11話
たいっっへん、お待たせ致しました。
m(_ _)m
戦争の描写がありますので苦手な方はご注意下さい。
【 僕のマイエンジェルのお婿さんの顔を直接見たくてね。
僕のことはパパと呼んでいいんだよ、息子! 】
ご丁寧にルビ付きの陽気な文から視線を外すと、黒ずくめの大の男がビクビクと怯えながら必死に部屋の隅に張り付いている現実とのギャップにアーウィンはズキズキと頭痛がしている。
まともな奴はこの屋敷にはいないのか。
改めて見てみると若干痩せ気味だがスラリとした手足、仮面からこぼれ落ちた絹の様な漆黒の髪は世のご婦人方が嫉妬しそうなほど艶やかだが、コリンヴィータ家の当主は容姿よりも性格をどうにかする方が急務だと思う。
それともガタガタ震えながらも歪む事なく素早く流暢な文字に、特技だと感心すべきか?
いつ迄も惚けてはいけないと思いつつも、ご当主様の背後に警戒心まるだし涙目黒ウサギがダブって見える。
あれは野生動物だ。ウサギもとい当主を前に極力声を落として挨拶をしてみる。何事も初めが肝心であり野性の動物を慣らすには焦ってはいけない。
「あ〜、大変有難いんですがパパ呼びは遠慮します。
…ゴホッ。…此方こそ急な訪問にも関わらず泊めて頂いた上、挨拶もなく申し訳ございませんでした。
自分はアーウィン=バルテン。
バルテン家の三男で現在は騎士団青嵐隊の5番隊、隊長を勤めさせて頂いております」
貴族挨拶の見本の様な優雅な動作で腰を折るアーウィンに一度身体が大きく震えるが逃げ出さないだけまだマシか。
シャカシャカ、ポイッ。
【なんで他人行儀なんだい、マイサン!僕、泣いちゃうぞ】
「は?いやいや勘弁して下さい。私たちは他人………仮面の下から水が出てますよ。って大の大人がマジで泣かないで下さい!私は、、、俺はしがない三男坊ですよ。ほ、ほら俺は時間をかけて仲良くなるタイプなんで」
嘘も方便。
【そうかい?そっかー、マイサンも僕と同じでシャイなんだね。
うんうん、分かったよ。
ん〜、でも隊長?将軍職じゃなくって?ああ、もしかして長男殿が何かしたかい?マイサンを虐めるなんて酷いよね。プンプン!
そうだ、お近づきの印に見た目グログログチョグチョの子達を枕元に送り付けてあげようか?それとも仲間入りがいい?】
「止めんか」
条件反射で突っ込む。
何故か同族意識を持たれてしまった。
アーウィンは頭をガシガシかきながら一番上の兄の顔を思い出そうとするが、何年も会っていないせいか、うっすらっとしか覚えていない、その程度の興味でしかない。
「長男はどうでもいいですよ。戦地から帰ってボコりましたから。…俺も若かったんです。ま、十代でしたから当然ですけど」
【ゴメンね。本来なら大人が解決しなければいけなかったのに、まだ少年だったマイサンに英雄として全て押し付けてしまったね。
でも当時僕らも驚いたさ。まさか敵将の首を討ち取ったのが初陣の少年だったなんて】
ふっと、何処からかカカカッと楽し気な笑い声が聞こえた気がしてアーウィンは目線を天井に向ける。
暗闇に目が慣れ辺りを見渡せるが、新月のどこまでも静かで暗い世界に、戦場を思い出した。
土埃の匂い、焼け付く日差し、呻き声、断末魔、軍馬の嗎、狂ったような叫び声、怨嗟、焼ける匂い、切り結んでいた若い敵の血飛沫、そしてジジイの事切れる寸前の吐息まで全て一つ一つが昨日のように鮮明に覚えている。
思考に囚われそうになるのを頭を軽く振り自虐的な笑みを浮かべた。
アーウィンと両親との仲は悪くない。寧ろ父親の方は遅くに出来た末っ子に加え要領もよく、また武術の才能があったアーウィンを殊の外可愛がった。
学問は一度聞いたことは忘れず卒なくこなす彼を家庭教師達も褒め称え、何より武術、特に剣においては綿が水を吸い込む様にどんどん技術を覚えるアーウィンに父親自ら剣の技を叩き込んだが、これに不安を覚えたのが長男だった。
一般的に家督を継ぐのは長男、次に次男だが自分の地位を脅かしかねないアーウィンの才能を妬み陰で様々な無理難題を押し付けたが、それをこともなくこなすアーウィンに対し憎悪が蓄積されるという悪循環の関係だった。
アーウィン自身は当主の座に興味もなく長男もどうでもいい存在であり多少鬱陶しいぐらいしか思っていなかったが、その飄々とした態度が更に拍車をかけた。
隣国との戦争が3年目に入り、アーウィンも既に戦地入りしている次男に続き後方の支援部隊に配属される筈だったのだが、上層部にどう取り入ったのか兄の画策でアーウィンは伯爵という地位におり、しかも初陣でありながら下っ端と共に当時激戦地であったダブジスクの最前線に送り込まれた。
そして、地獄を見た。
物語の英雄に憧れていた少年は現実に打ちのめされた。
大勢の敵を一瞬で倒すなど所詮は物語の中でしか無かった。
次々に死んでいく仲間達。昨夜酒を酌み交わした相手が次の日には物言わぬ躯になっているのは日常茶飯事であり明日は我が身だ。悲しむ暇もなくまた戦場に駆り出される。
そんな日々の中、いくら剣の才能があろうとも如何せん経験が絶対的に足りなかったアーウィンが何度も死にかけながらも辛うじて生き残っていたのは、逞しい体躯に頬に大きな傷があった老兵のおかげだった。
知り合ったきっかけは、初めて人を殺し血溜まりにへたり込んだまま嘔吐していたアーウィンをその場で殴り飛ばし老兵が引きずり助けた事からだった。
一日一日生き残る度に何かが壊れていく日々の中で老兵は沼地での足運び、天候の見方、敵に囲まれた時の対処法など生きる術を全て叩き込んだ。
実戦を生き抜いた老兵の知識は幅広くアーウィンはメキメキと実力をつけていった。
アーウィンは師匠と呼ぶべき老兵の名前を知らない。初めに名前を尋ねた時にヒヨコにはまだ早い、とからかわれムカついたので代わりにジジイと呼んでいた。
恩人で師匠で仲間で祖父で。そんなジジイの最期の言葉は、
“ こんな時は剣をやるんだろうが折れちまったからなぁ。締まらんがワシの鎧をやろう。ヒヨコにはまだ早いがなぁ”
そう言い、血で汚れた顔を皺くちゃにし満足気にカカカッと笑いながら事切れた。
結局最後まで掴みどころの無いジジイだった。
一晩中泣きながらアーウィンはジジイを埋葬しその日から形見の鎧を纏い戦場を駆け抜け、まるで何かが乗り移ったかの様に次々と戦果を上げていった。
フルフェイスの鎧はアーウィンの素顔を隠し、いつしか仲間内から鎧の騎士と呼ばれ始めた。
そして運命の日。
天候、軍の配置、自分の位置、様々要因の元、運良く敵の懐深くに入り込んだ味方の軍はその勢いのまま混戦状態に陥り、たまたま中枢部近くまで潜り込んでいたアーウィンは目の前に現れた敵将の首を一太刀で切り落とした。
両国が戦力の大半をつぎ込んでいたダブジスクの勝敗がついた事は、戦が事実上終わった瞬間でもあった。
そして戦争後の動乱の中、気が付けばアーウィンはダブジスクの英雄と呼ばれていた。
戦場に英雄は居なかった。
剣の一振りで敵を薙ぎ払う力も、一瞬で傷を治す力も、味方を鼓舞し絶対の勝利を導く事も無かった。
アーウィンは賞与を辞退し退職届を出したが繋ぎとめたい国が拒否し、すったもんだの末に正体を隠匿する事を条件に国に鎖を繋がれることになる。
凱旋に国中が祝う中、英雄は国が創り上げるのだと悟った。
それでももし誰かから英雄は、と問われれば アーウィンの英雄は名も知らぬジジイただ一人だけだ。
「英雄なんてもんは、いないんですよ」
吐き捨てるように呟いたアーウィンが顔を上げると、いつの間にか近づいていた当主が震える指先でちょっん、とアーウィンの硬い髪に触る。本人は撫でているつもりの様だ。
対人恐怖症の筈の当主の精一杯の思いやりに、何故か泣きたくなるような気がした。
目頭が熱くなるのを必死に耐えているアーウィンの手にそっと紙を手渡す。
【アーウィン君は英雄と呼ばれる事に罪悪感なんて持たなくていいんだよ。
死んでいった者達の後ろめたさも要らない。寧ろそれはそこまでの道のりを築いた者達への冒涜だ。
君が成したことは事実なのだから。
確かに国の復興には英雄と言う名の人柱が必要だったんだ。それは否定しないよ。
それがたまたま君だっただけだ。
でもね、例えば誰かが君に命を助けられて、ずっと死ぬまで忘れられないものだったとしたら、もしかしたらその人にとって君は英雄と呼ばれるもの、なのかもしれないね。
なーんて、僕戦場に行ったことないから分かんないや。
でもマイサン、パパは非力だけど裏でコソコソするのは得意だぞ☆試しに家の可愛い子達を使って長男殿を再起不能にしてみようか?】
「さっき迄の空気が台無しだな、おいっ」
仮面で表情は見えないものの優しさと労わりが感じられ、黒い服の袖から見える細く白い指、艶やかな漆黒の髪と闇に浮かぶ白い仮面が不可思議な雰囲気を醸し出しまるで異国の聖者の様な姿から一転、大声のツッコミに瞬時に隅に飛び退きビクビク黒ウサギに戻ってしまった。
失敗した。照れ臭さで大声を出してしまった。
一飛びで部屋の隅に避難した脚力に流石はウサギ、と驚きつつ膝を折る。
腰を落とし相手が近づくまで待つ、これ基本。
暫く様子を伺っていた黒ウサギがそろそろと動き出す気配にやっとか、とホッとした瞬間、バンッ、と大きく扉が開き黒ウサギの顔面を強打した。
声もなく両手で仮面を抑えているが………痛い。あれは痛い。
仮面で幾らか直の衝撃は緩和しても痛いものは痛い。
その場で崩れ落ちる当主様を横目に一体何事かと扉の方に顔を向けると、
「…シェル、と………レリット?」
大きく扉を開けた執事の横にはレリットが体の半分以上はある大きなグレーの枕を両手に抱え開いた扉の前に立っていた。
何故こうも話が遅いのか。
答え。パパが出て来たからです。




