第8話:女神の葬送
半壊した村の片付けもようやく済んだ頃、劇団員と村人の葬儀を行うと云う。片付いたと云っても焼けた木材とか破壊された瓦礫とかはそのまんまで、端に寄せたと云う程度。 劇団員の遺体らしきものを見つけて、それを弔ってやると云うので、遺体を近くの湖へと運んだのだ。こうした余所者が別の地で亡くなった場合、木材で丸太の船を造り、遺体を流すのが習わしだそうだ。そうすればおそらくは、故郷に帰れると云う配慮なのだろう。俺だったらここにそのまま放置して欲しいものだ。
焼け焦げた塊となってしまったそれに、おそらく家族だろうと云う切実な思いを抱きながら送り出す身内を見るのは、なんだか申し訳ない気分になった。うまくは云えないが、他人の内情を勝手に見てしまった気がして──。
「私も……」
そんな辛い時間も長くは続かずいよいよ葬送と云うところで、すっかり定位置になってしまっている俺の後ろに隠れていたネイシャが進み出た。
「私も、弔って良いですか」
単なる子どもにしか見えないが、村人はこいつが「女神」だと知っている。効果は抜群で最初はぽかんとしていたが、事の次第に驚いて低頭してしまう。リヴァーシン内や近くにある地域では、「女神」というものの影響を受けていてもおかしくはないと思うが、実際にネイシャを見て果たして女神と信じられるかどうかは微妙だと思う。信仰心なんて欠片もない俺が決めることではないが、俺からすればただの子どもだ。
ネイシャは村人たちの様子に一瞬臆したように俺の外套を掴んだものの、攻撃されるわけではないとわかったからかゆっくりと頷いた。しかしそこで、はっとして俺を見る。弔うと云うことは俺から離れなければならないと云うことに、そこでようやく気付いたらしかった。決まり悪そうに視線を下に落とされ、思わず小さな溜め息を吐いてしまう。
いや本当に、この懐かれように一番驚いているのは俺なんだけど。
「なんだよ」
「──えっと、行って来て良い?」
ちょっと悩んだ末に出たのがそんな質問だ。なんでこいつの行動に俺の許可が必要なのか。──ああ、そう云う教育されてたんだっけ。
「おまえが何しようと自由だろ。俺はおまえに指図する権利も、する気もないから」
どうせ数日間の子守りだと割り切るしかない。なんでこう他所の家の子どもの世話ばかり見るんだ、俺は。従兄とか従兄の子どもとかが俺を子守り役にさせると随分楽なことに気付いたらしく、よくやらされていた。どう考えても子どもに好かれるような性格をしていないと云うのに、簡単に懐かれるのはなぜだろう。
ネイシャは頷いて、俺から離れてどんどん歩いて行く。
岸辺に立った時、村人たちはようやく顔をあげてネイシャのほうを見た。俺から見るとちょうど背を向いているから、何をしようとしているのかはよくわからない。ただ後ろから見たあいつはとてつもなく小さくて、とても女神とあがめたてられるような奴には──。
と、ネイシャが急に動く。
村人が吹いていた葬送の笛が止んで、そこはネイシャだけが映し出される。岸辺から水場へと踏み出したネイシャは、沈むことなく水の上で舞い始める。呆然とその舞いに魅入っていた人々が、慌てたように丸太を流し出して湖へと送る。もちろん流される遺体にはここの村人も混じっているはずなのに、誰も涙を流さない。ただ遺体を見送りながら、ぼんやりとネイシャの舞いを見ている。俺には舞いの教養なんてあるわけもないが、言葉がうまく出てこなかった。水の上を小さな身体を駆使して舞うネイシャは美しく、それは女神と名乗ってもおかしくない神々しさを放っていた。
誰もがネイシャの舞いに魅入っていたところで、ぽつりと声が漏れた。
「お母さん、行っちゃったのかなぁ」
「お母さん、行っちゃったんだろうねぇ」
俺の横で座り込みぼんやりとネイシャを見ていたのは、七、八歳ぐらいの子ども二人だった。同じ顔をして同じ身長をしてじっとネイシャを見つめるその姿に、俺も思わず固まってしまう。そっくりな二人と云うのは、いつ見ても心臓に良くない。
「お父さんに会えたかなぁ」
「きっと会えるよ、今はまだ行ったばかりだからわかんないけど……」
「でも会えたことを、私たちは確認ができないんだよ。どうやって知るの?」
「それは……」
「──わかんねぇだろ」
あーあ、つまんねぇ口出ししちまった。二人が一斉にこっちを見る。まったく同じ顔だ。
「わかるよ」
むっとしたように、口ごもった方が云い返す。
「居ない奴のことはわかんねぇよ」
「わかるもん」
「わかんねぇけど、おまえたちが信じてればそれで良いだろ。無理矢理な理由をつけるな」
口ごもったほうが目を見開いて片割れを見る。片割れもはっとしたように片割れを見る。余計なもんにまた口出したことに後悔していると、突如二人は立ちあがって手を挙げる。
「私はミアーナ!」
「私はロアーナ!」
「……ビル」
一応答えてみると、二人はなぜか手を取り合って喜んでいる。子どもとつるむ回数は多いが、相変わらず奴らの行動は意味がわからない。まぁあんまり気にしてないけど。
「ねえねえ、お母さんの演技、見たでしょう?」
「見たよね?」
あ、村の子どもじゃあなくて、劇団員の子どもなんですか。
「かっこ良かったねー」
「かっこ良かったよー」
俺の感想はどうでも良さそうだから、放っておく。特に感想もない。あんな劇を見た後に、「かっこ良かった」と云えるこの子どもたちに、俺がかけるべき言葉なんてない。
「ね、ビル」
ぬっと顔を目の前に出されて、驚きの次に呆れが来る。
「ね、ビル」
俺に何を求めていると云うのか。
「お母さん、かっこ良かったでしょう?」
「おまえらの母親知らねぇよ」
「えへへー、主役やってたの!」
ああ、「ネイシャ」か。途中で終わってしまったから最後まで話の筋はわからなかったが、絶望の淵から希望へと繋がるという、いかにもなお話過ぎて、俺には正直まぶしすぎたぐらいだ。劇は昔からよく見せられたもののあまり得意ではない。だがあの時あの人の演技は異様に残っている。それは最後に見た光景だからなのかもしれないが、それでもまぁ良い劇だったのではないだろうか。
「かっこ良かったな」
劇に対してではなく、最後まで演じ切って娘たちにこんな感想を云わせるその人に対して、恰好良い人生だと思う。俺とは違う、俺の望めない恰好良い人生。満足したらしい双子はにっこりと微笑んで、一歩下がる。
「ビルはあれだね」
あれ、名前なんだったか、右の方がじっと俺を見て、左が云う。
「よく晴れた後の、空の色だね」
「よく晴れた日の、地の色だね」
空と地。
そんなことを云われたのは初めてだ。紺の髪に茶の瞳なんて、異様な組み合わせだと自分でも思う。国でもあんまり居ない。身体が弱い所為か顔色も白い、全体的な色合いはなんだかおかしいと思っていた。
それが、空と地の色だと云う。
可笑しくなる。子どもというのは随分と素直だ。俺にいろいろ云って来た連中よりもずっと真っ直ぐで、悪意がなくて抵抗もできない。そんな綺麗なもんじゃあないと云うのは簡単だが、それで引き下がることをしないのが子どもだ。
「リュース」
舞い終わったネイシャが、なぜか真っ直ぐこちらに向かって来る。ある意味でこいつも真っ直ぐだ。
「あ、女神様!」
「わ、女神様!」
駆け寄って来たネイシャにちび共は、餌に群がる動物のごとく走って行った。ネイシャは驚いていたものの自分より小さなそいつらに視線を合わせて、たどたどしく話している。
ひとまずは笑っているその顔を見て、まぁ良いかと思う。俺にできることなんて、ないんだから。
葬送も落ち着いた頃、馬の駆ける音と共にやって来たのは将軍だった。
「おお、ビル殿。こちらに居たか」
もちろん全員が低頭して、俺とネイシャだけがぼんやり突っ立っていた。頭を下げる教育をされていないからただ立っていただけなのに、それが当たり前に許されてしまう。別にこの国で重役になったつもりないんだけど、思ったより存在感出していてまずいかもしれない。
俺の戸惑いを気にすることもなく将軍は馬を下りると、怒りもせず逆に頼もしい笑顔を見せる。
「これより正式にリヴァーシン神国を平定することとなった」
「平定って……」
今さらの話だろう。どういう意味かと思っていると、
「天帝自らお出ましだ、そろそろ到着されるだろう」
わざわざ解説をありがとう。しかしまぁ、ご苦労なことだ。帝都は非常に遠いと云うのに、意欲的な天帝は眩し過ぎる。俺の目には良くないだろう。 母国にもそれだけ立派な王が居たら、今頃どうなっていたのだろうか。
考えても仕方がない、終わったことだ。
「それで女神を安全な場所へ連れ行きたい。昨日のようなことがないとは限らないからな」
「安全って云ったら、本国だろ。王都……じゃねぇか。あーと……」
「帝都パクスカリナ」
あー、そうそう帝都ね。俺の疑問をすぐ察知し、将軍はわかり易く単語をするりと出してくれた。王しか居ない国に育った俺としては、「天帝」と云う呼び名はどうにも慣れない。
その帝都パクスカリナはここからこの西国最東からだいぶ距離がある。大陸半分の東端がここカーヴレイク、西端がパクスカリナだ。国の最も遠いところに居ると云える。
「そうしたいのは山々だが、護送する要員が居ない」
「あー、だったら、俺が連れて行けば良い?」
「莫迦な。帝都へ行くまでの道には神国の残党が居るはずだ。流石の貴殿でも、一人でまかなえるものでもない」
だろうな。居なかったら逆に拍子抜けする。
「向こうにだって間諜とか居るだろ。ネイシャの居場所、知っているんじゃないのか」
「この軍に居ることは知れているだろうが、その後の場所はまだ伝わらない。伝わったところで、我々が進軍していればどうしようもないだろう」
「──わかったよ、俺が宿に戻って守れば良いんだろ」
「そうしてくれるか」
にこにこと嬉しそうに微笑まれても、最初からそれが狙いだったんだろうと云いたい。リヴァーシンからそれほど離れておらず安全な場所と云ったら、ルリエールの宿がちょうど良い場所だ。彼女らにはまた迷惑をかけてしまうが、こうなってしまった以上は仕方がない。
俺の懸念を何かと勘違いしたのか、大笑して肩を叩かれた。
「大丈夫、敵が港へ逃げる前に平定してみせるさ」
何所から来るんだ、その自信。
それより、と将軍はネイシャを見遣る。
「さっき、ネイシャと云ったか」
「──ああ、名前ないと不便だろ。仮、だけど」
もう「女神」ではいられない。これからはリヴァーシンの元女神、ロウリーンリンク家の子どもだ。名前はどちらにしろあったほうが良いだろうって、これも目立つ行動の一つに入ってるんじゃないかと今頃気付く。
だが案の定、将軍は俺の悩みなど気づかない。少し屈みこんでネイシャの目をしっかりと見つめる。
「良い名前をもらったようですね。ネイシャ・ロウリーンリンクさん」
「あ、はい……」
「貴女は、いや、君はこれから、一人の国民として生きて行かなければならない。名前はその第一歩を踏み出したようなものだ。これからは女神ではない、一人の女性として扱われる。今までとはまるで違う生活になるが、クレアバール帝国民として共に生きて欲しい」
「──はい」
「そう緊張しないでくれ、別に怖がらせたいわけではないんだ。──神国の良きところは生かしていきたい、それを我々に教えてくれたら助かる。天帝とは云え、知恵のない集団だからな」
快活に笑う将軍に、ネイシャの顔も少しほぐれる。そんな顔もできるのか、と思いつつ俺は面倒事が広まったことに、小さく溜め息を吐いた。
・・・・・
自由に使ってもらうためレイヴンを置いて、将軍たちと別れた。よくよく考えれば、レイヴンこそ戦場で一番役に立つ奴だと気付いて、一応は相談して置いて行くことが決まったのだ。文句を云うかと思ったが、少し悩んだあと彼は了承した。あいつは情にもろいところがあるから、何もしないで戦地に居るのはじれったかったようだ。だが俺を戦地に居させるのは、彼の仕事に逆らう。俺を安全地に送りつけて自分は戦地に残る、レイヴンにとってうまい具合に良い状態ができたのは、ネイシャを引き取ることになったのが要因だ。
その元女神様は、相変わらず俺の手を引っ張りながら、歩き難い道のりを歩いている。さっきまでのおどおどした態度ではなく、今度はもの珍しそうにあちこち見るから、たまに手を引かれて転びそうになる。外套を引っ張られて後ろに転びかけるよりマシか。わざわざ云うのも面倒くさくて放置しているが、悪路がさらに歩き難い。
「ねぇ、何所に行くの?」
「俺が泊まってる宿」
「宿?」
「そう、俺、ここの国の人間じゃあないから」
そう云えばそんなことすら教えていなかったと思い出す。将軍はこいつが今後、クレアバール帝国の民として生きることになると教えていたが、いったいどうするつもりだろう。リヴァーシン自治区の奴らに引き渡すべきなのだろうか。そもそも、こいつはどうしたいのだろう。
「あのさ」
思わず立ち止まってわざわざ振り返ってしまう。急に止まったことで驚かせてしまったのか、ネイシャは目を丸くして息を詰めた後、ゆっくりと視線を俺の目まで到着させる。こいつが小さいのもあるが、俺がそれなりにでか過ぎるのも問題なのかもしれない。仕方なく少し屈みこんで視線を合わせる、もしかして妹よりも小さいのではないか。あんなところに住んでいたら、伸びるもんも伸びないかもしれない。
「これからリヴァーシン神国を潰すらしいけど、あんたそれで良いの?」
「え……」
「あの将軍たちは、それをするつもりだろ」
「うん、知ってる」
「良いのか?」
頷こうとしたネイシャはそっと俺から視線を逸らし、声を絞り出すように呟いた。
「私、女神、失格だから」
「失格?」
「神官が来て云うの。災害が起こったから、また女神に逆らったんだろうって」
「実際は?」
「声が聞こえなかったの。それを正直に云ったら、女神失格だって」
勝手に崇め奉って入れたくせに、今度は女神失格か。どうしようもねぇ奴らだな。
──ビルは年下に甘いのよね。
いや、本当煩いから。
「だから私は声に……、天帝に従いたい。失格って云われようと、私は女神、女神代理だから」
それがこいつの出した答え。なら俺は、その通りにしてやるしかない。そしてそれはおそらく勝手に天帝とやらがやってくれるから、俺がすることは何もない。
人から与えられた「女神」と云う地位を、こいつは今まで唯一の砦にして生きて来た。それをいきなりなくして世界から放り出されたら、路頭に迷いたくなるだろうに、どうしてこう真っ直ぐ生きることができるのか、俺には真似できない芸当だ。
なんとなく居た堪れなくなって歩き出すと、ネイシャは慌てたように後から付いて来る。
「将軍に頼まれたから取り敢えず、平定とやらが終わるまで宿に居る」
「え、うん」
「それまでにどうするか決めろ」
もう既に長居をしないと云う決めごとは、意味をなしていないのかもしれない。だがそれでも俺は、早くここを出なければならないと思っている。国外の者が一所に留まることの厄介さを知っているからだ。自分だけの火の粉ならともかく、 ここで関わった連中が被害をこうむるのはごめんだ。俺にそれだけの価値はない。
「どうする、か……」
ぽつりと小さくつぶやいた一言に、俺は思わず足を止めそうになる。
「自分の人生だ、自分で決めろ」
自虐にもほどがある。自分の人生を自分で決められない奴が云っても、説得力はない。だがそうは思いながらも、ちっぽけでぼんやりとした顔を見たら、口にせずには居られなかった。