第9話:名前の代償
宿に入るとカウンターに座っていたルリエールが、即座に立ち上がった。まるで戦地に行ったときからずっとそこで待っていたかのように、深刻な顔つきだった。
「ビルさん……!」
感極まったように呼ばれたものの、戦地に行ったわけでもあるまいし。あ、行ったのか。
「おかえり、なさい……」
そんな心配されるようなことはしていない。涙目になって帰宅を喜ばれると、逆に困る。ただいまと云えるような権利もなく頷きで返すことしかできなかったが、ルリエールは気にした様子もない。走って駆け寄り俺を間近で確認すると満足したらしく、ほっと息を吐き出した。
「良かった、ご無事で……」
「大げさ」
「だって……」
「でもありがと。──ダグは?」
「あ、買い出しと釣りをしに港へ。今日はごちそうにしましょうね!」
なんで突然来た怪しい旅行者にここまで心を砕けるのか、俺にはさっぱり理解できない。だがルリエールは笑っているほうが良い、わざわざ水を差す必要はないだろう。
大変申し訳ないことにこの宿には迷惑をかけまくっている。将軍からの書簡をルリエールに手渡し(あいつ俺の許可前から準備してやがった。用意周到だ)、俺の後ろで縮こまっているネイシャを前に付き出す。ルリエールはまったくネイシャが見えていなかったらしく、彼女を見ると目を丸くした。
「悪い、いろいろあってここに居ることになった、ネイシャ」
ぽかんとしていたルリエールだが、ネイシャを見てなんとなく察したようだ。
「こんな幼い子が……」
まぁそれが普通の反応だろう。神国と名高い国が子どもを幽閉して平和を無理矢理作り上げていたと思うと、反発心も沸くだろう。だがルリエールはすぐに切り替え、のんびりした様子で自分のことやこの宿の話を説明し始め、まだ少しビビっているネイシャは小さく相槌を打っている。最終的にルリエールは俺を振り返って、
「ビルさん、お疲れでしょう。おやすみになっていてください。その間にネイシャをお借りしても良いですか? ちゃんと綺麗にして休ませてあげたいんです」
確かに俺には考えつかない発想だ、どうぞご自由に。張り切って連れて行くルリエールを見送り、俺は部屋に戻ると寝台に倒れ込む。平気な顔をしていたが、弱い身体は疲れ切っていたらしい。動く気力がなくなっているのが、じんわりと伝わってわかる。小さく咳が出たが、ほんの少しで済んだ。大きく息を吸って吐き出せば、少しは呼吸が楽になる。帰ったら薬飲めよってレイヴンが云ってたっけ。面倒くせぇ。
ぼんやりと天井を見つめた。いったい何をしているのだろう。戦争に行って女神連れ出して、挙句名前まで付けてここに連れて来ている。名前がどれだけ大事なものかハヴァーズで学習したはずだと云うのに、余計目立つことをしてしまった。
俺はここに、何をしに来たのか。
せっかくここまで来たのだから、さらに西へ行きたいと云う気持ちはもちろんある。だが今のところ西に進むのはだいぶ厄介だ。山脈を越える前に、天帝の部下に戻されてしまうだろう。だからと云って北に行けるかと云えば、船が止まっている所為で行けない。レイヴンで飛ぶことも可能だが、北では以前これまた面倒なことを起こしているので、レイヴンで現れるなんて派手なことはしたくもない。帰るにしてもレイヴンの体力的に、一度は北へ渡らないと最後まで持たない。結局のところ、動けないと云うのが結論か。
「うおーい、ビル、生きてるか?」
急にダグの顔が目の前に来て、俺は一瞬息を止めてしまう。心臓に悪いことをしないで欲しい。ゆっくり呼吸をしてから起き上がると、ダグがコップ片手に珍しいものでも見るように俺を眺める。
「もう帰ったのか、早いな」
ダグはいつも港に居るような印象がある。ちょっと港に行って来ると云っても、帰って来るのは既に出掛けたのも忘れた頃で、何をしていたかと問えば海を見ていたと大笑する。短くしか見ていない俺でもそんな奴だと知っているから、すぐ帰って来たことには驚かされる。
「おまえが帰って来たって聞いたからさ」
何所から来るんだ、その情報網。
「心配されるようなことはしてないんだけど」
「いや、戦争ってのはわけわかんねぇもんだから」
そう云うダグは、ルリエールと同じ目をしていた。少し諦めたような、似合わない目。
「今回は天帝が率いる完璧な部隊、勝つだろうって頭ではわかってても、やっぱり慣れないんだよ。知ってる奴が帰って来る戦争っての、俺たちはあんまり経験したことがないからさぁ」
さらりとすごいことを軽く云われて、ようやくここに居る人たちの環境を実感する。我ながら遅いとは思うが、このダグの軽さで逆に真実味が増した。ルリエールがあれだけ必死に止めたのも、実際に数え切れないほど「勝敗なき戦」を経験しているからであって、無事であるほうが不思議なのだ。
これ、と云われて手渡されたのは、さっきから持っていたコップ。
「あ、悪い。ありがとう」
「レイヴンにビルが薬を飲むか監視してくれって云われたんだ」
道理で……余計なことを。
「飲むからどうぞお戻りください」
「おーおー、せっかくおまえのために戻って来てやったのにその扱いかー?」
いやだから頼んでないんだけど。今さらそんなことを云っても仕方ないか。さっきの泣きそうなルリエールの顔がちらついて強く反論できない。
──どうしてビルはいつもそうなの。
どくんと、心臓が早く鳴る。
「っ……!」
呼吸が苦しくなる。
「おい、ビル?」
──どうしていつも、無頓着なの。
「……っ!」
「おし、水飲め」
「……あ」
一気に冷たい水が身体に入り込んで染み渡り、頭の中が覚醒してくる。いつも簡単なことがきっかけでこうして発作が起きそうになる、面倒くさい身体になったものだ。餓鬼の頃の方が酷かったが、まだ扱い易かった。身体というのは不便なものである。
さすがのダグでもまずいと思ったのか、苦々しい顔をして俺を見ている。
「──おまえ本当に重病人だなぁ。医者にかかった方が良いんじゃねぇのか?」
「生まれつきだから、かかっても治らない。大したもんじゃないし、慣れてるから大丈夫」
「ほら、あれ、ルカでも良いぞ。あいつあれでも医療知識はあるからな」
あれでもって云い方はどうなのだと思いながらも、あれでもそうなのかと思ってしまう。そう云えば施療院で看護師をしていると云っていたか。怪しい本は単なる医療本であり、思いの他、勉強熱心なのかもしれない。いい加減なふりをしている奴ほど、実際は真面目だったりするのだ。
「ここで死ぬような迷惑はかけないから」
「当ったり前だ、ここで誰も死なせるかよ」
ダグの返答を聞いて、随分無神経なことを云ったと気付いたが、彼は気にした様子もなかった。いったいダグの前で、ここで、幾人の命が失われたのだろう。それを思うと胸が痛むかと問われたら、別にと答えるしかない。だがちょっとした罪悪感は生まれて来る。俺はそうした奴らに、恨まれるのだろう。生きたいと願っても生きられなかった人たちに、俺は恨まれる。だけど俺は、それでも良い。
だってこの身体は、存在することを間違えているのだから。
・・・・・
「私たちと一緒に暮らせば良いわ」
ルリエールのいきなりの発言に、俺は返す言葉も見つからなかった。
夕飯。ダグが用意した豪勢な料理に囲まれて、俺とルリエール、そしてネイシャで食べていた。俺はともかく、ネイシャは初めて見る豪華な食事に、目を白黒させている。ダグは仕事だと云って、食事の用意だけして鼻歌交じりに出て行った。こんな暗闇のなか港で何をするのやら。本当に自由気ままな奴だと、俺ですら思う。
「もちろん、こんなところで良ければ、だけど」
ルリエールは自分の発言が気に入られなかったのだと思い込み、慎重に付けたした。しかし俺が黙っているのはそこではない。そこではなく、どうしてそう簡単に厄介を抱え込むのかが不思議でならない。
「あのな、ルリ。こいつ狙ってる奴だいぶ居るから、ひとまず落ち着くまでは軍の奴らに任せたほうが」
「でも軍にお返ししたところで、彼らはこれからも戦いに出るでしょう?」
「そうかもだけど、一度は本国に帰るだろうし」
「ああ、そうですね」
天帝のもとに顔出しぐらいはさせられるだろうと説明されば、ルリエールはさらに納得してくれた。なんだ、天帝のことだけはちゃんと聞けるのかと、なんとなく不思議に思う。もともとは別の国の連中で戦に巻き込まれたと云うのに、「平定」とやらをした天帝は、それでも信じるに値する人物なのだろうか。ここらへんで天帝を悪く云う奴を見たことがない。
豪華に切られて飾られている生の魚に、ネイシャは不思議そうに手を伸ばす。すべてが未知の世界なのだろう、いったいあの国で何を食べて生きていたのか、年齢の割には細すぎてちっとも食べている様子がない。少し突いたら倒れてしまいそうだ。初めて会ったときより余計細く小さく見えるのは、ルリエールによって綺麗に整えられたからだろうか。ルリエールの「綺麗に休ませる」というのは、湯浴みから始まって部屋と服まで揃えたことだった。一つに丸めて縛り上げていた編み込んだ黒髪も、今は乾かすためにおろしている。それだけで幼さがさらに付加され、随分と印象が変わる。なんでもない、ただの子どもだ。
「こいつの宿代とか他に必要なもんは俺が払うから」
「それは悪いですよ。ビルさん、元々将軍に無理矢理……」
「良いんだって。将軍にも女神を連れ出せとは云われてねぇ。こいつを連れて来たのは、俺の勝手な行動だから責任は取る」
うまく嵌められたわけではないが、勝手に嵌まった自分が悪いと割り切ることにした。 まったくいつからこんな首を突っ込む性分になったのか、自分でも不思議なぐらいだが、とりあえずはネイシャを連れて来てそのまま放置するのには抵抗があった。選択したのはネイシャだが、俺にも連れて来た責任と云うものが出て来る。まったく面倒なことに、俺はそれを振り払えない。
そしてそれを説明する気もない俺に、ルリエールは申し訳なさそうに眉をしかめる。
「でもビルさんは旅の途中でしょう」
それは確かに大問題なのだが、今さら喚いたところで仕方ない。出られないのは変わっていないし、今ここで放り出して無理矢理出るにしても仕方ない。
「どうせ出られないんだから、出るまでに決める。そのうち将軍も策を出して来るだろ」
まさか女神を天帝が放置して置くとも思えず、俺は適当なことを云って先を避ける。 あれこれ考えないといけないのは面倒くさい。考えないよう旅に出ていると云うのに、旅先でもこんなに頭を使うのは久し振りすぎて、また面倒くさいと放置してしまいたくなる。
魚に手こずっていたネイシャが、突然何かに気付いたように俺を見る。
「──リュースは何所に行くの?」
「まだ決めてない」
「いつ出て行くの?」
「それもまだ」
不安そうに俺を見られても、俺はここに移住なんかできやしない。できやしないのに連れて来たのは、やはり責任問題なってしまうのだろうか。どうしたものかと考え始めている自分に、少し嫌気が差した。
何が起こっても俺は故国を捨てられず生きて行く。それだけは変わらない。だから他国で妙なものを拾ったところで、最後まで面倒など見てやれない。俺が関われるのは一時期だ。なのに妙に引っ張られるのは、ネイシャに何かあるからなのだろうか。
内心でめちゃくちゃ戸惑っている俺に、ルリエールがうまいこと入ってくれる。
「でもネイシャはこれからの長い人生を、自分で決めることができるのよ」
「自分で?」
「そう。やりたいこととか、食べたいものとか、住みたい場所とか、全部自分で選択するの。選んだからには責任を持ってもらわないと困るけれど、それが生きて行くことだよ」
自分で責任を持って選択した答え、か。
偉そうに自分で決めろと説教垂れたくせに、それをできていると断言できない俺が莫迦みたいだ。自分で選択して旅に出たと云うのに、親父の言葉に逆らい切れず、なぜか周囲に邪魔されて目的地へ行けない。あーあ、何やってんだかな、俺。
「うーん、リュースの旅に付いて行きたい」
ルリエールのありがたいお言葉をゆっくりと考えた俺とは別に、無責任な進路を決めやがるネイシャにがっくりと力が抜ける。
「おまえね……」
「リュース、東の方から来たって云ってた。一緒に行くのは駄目なの?」
「俺はしばらく国には帰らない」
「どうして?」
「今は帰る理由がない」
「理由がないと帰らないの?」
「居たってやることないし、つまんないからね」
むしろ居る方が害悪っぽい。やる気もない働く気もないご長男様々は、命の危険すらあるこの西国に居ることをご当主直々にお許しが出ている。いつも適当なことばかり云っている親父だが、俺だって西へ行くなんてさすがに駄目だろうと思っていた。当主の許可がなければ何所にも行けない俺は、親父が駄目と云ったらそのまま従うことだろう。だが意外にも、「うんうん、行って来ると良いよー」なんて軽いノリでお許しが出てしまった。
つまり親父が俺を西に出すのを許すぐらい、本国は危険な状況にある、と云うことだ。
特に何も云われていないが、そこまで察するのは容易かった。細かいことはわからずとも、俺はしばらく家に帰らないほうが当主的には良く、俺にも嬉しい。西に行けるなんてこんな貴重な機会を無駄にするわけにはいかないのだから。
説明が面倒くさくなって来た俺に気付いたのか、ルリエールは苦笑してネイシャを諌め始めた。
「ビルさんは旅の御方ですから、いろいろ事情がおありですよ。そう簡単にはいきません」
「でも、私、リュースに付いて行きたい……」
心細いとでも云うように付け加えられた言葉に、俺は溜め息を吐く。
「おまえが本当にどうしても付いて来たいなら、別に良い」
「ビルさん」
「だけどおまえ、まだここしか見てないだろ」
何を云っているのかよくわからない、そんな風に首を傾げる姿は本当に子どもだ。実年齢など知らないが、最初に俺が餓鬼と認定したよりも餓鬼ではない。餓鬼の素直な感情を知らないまま、あの暗闇の中で育った。ただ声を聞くだけのために存在していたネイシャに、自分で選択することの意味はまだわからないだろう。
「世の中はまだまだ広いんだよ。付いて来ても良いけど、俺しか見なかったことを、後で後悔するぞ。俺だってまだ時間がある、その間に、ゆっくりおまえがいろんなもの見てから決めれば良いだろ」
「いろんなもの」
「そうだよ、ルリみたいなのも居ればルカみたいなのも居る。ダグとかジョーとか将軍とか、あ、将軍は見ただろ。あの真面目すぎる将軍」
「うん、将軍、優しかった」
「だろ。他にも優しい奴とか変な奴とかいっぱい居る。そういう奴らと会ってから決めろ。おまえの選べる道はいっぱいあるんだから、選び放題だ」
「それでもリュースと一緒に行きたかったら、付いて行って良いの?」
まさか選ばれるとも思っていない俺は、しかしここでふと思い出す。
──ビル様は知っていましたか? トコヨさんから聞いたんですが、彼らでも戴いた名前には価値を見出すそうですよ。 正しく俺が拾って名前を付けたハヴァーズが力説していた。そしてそのハヴァーズは、役に立たない侍従でありながらも、絶賛俺の信者である。となると、どんなに俺が最低野郎でも、 ネイシャが俺に付いて来る可能性は高くなってしまう。
「……」
「……」
無言の応酬が続く。困っているのは俺なのに、俺が悪いことをしている気分になる。
「……ま、その時は、応相談で」
考えるのも面倒くさくなって逃げる癖は、どうやらそう簡単に抜けきらないようだ。




