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断章――急転直下


 カクリヨの最果て一歩手前を占める戦場の空気が、激変した。

 ジャミング状態からの解放。IAIらの活躍で通信や転移など、人類の重要な武器であるネットワーク機能が復活したのだ。


 前線にひしめく各国の電軍所属部隊が、突如として一兵残らず消え去った。


 跳梁跋扈する《ディエスイレ》急進派は、罠を警戒して進撃の足を止めた。

 如何にも元人間らしい反応だ。


 逆に妖魔の大軍は、ひたすら欲望に忠実だった。

 邪魔者の消滅に疑念を懐かず、怒涛の勢いで〝世界の果て〟にまで攻め込む。


 ――こうして、人類の敵対勢力は前後で綺麗に分断された。


 両集団の間に空白地帯が生じる。

 そこを、すかさず再転移した電軍の兵が占拠した。

 自ら挟撃を受けにきた形だ。しかし、不死の《禍異》を主軸に置く妖魔が、今さら背後の敵に興味を示すはずもない。

 電軍も急進派ばかりに注力し、最終防衛線を目指す妖魔を一顧だにしなかった。


 電軍の兵士たちは全員、通信で知らされていたのだ。

 最終防衛線には、白波那雲と双璧をなす伝説――斑蛾晶の会心の罠が待ち構えていることを。


【呪式プログラムΩ/補填結界励起中……簡易封印プロセス第三フェーズへ移行】


 最終防衛線を包み込むかのように、巨大な立体型重層魔方陣が出現。次の瞬間、我先にと進む妖魔の大軍が、最終防衛線から一匹残らず消え去った。

 退魔の御業ではない。別の場所への強制転移だ。


 転移先は――対妖魔専用封印術が仕込まれた、ノートPC《パンドラ》の中。






          ≠          ≠          ≠






 憂鬱な表情で司令室に帰還した那雲を、我が物顔で居座る菊理が出迎えた。


「帰ったか。これで急場は凌げたのぅ。萌とメイのおかげじゃ」

「予定時刻ブッちぎった上に、任務先で面倒事を抱え込んだらしいがな」


 那雲は菊理と入れ替わって席に着くと、すぐに自前のPCを再起動させた。

 不在中に舞い込んだメールの中で、優先度の高いものが自動的に開示される。そこから目当てものを探し出し、確認の意味を込めて読み上げた。


「妖魔の全転移と《パンドラ》の物理断線を確認。ワールドネット常駐の監視プログラムも正常起動中。……問題は周辺汚染度か。流石に数千もの妖魔が一ヶ所に集まると、看過し難い度合いに達するな。A(+)突破とか、久々に見たぜ」

「すでに安定しておるが、設置場所次第では土地が異界化したやもしれぬな」


 菊理の私見に、那雲は神妙な顔付きで首肯した。


 妖魔を封じたPC《パンドラ》の在り処は、電軍の地下拠点ではない。

 とある社の中。そこは日本有数の霊的要で、天然の儀式場としても機能する聖地だ。回収の手間は難点だが、カクリヨに在るべき情報は物質に悪影響を及ぼすため、そこが安置場所には最善と考えられていた。


「回収部隊から、おっつけ報告が届こう。最終的には、わしが預かるのじゃな?」

「ああ。汚染度を考えると、菊理に任せるのが最善だ」


 虜囚の数は想定を大幅に上回った。おかげで封印用ノートPC《パンドラ》は危険な呪具と化している。

 悪用されては一大事だ。

 回収の備えは怠らなかったが、菊理の手に渡るまでは安心できない。


 未だ暗雲に包まれた心境の那雲。

 逆に、締めを任されている菊理には、何ら気負った様子がない。


「ところで那雲、久方ぶりのカクリヨはどうじゃった?」

「変わらず。戦況も落ち着いたよ。敵の後詰めに結構な数の参戦が予想されてるが、それはこちらも同じ。勝ち馬に乗り遅れまいと、他国が続々と援軍を送ってきた」


 冷ややかな那雲の返答に、菊理も事情を悟って嘆息した。


「それで、お主はのこのこ戻ってきおったのか」

「俺がいると他所が出しゃばり難くなっちまうからな。一応、うちも負傷者以外は予備兵力として後方に待機させてある。どんな問題が起きても対処可能なはずだ」

「例えば、ネットワーク機能を再び失うような問題か?」


 せっかく奪還した重要施設ではある。

 しかし、維持に割く兵力がない以上、再放棄は当然の判断だ。


 数国の電軍は、兵力不足という《チガエシ》の内情を知らない。施設の再放棄に伴う、ネットワーク機能の喪失も、予測できずにいた。


「電脳の優位性が失われた直後は、混乱で対応に遅れが生じよう。特に最前線を支える軍団の被害は免れまい。……貧乏籤を引いたのは、どこの国やら」

「規定通りに参戦してくれた国には、最初から通達してあるぜ? 遅刻連中が割を食うのは当然だろ」

「意趣返しでもあるまいに。子供の悪戯にしては悪辣すぎやせんか?」


 菊理の指摘は那雲も自覚するところだ。

 否定せず、自嘲混じりに応じた。


「晶に似てきたのかもな」

「いや。あの極悪人なら、連絡兵も残さず戦場を丸投げしたじゃろうが」


 菊理から、叱咤と表裏一体の皮肉が返ってくる。


 三年以上昔なら、どこか硬い美声で空惚けた反論が続く場面だ。

 でも、今は……。




『本人に聞かれてないと思って、言いたい放題言ってくれるね』




 幻聴か――那雲と菊理は同時にそう思った。


『ところで、お菊さん。その格好は何の冗談だい? あのぐぅたら姫が、ずいぶんと上手く化けたじゃないか。現世を謳歌してるみたいで何よりだよ。

 少しは素直になれたのかな?』


 再び那雲と菊理は同時に思う――こんな小憎たらしい幻聴があってたまるか。


 二人の視線が司令室備え付けのPCに吸い寄せられる。

 いつの間にか画面中央に、斑模様の麗人が居座っていた。


 黒のローブと白衣を重ね着して、肩まで届く黒髪は若白髪混じり。

 他、性別不詳の中性的な美貌も、鏡のような無謬の瞳も、那雲と菊理が最後に見た時の姿と何一つ変わっていない。


 斑蛾晶。


 今は《ディエスイレ》穏健派筆頭で、隔離前は《チガエシ》次期司令候補筆頭。

 一時は開発部の主任と、参謀を兼任していた。稀代の術者にして、天才プログラマーでもある。その他は、那雲と出会う頃までの経歴に端を発して、年齢、性別、正体――全てが謎の〝生ける伝説〟だ。


 那雲は苦々しくも、どこか挑戦的な笑みを浮かべて、画面上の晶と相対した。  


「……人が必死で立て直した防衛線、平然とすり抜けてんじゃねーよ」


 遺失の術理か、純粋な力技か。

 立場的に後者は勘弁願いたかった。防衛線の警戒網を素通り可能な《力》の持ち主は、義妹二人と元お姫さまで間に合っている。


「そのPCだって、IAI御墨付きのセキュリティーで保護されてるはずだぞ」

『そのIAIを産み出したのは、私だよ。七割がた偶然だけどね。

 ついでに言うと呪式電脳戦やニグレードなど、従来の技術体系では実現不可能な奇跡を再現する、呪術と科学のハイブリッドテクノロジー――〝呪式プログラム〟の構築論を完成させたのも、私だ』


 芝居がかった仕草で謳うように答える晶。

 IAIは当然のこと、電子情報に呪を施す製作段階でしか隔世結界が発動しない呪式プログラムも、今では対妖魔戦の要だ。異界干渉の第一人者にして、現代退魔術の産みの親でもある晶なら、何をしでかしても不思議じゃない。


「……んで? 仮にもテロ組織の現役大幹部さまが、何の真似だ?」


 不平不満の全てを呑み込んで、那雲は嘆息混じりに直截な問いを発した。


「不法侵入までした以上、相応の理由があるんだろ?」


 この追求に、晶もまた誤魔化す素振りを見せず『当然』と即答した。


『内輪揉めの後始末と、身内の救助を頼みたい。コトはカクリヨの領分を逸した。電軍にとっても対岸の火事ではないはず。協力の証に情報と戦力を提供しよう』

「いいだろう。話くらいは聞いてやる」


 那雲と晶。電軍《チガエシ》の司令官と《ディエスイレ》穏健派筆頭の折衝が、殺陣の如く滑らかに進む。


『つい先日、急進派が私の暗殺を目論んだ』


 穏健派の台頭は、彼らの掲げるお題目――隔世結界に対する干渉や転生術を用いた、現実世界への穏便な帰還――が、晶の研究で現実味を帯びたからだ。

 急進派からすると、晶は目の上のたんこぶ同然。

 消せるなら、それに越したことはあるまい。暗殺に意外性はない。


 しかし、と那雲は首を傾げた。


「解せない。いくら急進派のやることでも、現状の晶相手に暗殺は短絡的過ぎる」

『危うく派閥間の全面戦争に発展するとこだったよ。でも、急進派の上役は私の救援を題目に兵を寄越し、実行犯を処刑してね。ご丁寧に、私が捕らえた者まで』

「下っ端の独断専行で押し通したか。筋を通したとも言えるが、筋書きの筋だな」


 胸糞悪い話ではあったが、それがまかり通る世界なのだと那雲も理解している。


 カクリヨは生態系から法則まで現実世界と異なる、文字通りの魔境なのだ。元人間が形成するコミュニティーの中ですら独自の倫理や法、価値観が根付いていた。


 無論、郷に入りても郷に従わず、足掻く者もいるが。


 久方ぶりの再会でそれを確認した那雲は、素知らぬ顔で話を進めた。


「暗殺騒動が茶番だとすると、本当の狙いは?」

『騒ぎに乗じて、私の研究成果を簒奪することさ。

 IAIの卵と無色の魂を誘拐された』


 真の意味で〝身内〟問題だ。

 それを晶がわざわざ電軍に持ち込むということは、即ち。


「黒幕は非隔離の人間ってことか? だが、現実世界の方でそれらしい動きは何もなかったはず……。――菊理」


 那雲の意を汲んで、菊理がすぐさま確認作業を始めた。


「関係ありそうな案件は二つ。まずはロシアの異界化騒動。没落気味じゃった魔法使いの元名門一族が何らかの実験に失敗、末の娘を残して全員隔離されておる。

 次が新型端末の紛失じゃ。金子の工面や開発にわしがあれほど苦心して用意したものを、易々と奪われおって……」


 妹分を支援しようと方々に手を尽くした菊理が、深いため息を吐く。


 なぜか晶が目を泳がせた。


『ええと……お菊さんの推理は一先ず置いておこうか。

 実は私の方で懸念中の問題がある』


 ピコンとチープな電子音を伴い、晶の左方に動画が立ち上がった。


『異界汚染により半ば機能停止に陥っていた、監視カメラの記録だよ。たった今、解析・浄化・修復の全工程が終了した。撮影時刻は、私が電脳空間を訪れた直後』


 動画再生、戦場跡地が映し出された。


 草木が生い茂る森の中。

 春を超えたばかりのはずが、草木は早くも紅葉に。

 肉片が花と咲き誇り、血飛沫が景観を艶やかに彩っている。

 大地は空爆跡のように抉れ、小規模のクレーターが複数生じていた。周囲の大樹は半ばでへし折れ、先端では百舌の速贄さながら垂れ下がった臓物が湯気を発す。


 目を覆いたくなるような惨状だ。


 それでいて、画面の最奥では厳格な佇まいの社が、完璧な姿を維持していた。


『懸念的中。どうやら、私は一足遅かったらしい』

「…………」


 晶が発した落胆の声も、今は遠い。

 那雲の意識は全て、動画に注がれていた。


 静止画と変わらない映像に、突如として動きが生じた。

 社の扉が、ゆっくりと開かれていく。中から現れたのは、《チガエシ》の軍服を返り血で穢し、口の端を狂喜に歪めた青年――水無瀬真昼。

 彼はまるで愛しい女性を扱うかの如く、大型のノートPCを抱き締めていた。


『《チガエシ》の内通者が、妖魔という名の災厄を封じたノートPC《パンドラ》を奪って逃走。おそらく彼が一連の事件の黒幕だね。誘拐された私の身内も、彼の手中にあるんだろう』

「……俺の子飼いが回収班を護衛していたはず。あのバカどもはどうした?」

『たった今、秘匿回線で連絡が届いたよ。どうする?』

「…………繋げ」


 地獄の底から響くような重苦しい声で那雲が命じる。

 すぐに回線が開かれた。


『――どーも~。愛しの後輩、比奈枷でーす』


 室内の重い空気を知る由もなく、比奈枷が開口一番底抜けに明るい声を発す。


 ビキッと那雲の額に青筋が浮かび、菊理と晶がやれやれと首を左右に振った。


『私たちがお目付け役を命じられた、例の回収班のことなんですけど。ちょこちょこーっと面倒な状況になっちゃいましてー、取り急ぎ報告よろしいですかぁ?』

「裏切り者をとり逃がした挙句、最優先目的の回収に失敗した……か?」

『ぅげ……。す、すでにご存知のようで。さっすが隊長、お耳が早い! でもでもっ、それなら私の八面六臂に及ぶ大活躍も承知ですよね? いやー、我ながら頑張っちゃいましたよ~!』


 比奈枷も、彼我の温度差に気付いたようだ。

 そのきゃぴきゃぴとした声色に、少しずつ痛々しさが滲んでいく。


『自爆テロめいた奇襲への対処を皮切りに、回収班の逃走手伝いや、ホルダー三名の処理と一名の生け捕り。十数体にも及ぶ武装ギアドールの撃破。最終的にうちの被害は、私の指示を聞き入れなかった四名に抑え――』

「で、裏切り者を取り逃がし、最優先の目標物も逸したと?」

『あ、あははは……。けど、マーカーは憑けましたから! 追跡は容易です! 今は付近で回収班の負傷者を治療中ですが、許可を頂けるならすぐにも!』


 多少なりとて責任は感じているのだろう、意気込む比奈枷。

 だが、それを聞いた那雲の応対は冷ややかだった。


「追跡は許す。ただし、しばらくは泳がせておけ」

『了ー解っ』

「それと……覚悟しておくように。久々のお仕置きが待ってるぞ」

『マジすか!? ひゃっほーっ! 分っかりましたぁ、楽しみに待ってまーす!』


 比奈枷が少々歪んだ性癖を披露してすぐ、那雲は別の人物に取り次いだ。


「だってさ、晶」

『ひな好みの趣向を用意しておくよ』

『…………え?』


 久方ぶりに聞く天敵の声に、那雲は比奈枷が笑顔で凍りつく姿を幻視した。


『久しぶりだね、ひな。また会えて嬉しいよ』

『……、……う――っぎゃぁあっ! 声の気色悪さが本物臭ぇ!!』

『あっはっは、相変わらず酷いね。キミの実年齢を知る唯一無二の相手に、いい度胸だ。永遠の十七歳を真顔で自称しちゃうキミの方が気色悪いだろ』

『うるせーんだよ、バカバカバーカ!! お前、これまでに年齢以外の乙女の秘密、いくつ隊長に暴露したと思ってやがんだ!! ……って言うか、マジで何でいるんだよぉっ! お呼びじゃねえっつーの!!』

『本当にお呼びでないなら良かったんだがね、実際問題そうはいかない状況だろ? 主にキミが雑な仕事をしたせいで。……久々のお仕置きは派手になりそうだ』


 通信はそこで途切れる。

 一方的に接続を切断した晶は、喜色満面の――言うなれば、懐かしい玩具を発見した子供のような笑顔で、今度は那雲に話しかけた。


『楽しみは後に残しておくとして。

 ――そういうことだ、那雲。何とかしてくれ』

「分かってらぁっ!!」


 那雲は一吼えして、机の裏に設置されたガラス張りボタンを蹴り上げた。

 拠点に警報が鳴り響き、赤色灯が光を放つ。そのパターンは、手遅れを示す宣戦布告の一つ下。現実世界に戦火が及んだことを意味していた。


「クソッ。これでも手を尽くしたつもりだったんだが……甘かったか」

「急進派が本腰を入れて仕掛けてきおった以上、後手に回るのは仕方あるまい」


 那雲の愚痴に反応しながらも、菊理は対策を講じていた。《チガエシ》独力での事件解決は不可能と踏み、自前のPDAで政府や警察関係者に協力を要請中だ。


「されど、備えは十全。悪用対策に《パンドラ》の封印解除は、時間経過を絶対条件としておる。最短でも一時間は猶予があるはず。ひなも必要最低限の仕事は果たした。一時間もあれば巻き返しには足りるじゃろう」

「……あぁ。菊理はプライベート回線で、萌とメイに情報を回してくれ」


 腐っていても事態は好転しない。

 那雲は深呼吸一つで気持ちを切り替えた。


「晶、お前の力も借りるぞ」

『否やはないさ。元々そのために訪問したようなものだ。襲撃と誘拐の件を盾に、急進派とも話をつけてある。上位幹部は謹慎。私の利敵行為も見逃すとさ』 

「結構な譲歩だな。それも急進派の自信の表れかと思うと、泣けてくるが……」


 この窮地に晶の援護は心底ありがたかった。

 無論、晶はあくまで開示済みの〝エース〟であって、〝伏せ札〟や〝ジョーカー〟足りえないが、贅沢は敵だ。


「……これでまた世代交代が遠のくな」

『いや、その心配はなさそうだよ』


 那雲が独り言のつもりで吐露した愚痴に、否定気味な横槍が。

 訝しむ那雲に、晶が含み笑いで言葉を繋ぐ。


『先日、澪君が目を付けたみたいでね。そっちにも萌君経由で報告は届いているはず。――そう。彼だよ、彼。メイ君のニグレードシステムに組み込まれた子。

 名前は……』


 平坂樹。




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