は駅前にオープンした百貨店だ。夜まで帰ってこないはず」
『分かった。今すぐ警察に保護させるわ』
いや、保護してほしいのは俺の方……などと、言い出せる雰囲気ではない。俺はメイの指示に従って、着の身着のまま自宅を飛び出した。
外に出て周辺を見渡す。
似たり寄ったりの家屋が所狭しと立ち並ぶ、見飽きた住宅街だ。植物が息も絶え絶えに居場所を主張して、狭苦しい公園では子供たちが騒いでいる。
近所の様相は普段と何も変わらない。
でも今は、全てが不確かな蜃気楼のように感じられた。
「大丈夫だ、メイ。付近にギアドールの姿は見当たらない」
携帯電話を耳元に寄せて語りかける。通話のふりだ。ただでさえ首輪が目立つのに、独り言まで重なると本当に通報されかねない。
『確認したわ。イツキを襲ったギアドールは、末端の斥候役だったみたいね』
「斥候って……。そろそろ現状を解説してくれ。いったい何が起きてるんだ?」
日常生活でまず耳にしない単語に警戒心を煽られ、俺はメイに説明を求めた。
『妖魔が大量に攻めてきて、電軍が苦戦してるのは教えたでしょ? 秘策として、ネットワーク機能を復活させるために、あたしと萌が努力していたことも』
「覚えてるよ。任務は達成したはず。まさか、間に合わなかったのか?」
『ううん、イツキのおかげで上手くいったわ。ネットワーク機能が復活したことで、最終防衛線のトラップも最高のパフォーマンスを発揮した。妖魔の大群を、特殊規格のノートPC《パンドラ》に封印。
……問題はその後よ。《パンドラ》を破壊して、中の妖魔を殲滅する――』
記憶媒体を物理破壊して、データを消し飛ばすようなものか。
乱暴だけど確実な手だ。
『――そういう予定だったのに、さっき《パンドラ》の回収班が半壊したわ。死者は四名。生存者も大半が重軽傷を負って、戦線を離脱』
「…………それ、本当に現実世界の話なのか?」
衝撃的な発言に、俺は体面を忘れた。
携帯電話を顔の正面に移してメイを問い質す。
「カクリヨならまだしも、何でこっちで死者が出るような事態に!?」
『回収班の中に《ディエスイレ》の協力者がいたの。そいつを中心とする現実世界の《ディエスイレ》構成員が、《パンドラ》を奪って逃亡中よ』
「《ディエスイレ》……そうか、話に聞く急進派が」
『うん。このままだと、封印された妖魔が電脳空間に解き放たれる。そうなったら、現実世界が未曾有の大混乱に陥ることは確実よ。……急進派の思う壺。電軍は《ディエスイレ》に共闘を要請せざるをえない。復讐に狂った生粋の人外化生と比べたら、連中の方がまだ与しやすいもの』
メイの不吉な予言を聞いて、俺も遅まきながら急進派の狙いを理解した。
連中は電脳空間越しに、妖魔相手の〝凱旋〟を演出しようとしているのだ!
「テロ組織呼ばわりされるわけだ……」
帰りたい、消えたくない――行動原理は至極真っ当なのに、やり口は茶番か。
「下手糞めっ!」
『同感。でも、だからこそ連中は〝急進派〟なのよ。穏健派の方は、そういう禍根を残しそうなやり口は望んでいないわ』
とメイは急進派をフォローしたが、同じ組織である以上、助力は期待できまい。
『《パンドラ》の封印は、ちょっとマイナーな六十花甲子を模した時限式よ。どんな術者でも、解呪に一時間はかかる。晶ちゃんと菊理ねぇによると、正確には残り五十八分ね。それまでに《パンドラ》本体を確保するか、最低でも電脳空間から解呪を邪魔できなきゃ、あたしたちの負け』
意気込みとは裏腹に、画面上のメイはしゅんと小さくなった。
ちなみに比喩表現ではなく、本当にサイズが縮小している。この緊迫した状況下で無駄に芸の細かい……。
『でも急進派は、念入りに下準備をしたみたい。今現在も電脳空間に特殊なウイルスが、現実世界ではギアドールが暴れ回っている』
「そのうちの一機が俺を襲った、と」
『たぶんね。――逆に、各国の電軍はアドバンテージを奪われて、国の内外を問わず離反者が続出中。急進派と同じ土俵に上がることも、条件を揃えなきゃ難しい』
「条件?」
『うん。例えば、民間人Aの協力……とか』
それが具体的に誰のことを指すかは、聞かずとも知れたこと。
心当たりがありすぎる。
今は沈黙を守る機械式の首輪に指を触れて、俺は推理を紡いだ。
「問題の核心は、なぜか民間人Aの元に届いた新型端末か?
新型ならではの利点が事件解決に役立つ。だから急進派はギアドールを送り込み、メイも端末確保の目的で先行した」
『……ごめん。あたし、カクリヨでイツキに嘘吐いた』
俺の推理を遮るようにして、メイが謝罪した。
『ニグレードについて。本当はデータの改竄権を九割以上失ってるの』
「痛覚分配や操縦権のこと? それなら知って――ん? ちょっと待て。九割?」
メイの懺悔じみた発言を聞いて、ようやくピンときた。
「……ぅわ、我ながら迂闊。痛覚分配や操縦の担当者を変更できない時点で、気付いて然るべきだった。他の設定と同じように、搭乗者が俺で固定されたのか!」
『正解。偶然の産物とは思えないくらい、強固なロックがかかってる。解呪の成否は半々。しかも時間をかけたらの話よ。今回の事件には、絶対間に合わない』
メイのサイズがさらに縮む。
彼女は沈痛な面持ちで、言い難そうに論を繋いだ。
『事件を解決するには新型端末が必要で、《ディエスイレ》に狙われているのも事実。ただ……あたしの家族を救うには、新型端末だけじゃ足りないの。こんなこと、イツキに頼めた義理じゃないのは承知してるけど――っ!』
「あぁはいはい、分かった。もういい。みなまで言うな」
カクリヨで協力を約束した時とは事情が違う。
常識的に考えて、この件に首を突っ込むのは愚行だ。
個人的な動機があるならまだしも、俺の立ち位置は部外者と変わらない。他人に誇れる正義や大義の類を持っていない。
平坂樹の〝器〟は底の知れた贋作で――。
でも、そんな俺にメイは助けを求めた。
ここで保身に逃げたら男が廃る。
「そういう事情なら是非もない。ニグレードが必要な戦闘は俺が預かった。
……だからメイは、そのシケた面を今すぐ引っ込めろ。ただでさえ少量のやる気が、ガンガン減っていく。どうせなら媚の一つも売ってくれ」
ヤケクソ気味に言い放つと、メイがあんぐりと口を開けた。
『……媚なんて売られて嬉しいの?』
「相手次第。白波さんとかだと、愛想にだって価値がある。メイがデフォルメ状態でなきゃ、色気を売り出してほしかったんだ、が……」
語尾を濁して天を仰ぐ。
空は生憎の鉛色。不吉な曇天を眺めて俺はかぶりを振った。
「すまん、前言撤回だ。媚ならまだしも、色気はマズい。ただでさえ借金だらけなのに、これで色気まで売りに出されたら、俺は今度こそ破産しちまう」
『何それ、どういうこと? あたし、何かイツキにあげたっけ?』
全く心当たりがない様子の確認に、俺は頷くついでに視線を落とす。
画面上のメイを直視して、胸の奥で燻る弱気を踏み躙りながら答えを口にした。
「乙女の初めて」
『――~~っ』
首を傾げた格好のメイが、ボンと音を立てて茹った。
「安くないんだろ? 前報酬分は働くさ。気兼ねなくこき使ってくれ」
『こ、この――っ、……バカ』メイは感極まった声で罵倒してから、わざとらしく高飛車に告げた。『いいわ、どんなに高くついたか思い知らせてやる!』
「お手柔らかに」
こうして、民間人A――平坂樹の参戦が決まった。
『まずは萌と合流しましょ。端末の画面に表示された場所へ向かって』
「ここ? 徒歩で目指すには遠すぎる……」
画面上の地図を一瞥して俺は顔をしかめた。
「電車やバスの利用は、」
『絶対ダメ』
だよね。俺も無策で他人を巻き込もうとは思わない。
「でも、公共交通機関を避けるとしたら、残る移動手段は自転車くらいだぞ。この距離だと、例え自転車でも俺の体力が続くかどうか……」
『それくらい分かってるわよ。最新の自走システムを搭載した、オフロード対応の自動二輪を使いましょ。運転はあたしがやるから安心して』
「準備がいいね。ありがたい」
『あたしが準備したわけじゃないけどね』
……、……きっとメイの同僚が仕事をしたのだ。
そうに決まっている。
『真っ直ぐ進んで角を左。三軒奥の民家よ。門の内側に停車してあるはず』
メイは人工衛星や各種監視カメラと新型端末で、リアルの様子を把握しているらしい。誘導に従って進むと、本当に中型バイクが駐車してあった。
どう見ても家主の所有物だが……非公式と言えど、さすが軍事組織ってことか。
「よく借用許可をとったもんだ。で、鍵はどこ?」
『借用許可? 鍵? 用意されてるはずないじゃない。
事後承諾でハッキングするのよ』
「盗難じゃねーか!!」
メイに期待した俺がバカでした。
『証拠なんて残さないから大丈夫だって!』
「それ、もろに犯罪者の理屈だからさぁ……!
……事後承諾、絶っ対に忘れるなよ!?」
所有者には申し訳ないが、緊急事態ということで勘弁願おう。
俺は後ろめたさを振り払い、目当てのバイクに忍び寄った。
『首輪の左下に連結用のコードがあるはず。車体のプラグ挿入口に挿し込んで』
ここで時間をかけたくない。メイに言われるがまま、素早く作業を進める。
「繋いだぞ」
『終わったわ』
作業終了の合図にハッキング終了の合図が返ってきた。ハンドル脇のメーター画面が点灯してエンジンがかかる。ちょぉ早い。
こういうところは優秀なのに……。
俺は苦笑を噛み殺しながら携帯電話をポケットに押し込み、バイクに跨った。
初めての乗り心地を味わう間もなく、首輪のスピーカーからメイの声が。
『時間が惜しい。急いで出発するわよ』
「待て待て。俺はバイク初心者だぞ。とりあえず最低限の心得を、ってオイ!?」
乗り手の存在を度外視した急発進。振り落とされるかと思った。
慌てて体勢を立て直すが、落ち着くまもなく今度は急カーブ。
――せめて事前に伝えてくれ!
ジャッ、とズボンの裾がアスファルトを擦り、俺は即座に股を閉めた。システム上で固定されたハンドルを壊れんばかりに強く握る。姿勢をコンパクトにまとめ、襲いかかるGに抗って体重移動――ほとんど本能の域で転倒を予防した。
若葉マーク未満の身では、それが限界だ。
他は真の運転手に任せるしかない。
法定速度を余裕でブッちぎり、バイクが車道に飛び出す。
一斉に鳴り響く車のクラクションを号砲代わりに、三世界の行く末を左右する命懸けの逃避行がスタートした。




