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刑事・井森正一の事件簿  作者: はまゆう


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第五話 要塞の造形 (上編)

1. 窓のない伽藍


多摩丘陵の切り立った崖に、巨大な立方体が沈黙していた。


若き建築家・九条碧人(34)の自邸兼アトリエ――「モノリス」。

窓ひとつないコンクリートの外壁は、光を拒絶し、影だけを抱きしめている。

その姿は、まるで“人間の感情を排除した巨大な石棺”。


内部では、天窓トップライトから落ちる光の柱が、

碧人の動きに合わせて舞台照明のように位置を変える。

彼はその光の中心に立ち、黒いシャツの襟元まできっちり閉め、

まるで“自分自身を展示する彫刻”のように静止していた。


そこへ、葉巻の煙をまとった老人が現れる。


真壁教授(68)。

白髪はライオンのたてがみのように広がり、

皺だらけの顔には“自分の時代はまだ終わっていない”という頑固な誇りが刻まれている。


「碧人。この設計図の美しさは、私の教えの延長にすぎん。

 君の独創ではない」


碧人はゆっくりと振り返る。

その動きは、機械仕掛けの人形のように滑らかで、感情の揺れが一切ない。


「教授。あなたの“美学”は、もう時代遅れです。

 古い建築は、解体されるために存在する」


真壁は鼻で笑い、葉巻の灰を落とす。


「ならば、この図面を世に出すがいい。

 私が捨てたアイデアを、君がどう“盗作”したか。

 プリツカー賞の選考委員に、丁寧な手紙を書いてやろう」


その瞬間、碧人の瞳に、

不要物を処理するときの静かな殺意が宿った。


---


2. 空気の密室


深夜。

モノリスの内部は、光を失い、影だけが支配していた。


碧人は暗闇の中を音もなく歩く。

その影は、建物の影と完全に溶け合い、

まるで“建築そのものが動いている”ようだった。


空調システムの前に立つと、

碧人は指先でパネルを撫でる。

その仕草は、恋人の頬を触るように優しい。


「教授。あなたは、私の建築を理解できなかった。

 だから、最期くらいは……美しくして差し上げます」


彼は酸素濃度を下げる操作を、

ピアノを弾くような優雅さで行う。


ゲストルームで眠る真壁の呼吸が弱まり、

やがて静かに止まる。


碧人はその様子を、

彫刻家が作品の完成を見届けるような目で見つめていた。


「……美しい」


その一言が、彼の狂気を決定づけていた。


そして、

特定の気圧差が生じた瞬間だけ歪む“換気スリット”が作動し、

内側から“かんぬき”が落ちる。


物理的には完全な密室。

外からは、どんな重機を使っても侵入は不可能。


「教授。あなたの時代は、ここで終わりです」


扉が閉ざされる音は、

巨大な石棺の蓋が降りる音だった。


---


3. ヨレヨレの異端児


翌朝。

碧人は「密室で師匠が急死した」と通報した。


警察官たちが扉の堅牢さに唖然とする中、

ひとりだけ“場違いな男”が現れた。


井森刑事。


ヨレヨレのトレンチコート。

寝癖のついた髪。

片方だけずれたメガネ。

歩くたびにポケットの中で何かがガチャガチャ鳴る。


だが、その目だけは鋭い。

濁っているようで、実はすべてを見逃さない“底なしの観察眼”。


「いやぁ、どこが入り口か分からなくてねぇ。

 お洒落すぎる建物ってのは、方向音痴にはつらいですよ」


碧人は完璧な笑顔を貼り付ける。

だが、その笑顔は目だけが笑っていない。

“人間の表情を模倣したAI”のような不気味さがあった。


「ここは私の哲学です。

 無駄な装飾は、建築を腐らせます」


井森はしゃがみ込み、床の灰を指でつまむ。

その姿は、道端のアリの行列を眺める子どものようだ。


「……変ですねぇ。

 灰が、風もないのに“ある方向”にだけ流れてる。

 まるで、この部屋のどこかに“巨大な肺”が隠れてるみたいだ」


碧人の眉が、一ミリだけ動いた。

その一瞬を、井森は見逃さない。


井森は、壁の継ぎ目をじっと見つめながら言う。


「いやぁ……面白い建物ですねぇ、九条さん。

 あなたの“哲学”が、どこまで嘘をつけるのか……楽しみですよ」


碧人は笑顔を保ったまま、

その目だけが、氷のように冷たく光っていた。


---


【上編 完】


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