第五話 要塞の造形 (下編)
1. 教授の「遺言」
鑑識が回収したボロボロの青図を、
井森刑事はゆっくりと広げた。
九条碧人は、光の柱の中で立ち尽くしている。
その顔は、いつもの“完璧な仮面”を保っているようで、
よく見ると、目の奥にわずかな揺れがあった。
「九条さん。教授が亡くなる直前に握りしめていた図面です」
井森は、図面の一点を指で叩く。
「ここ。
教授が書き加えていたのは、デザインじゃない。
空調の安全弁の位置なんですよ」
碧人の喉が、かすかに動いた。
「……偶然でしょう。あの人は老いぼれだ」
井森は首を横に振る。
「いやぁ、教授はねぇ……あなたの性格をよく知ってたんですよ。
“美学のためなら何でもする男”だって」
碧人の眉が跳ねる。
「……刑事さん。あなたは私を侮辱している」
「侮辱なんてとんでもない。
ただ――」
井森は図面を裏返し、スリットの裏側を示す。
「ここに、教授の葉巻のヤニがびっしり付いてたんです。
酸素が薄くなる中、教授は最期の力で煙を吹き込み続けた。
“ここが死因だ”って、あなたに伝えるために」
碧人の顔から、血の気が引いていく。
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2. 幾何学の終焉
井森は線香に火をつけた。
ゆらゆらと立ち昇る煙が、
碧人が「絶対に開かない」と断言した壁の継ぎ目へ吸い込まれていく。
「ねぇ九条さん。
あなたの建築は、あまりにも美しすぎた。
教授の命を閉じ込めるには……ね」
碧人は震える声で言う。
「……違う。私は……私は美を追求しただけだ。
教授が私を侮辱したから……!」
井森は静かに首を振る。
「違いますよ。
あなたは“美学のために人間を捨てた”んです」
碧人の膝が崩れ、床に手をつく。
その姿は、完璧な彫刻が突然ひび割れたようだった。
「……私は……間違っていない……」
「間違ってなんかいませんよ。
ただ――」
井森は煙の流れを見つめながら言う。
「あなたの建築が、あなたの嘘を許さなかっただけです。」
碧人の肩が震えた。
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3. 崩れゆく要塞
パトカーの赤色灯が、
窓のないモノリスの外壁を不気味な赤色に染め上げていく。
警察官たちが碧人に手錠をかけると、
彼は最後の力で振り返り、
自分の造り上げた立方体を見つめた。
「……美しかったのに……
どうして……どうして……」
井森は、ヨレヨレのコートの襟を直しながら言う。
「美しいものってのはねぇ、九条さん。
壊れる瞬間が一番よく見えるんですよ」
碧人は連行されていく。
その背中は、光を失った彫刻のように空虚だった。
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4. 幕引き
数日後。
解体工事が始まったモノリスの前で、
井森はコンクリートの破片をぼんやり眺めていた。
重機が立方体を砕くたび、
まるで“碧人の美学”が粉々に砕けていくようだった。
「いやぁ……窓がないってのは、不便ですねぇ。
空が見えないと、自分がどこにいるのか分からなくなる」
井森はため息をつき、
ヨレヨレのコートをはためかせながら歩き出す。
「さて……今日は奮発して、
窓の大きなレストランでオムライスでも食べますかね」
春の陽光の中へ、
井森の背中がゆっくりと消えていった。
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【下編 完】




