02.王太子妃教育なんてやだ。
「え……」
王太子セドリックが、目を丸くして私を見てる。
周囲の人たちもざわついている。オリビアに至っては両手で口を覆って目を潤ませている。
……やば、やらかしたかも。
この時点のルーファスって、社交界的にはただの戦闘狂なヤバい人でしかない。
ルーファスが『実はめっちゃメロい男』って情報が公になってない。ヤバい。
そんな男を求める公爵令嬢はヤバすぎる。
厳密に言うと、その男のことをアリシアに吹き込み続けたレイモンド・フォーサイスって名前の馬鹿公爵がヤバすぎる。
時間が止まった。
唯一良かったことは、初手で振られたセドリックが楽しそうにしていることだ。
「ふふ……そうだね、また近いうちに話そう。その時は良い返事を聞かせてくれると嬉しいな」
うっわ! これ完全にやらかした! うっわ!!
王妃ルート入った可能性あるじゃん!! 嫌すぎ!!
とはいえ流石に本人を前に「嫌すぎ!!」だなんて言えない。
私はドアマットヒロインっぽい笑みを浮かべて、セドリックを見送る——次は、いつ来るんだろう?
え、これ翌日いきなり連絡来る可能性とかある?
ちょっとは時間置いてくれるよね?
一週間くらいは待ってくれるかな?
私が全力で困っていると、それをどう受け取ったのか。
横にいたオリビアが優しく肩を叩いてきた。
「アリシア、アリシア、大丈夫? 緊張したの? もしかして、王太子様が怖かったの……?」
不安げに眉尻を下げている。
なんかまた勝手にフォーサイス公爵の評判が下がる気配を察知しつつ、私は首を横に振った。
「その……えっと、急なことだったので、驚いてしまって……」
「そうだったの……」
「でも、ウィンチェスター辺境伯のことを考えて生きてきたのは事実なのです。だから、急に違う人を話題に出されても、分からない、というか……」
嘘じゃない。
嘘じゃないです。
だからそんな悲しそうな顔しないで欲しい。
オリビアと話をしていると、周囲の人たちがザワつき始めた。
その声が——微かに、聞こえてしまった。
「そうか、アリシア様は公爵家の人間……公爵家であれば、例え王家に嫁いだとて実の父親との接点は避けられない……」
「その点、辺境伯領なら距離を取ることができる、と……」
「そんな……っ、そこまでしないと、アリシア様は……!」
困ったな
放置してても
父、終わる
……って、川柳読んでる場合じゃない。
これはどうにか王妃ルートを回避しないとダメだ!
最終的に王妃になれるんだから良いじゃんって?
え、嫌ですけど? だって確実に王太子妃教育始まっちゃうじゃん。
ドアマットは回避できそうなのに、突然現れた絶望の王太子妃教育に振り回される展開とか嫌すぎる。
アリシアは『政略結婚の駒要員』としてそれなりに教育を受けてきたみたいだし、私になってからもそこそこやってたけど、絶対にその比じゃないじゃん。
しかも相当に出遅れちゃってるから、絶対にスパルタじゃん。嫌すぎる。
でも放置すれば王太子の婚約者になるの確定じゃん。
どうしよう。これは流石に詰んでない?
式典からフォーサイス公爵家へと帰る馬車の中。
オリビアと後々合流した義母・メリッサから心底心配されながら、私は茫然と窓の外を見ていた。
〇
「やっぱり、物理的に逃げるのが手っ取り早い……?」
オリビアとメリッサが少し騒いだせいでメイドたちが湧いてしまい、彼女たちに全力で過保護された後。
私は星空を見上げながら、息を吐いた——さて、どうしようか。
流石に翌日にいきなりスタートダッシュを決めてくるとは思わないが、セドリックがめちゃくちゃ気が早いタイプならやってくる可能性は普通にある。
原作に名前と背後事情くらいしか出てこないせいでセドリックの性格が全く分からない。
そんな王太子が目立たない西洋風ドアマットヒロイン小説とかある!?
ここにあった……。
「そうだよね、散々虐げられた後はすぐに辺境伯領だもんね……王太子との婚約話は初手でオリビアの方に行くしね……」
私がセドリックの背後事情を知っていたのは、原作でオリビアとメリッサがきゃっきゃと喜びながら喋っていたからだ。
原作の中盤くらいで王太子と辺境伯から何故か同時に婚約の申し入れがあって、血筋的なものを考えたらアリシアが王太子、オリビアが辺境伯……になるはずが、父親のレイモンドはニチャニチャ笑いながら婚約者をひっくり返してくる。
レイモンドは「お前には最初から言っていただろう? お前には血塗られた獣くらいがちょうど良い」と語り、オリビアには「私の代わりに蛮族に襲われてきてね」と笑われる。
アリシアは内心怯えながらも、公爵令嬢として覚悟を決めてウィンチェスター辺境伯領に行く……ってところで、溺愛スタートだ。
「原作ならね」
逆にならない気がしてきたし、そもそも大騒ぎになったせいでセドリックが婚約を申し出てきてもルーファスが申し出てこない気がする。ここでルーファスが出てきてくれなければ完全に詰む。
しかも今のオリビアは優しすぎるから、仮に両方出てきても「私が辺境伯に嫁ぎます!」って怯えながら言い出す未来しか見えない。
本当にオリビアがドアマットヒロインっぽくなっちゃう。ドアマットの流れでルーファスを取らないで。やめて。
「ドアマットも王太子妃教育も嫌なら……やっぱり……」
物理的に逃げるしか、なくない……?
ドアマットになる気配が無いなら逃げなくて良いかって思ってたけど、これは早急にフォーサイス公爵家から逃げた方が良い気がする。
一時期は使用人たちが私の逃亡を全力で阻止してたけど、最近はもう大丈夫だって使用人たちは油断しきってる。確かに逃げる気無かったからね、安心したんだね。
……っていう善意100%の思いやりを裏切るようで申し訳ないけど、これは今のうちにさっさとおさらばした方が良い気がする。
外に物音を漏らさないように細心の注意を払いながら、私はそそくさと脱出の準備を始める。
逃げるなら夜だ。セドリックの性格が分からない以上——今、動くしかない。
色々面倒なこともあったけれど、それでも逃げなかったのは、割と居心地が良かったからだ。
最初はあんなにも屑から逃げたいって思ってたのに、今は……なんでだろう。少し、寂しい。
一般人の感覚を思い出して、取捨選択をする。
前に買った古着を着て、悪目立ちがしない系統の宝飾品を持ち出す。
宝飾品の類は売って資金にして、なるべく遠くに行こう。
「ただ、アリシアって公爵領内ではそこそこ顔が広まってそうなんだよね。もう領地の外までは歩くしかないかな……?」
嫌すぎる。
でも王太子妃教育を受けるよりは何億倍もマシだ。
とりあえず荷物を詰め込んで、机の上に『私のことは死んだものと思ってください』という書き置きを残す。こういう時はこう書けって何かで見たからだ。
「えーっと、なんでやるのかはよく分からないんだけど……こういう時は……」
家との離縁を示すとかそういうのかな。
原作アリシアはやらないけれど、ご令嬢は家を飛び出す時に髪をバッサリ切ってるイメージがある。
今回は徒歩脱出の可能性が高いから、長い髪は邪魔だよね。よし、切るかー。
私は机の上に置いてあったハサミを手に取る。
そして適当に髪を束ねて、ハサミを——。
「お嬢様! 何をされているのですか!?」
扉が勢いよく開いて、メイドたちが中になだれ込んできた。
えっ、嘘!? 脱走しようとしてるの、バレた!?
王太子妃教育に足が生えて追い掛けてきた。
これはマズい、どうしよう。
「……っ、お嬢様……っ!」
メイドのひとりが、私がまとめておいた荷物を見つけてしまった。
彼女はポタポタと床に涙を落としたかと思うと、その場に泣き崩れてしまった。
「もう、お気づきだったのですね……! それで、おひとりで、ご準備を……っ!!」
——あれ?
一体、何が起きた?
私からハサミを没収したメイドの方に目を向けると、彼女もまた泣いていた。
「あの……」
「お嬢様は……旦那様がお嬢様を殺そうとしていることに、気づいていらしたのですね……?」
「え……?」
「ああ、なんと……こんな仕打ち、あんまりですわ……!!」
どうした!?
この家で一体何が起きた!?
もはや事実なのか変な噂なのか分からないけれど、どうやら父親がアリシアを殺そうとしているらしい。
そしてメイドたちは私が王太子妃教育を嫌がって脱走を企てたのではなく、自らの命を守るために仕方なく逃げ出そうとしていたのだと解釈したらしい。
本当に一体何が起きた!?
「旦那様のお飲み物には、眠りを深くするお薬を入れております。さあ、今のうちに……!」
何が何だか分からないままに、私はメイドに手を引かれて屋敷の外へと繋がる裏道に案内された。……そこには、
「ッ!? お、お義母様に、お姉様!?」
そこには、私と同じように脱出準備を済ませたメリッサとオリビアの姿があった。
メリッサは口元に人差し指を立てて、私を手招く。
「しっ! 静かに!」
「あ……申し訳ありません……」
「早かったわね。もしかして、あなた……気づいていたの……?」
とりあえず、(実際は違うけど)頷いてみる。
するとメリッサは私を抱き寄せ、静かに涙をこぼした。
あー、この人も盛大に勘違いしてらぁ。
そんなこんなでオリビアにも抱きしめられていると、遠くからガラガラと車輪の音が聞こえてきた。そして大きめの馬車が、目の前に止まる。
メイドたちがそそくさと荷物を乗せている間に、御者は手綱を強く握りしめ、どうにか涙を止めようと必死に目元を拭っていた。
……もしかしてこれ、徒歩回避できたのでは?
だが意味が分からない。
私はオリビアに目を向けた。
オリビアはすんすんと鼻をすすりながら話し始める。
「お母様が……お義父様に、『王族との繋がりを持たせる前に、アリシアを殺す。そうすれば、オリビアを王太子の婚約者にできる』って言われたみたいなの……」
「えっ!?」
「そんなことはさせられないからアリシアを逃がす、そしてどう考えてもろくなことにならないからって、私にも逃げてって……自分は残るって言ってくれたけど、私、それは許せなくて……だから……」
要するにアリシアは殺される。そうなる前に逃がす。
さらにその後どうなるかがあまりにも保証されていないオリビアも逃がす。
ふたりを逃がした責任を負うためにメリッサは屋敷に残ろうとしたが、オリビアに説得されて脱出メンバーに加わった……と。
とりあえずフォーサイス公爵は馬鹿なのか!?
大方メリッサの心はまだ自分にある、そしてオリビアを餌にすれば着いてきてくれるって思ったんだろうけど、メリッサって多分そこまで馬鹿じゃないよ!? 実際こうなってるわけだし!!
——レイモンド・フォーサイスの味方って、多分もうお金くらいしか存在しないよ!?
私はひたすら困惑した。
困惑することしかできなかった。
そうしているうちに、数人のメイドと一緒に馬車に乗り込み、屋敷を後にする。
これから、どこに行くんだろう。
「……」
私が何を考えているか、分かったのかな。
メリッサはどこか悲しげに笑みを浮かべて、静かに口を開いた。
「私の生家へ向かいます。少し前から、帰っておいでってお兄様に呼ばれていたの。……そこなら、ひとまず落ち着いて生活できると思うから」
「え?」
……困ったことに、以前流れた噂の発信源である男爵家出身のメイドも伯爵家出身の騎士も、まだフォーサイス公爵家に仕えていた。
今回のアリシアたちの脱走劇、その理由。
それらはすべて、社交界に『衝撃的な噂』として流れた。
事が大きすぎるだけに、流石に真偽不明扱いをされていたが——レイモンドが絶望したことは、言うまでもない。




